第91話


『…………』

「今は堪えよ、我が【騎士ドラウグル】【名無し】の剣士。だが、後で嫌がらせの一つか二つはするがいい、この【魔神】ディスコルディアが許す」

「……我が同胞たる【魔神】ディスコルディアとその【騎士ドラウグル】【名無し】の剣士……我がポンコツクソ【騎士ドラウグル】ビリー・ザ・キッドが、ホントにごめんなさいなのよ」


【名無し】の剣士は、冒険者ギルドにいた。

 日が大分高い時間のおかげか、屋内には仕事を求めてやってきたと思われる冒険者たちでにぎわっていた。

【名無し】の剣士たちが入ってくるまでは。


「デッド・スワロゥだ……」


 ビリーに続いて屋内に足を踏み入れると、囁きが耳に入ってくる。

 誰が口にしたのかは分からない。集う冒険者は大勢いる。


「あいつが、噂の新人?」

「人間だよな、しかも若い」

「あの得物、日本刀」

「ストリートファイトに乱入」

「タツノスケ・イブキをぶちのめした」


 一通りのことは、既に知っているものばかりだ。新しい内容はない。

 視線は、無遠慮に向けられてくる。されど、好奇はあっても明確な敵意や殺意はなかった。

 異人の血を引く者への嫌悪、曼殊沙華まんじゅしゃげの色の髪をした悪鬼の化身を見る怯え――かつて生きた世界ではお馴染みだった悪意を、全く感じ取れないせいか。

 察するに、どうやらこの【異世界】、肌や眼や髪の色が変わっているからといって、石や罵声を投げられることはないらしい。

 少し落ち着くが、同時に不安になる。嬉しい、なのに、寂しい。

【名無し】の剣士は努めて面に出さず、壁に設置された【ボード】を見ていた。

 ぶにぶにと柔らかい「コルク」という素材でできたそれには、手のひらサイズの色とりどりの紙が、「ピン」という脆弱な釘を思わせる道具で留められている。


「それらは、依頼書だ」


 横から、ビリーが教えてくれる。


「冒険者ギルドってのは、依頼人から受け付けた依頼を仲介して、冒険者に仕事を委託するシステムをとってるんだ。で、これらに書いてあるのが、依頼の細かい内容。例えば……」


 ビリーは、一枚の依頼書を指差す。


「初心者向けのこいつには、こういうことが書いてある。


 仕事内容:倉庫の整理作業

 ・ランク:FからE向け

 ・報酬:一日三〇〇〇イェン

 ・期間:要相談

 ・期限:整理終了まで

 ・依頼主:オルツン・ペパー

 ・備考:倉庫整理でいらなくなったものは、格安でお譲ります」


 白い紙に書かれている仕事内容は、そういうものらしい。


『せめて、絵があれば分かるんだろうけどな』


【名無し】の剣士は残念ながら【異世界】の文字を読めない。故に、文章を提示されても内容がちんぷんかんぷんである。

 与太話だが、町を歩いた時も大いに困った。どの建物がなにを表しているのかは分からないし。

 だけれども、掲げる看板に描かれた絵で察することはできた。例えば、野菜だったら八百屋、鎚と炎だったら鍛冶屋、食器だったら食堂という風に。


「ちなみに、字が読めない奴は意外と多いぞ。辺境になればなるほどな。教師はいつの時代も慢性的に不足している職業だっていうしさ。そういうこともあるから、冒険者ギルドは冒険者向けに、語学や算術なんかの教室を定期的に開いている。それ目当てで、冒険者になるって奴は結構多い」


 故に、疑問を抱く。


 まだ文字が読めない冒険者は、一体どうやって依頼の内容を理解するのだろう。


「お前が思っていること、当ててやろうか? 依頼書を見ないでどうやって仕事の内容を知ったんだ? だろ」

『…………』

「種明かしをするとな……」


 だが、その答えを今、聞くことはできなかった。


「ふざけんじゃねぇぞ、クソッタレ!」













 ばぁん! という音が響き渡る。

 見れば、怒り心頭な冒険者がいた。

 灰色の毛並みの、狼の獣人の男である。

 腰に帯びる得物は、大ぶりの戦斧。

 身に纏うのは、黒鉄蜘蛛アイアン・スパイダーの糸で編まれたインナースーツ、その上には使い込まれた積層鎧せきそうよろい


「引き取れねぇってのは、どういうことだ!」

「お分かりいただけないようなので、何度でも言いますが、ラガンさん」


 毅然とした態度で対応するのは、ミウだ。


「確かにその【魔石】は、魔物の討伐証明にはなります。依頼達成の金額はお支払いできますが、素材としてお引き取りすることはできません。状態が悪すぎます」

「それは、あれの腕が悪いだけだ!」

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