第86話
「全く、おたわむれもほどほどになさってください。そしてゆめゆめ、お忘れなきよう! 我ら臣下と兵にはいくらでも代わりはいます。なれど、獣王――建国者テスカトリポカの正当な後継者は、ルツ様ただお一人なのですよ!?」
「……アンテラ君さぁ、そういうこと、はっきり言わんでくれるかなー?」
着衣を纏い、整えると、ルツはテラスへと出た。
出迎えたゴリラの獣人の男、アンテラは膝をついて、臣下の礼をとる。既に、彼は本来の身分を示す姿へと戻っていた。
身に纏うのは、ネイビーの軍服。階級は、少尉。
このアルカンシェル大陸に存在する大国が一つ、【
「獣王の立場としちゃあ、その忠義は嬉しいよ? けどさあ、俺個人としちゃあ、なんつーかしんどいんだよ……幼馴染からそういうこと言われるの」
「して、獣王陛下」
ルツのぼやきに、アンテラは答えなかった。
「単刀直入に申し上げます。デッド・スワロゥなる男、【
「戦力にはならない、と」
アンテラは頷く。
「ストリートファイターの少年には悪いことをしましたが、あの程度では戦力外もいいところです」
「されど、それ以外の力にはなるね」
「はい?」
「たとえば、交渉のカード。もし、【
その言葉の意味を理解できてしまったアンテラは、震え上がる。
「幸いにも、【
「…………」
「アンテラ君、俺はくだらない野心なんて持っていないんだよ……元婚約者殿みたく、全ての種族の壁を取っ払ってやろう、みたいな」
そして、後悔する。
ルツの目を、まともに見てしまったから。
それは、現実だけを見すえる為政者の目だった。
「やはり、かつての婚約者……ベラドンナ様のことを、恨んでおられるのですか?」
【
この両国はかつて、王族であるルツとベラドンナを結婚させるという形で、互いの結びつきを深めようとしていた。
ルツは、今でも覚えている。
それが、壊れてしまった瞬間を。
「本日はこのような大切な場にお集まりいただき、ありがとうございます。お集まりいただきました皆様に、【
ルツ・オセロメー・テスカトリポカ獣王陛下」
帝宮ラグナロク、その一角、
いつもとは違うドレスに身を包んだベラドンナは、ルツに向けて優雅に微笑んだ。
「貴殿との婚約を、今日この場で破棄させていただきます」
そして、どよめきが支配する場に、ベラドンナは凛とした面持ちで宣言する。
「そして、ここに新たに宣言いたします。【
「正直、未だに理解できないね。あれが、大うつけと名高いベラドンナ王女の台詞なのか?」
ルツが知る限り、ベラドンナは馬鹿そのものであり、嫌悪の対象だった。
勉学に励む時間を、道楽や夜会に費やす。
クリームのお菓子とアイスクリームに目がなく、食べすぎたおかげでぶくぶくに太った身体に纏うのは、フリルとドレープがごてごての趣味の悪いピンクのドレス。
故に、ちょろいと思っていた。
大うつけのベラドンナ王女のことだ、
優しいだけの言葉と作った甘い笑顔を与えれば、自分が関与できる全てを差し出してくるだろう。
そうして【
だが、あの変わりようはなんだ?
脳みその代わりにイチゴのムースが詰まっていそうな頭では、決してできぬ立ち振舞いと言葉は。
おまけに、ベラドンナはもう太っていなかった。趣味の悪いピンクのドレスを纏っていなかった。
細く引き締まった身体に纏うのは、喪服のようなデザインのドレスと、鎧のパーツ。
深い思慮と知性に輝く目、不動の立ち姿、凛とした態度。
まさに、王者そのもの。
それは、ルツが知る大うつけベラドンナではなかった。
生まれながらの女皇帝ベラドンナだった。
「憑き物が落ちたどころじゃない。まるで、別人だ」
「はい。されど、あそこまで変わられるということは、ベラドンナ様には相応のことがあったに違いありません。おそらく、剣術指南役となった【
「本当に、そうか?」
ルツは、熟れた
「あれは、本当にベラドンナなのか? もし、ベラドンナでなければ、あれは一体……何者なんだ?」
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