第86話


「全く、おたわむれもほどほどになさってください。そしてゆめゆめ、お忘れなきよう! 我ら臣下と兵にはいくらでも代わりはいます。なれど、獣王――建国者テスカトリポカの正当な後継者は、ルツ様ただお一人なのですよ!?」

「……アンテラ君さぁ、そういうこと、はっきり言わんでくれるかなー?」


 着衣を纏い、整えると、ルツはテラスへと出た。

 出迎えたゴリラの獣人の男、アンテラは膝をついて、臣下の礼をとる。既に、彼は本来の身分を示す姿へと戻っていた。

 身に纏うのは、ネイビーの軍服。階級は、少尉。

 このアルカンシェル大陸に存在する大国が一つ、【四位一体の獣の王国テスカトリポカ】――獣人たちを中心とする国家の武力を司る者の証。


「獣王の立場としちゃあ、その忠義は嬉しいよ? けどさあ、俺個人としちゃあ、なんつーかしんどいんだよ……幼馴染からそういうこと言われるの」

「して、獣王陛下」


 ルツのぼやきに、アンテラは答えなかった。


「単刀直入に申し上げます。デッド・スワロゥなる男、【四位一体の獣の王国我が国】に引き入れるべきではないと思われます」

「戦力にはならない、と」


 アンテラは頷く。


「ストリートファイターの少年には悪いことをしましたが、あの程度では戦力外もいいところです」

「されど、それ以外の力にはなるね」

「はい?」

「たとえば、交渉のカード。もし、【騎士ドラウグル】の所有が叶うのなら、それは【四位一体の獣の王国テスカトリポカ】の力を象徴する一つになる。だけど、もしそれがだめなら?」


 その言葉の意味を理解できてしまったアンテラは、震え上がる。


「幸いにも、【騎士ドラウグル】の力は【黒竜帝国こくりゅうていこく】によって世界に証明されている。故に、どこの国も【騎士ドラウグル】を恐れている。そして、制御できない力は、害悪にしかならない。世界の害悪は、討つべきだ。かつて【転生者】が魔王に立ち向かったように、皆で共に、手を携えて」

「…………」

「アンテラ君、俺はくだらない野心なんて持っていないんだよ……元婚約者殿みたく、全ての種族の壁を取っ払ってやろう、みたいな」


 そして、後悔する。

 ルツの目を、まともに見てしまったから。

 それは、現実だけを見すえる為政者の目だった。


「やはり、かつての婚約者……ベラドンナ様のことを、恨んでおられるのですか?」

 











四位一体の獣の王国テスカトリポカ】と【黒竜帝国こくりゅうていこく】。

 この両国はかつて、王族であるルツとベラドンナを結婚させるという形で、互いの結びつきを深めようとしていた。

 ルツは、今でも覚えている。

 それが、壊れてしまった瞬間を。













 

「本日はこのような大切な場にお集まりいただき、ありがとうございます。お集まりいただきました皆様に、【黒竜帝国こくりゅうていこく】第六王女ベラドンナ・オブ・ミッドガルズオルムは、建国者にして初代皇帝ミッドガルズオルムの名とその血脈、そして、我が誇りにかけて、ここに宣言いたします。

 ルツ・オセロメー・テスカトリポカ獣王陛下」


 帝宮ラグナロク、その一角、竜翼りゅうよくの間にて。

 いつもとは違うドレスに身を包んだベラドンナは、ルツに向けて優雅に微笑んだ。


「貴殿との婚約を、今日この場で破棄させていただきます」


 そして、どよめきが支配する場に、ベラドンナは凛とした面持ちで宣言する。


「そして、ここに新たに宣言いたします。【黒竜帝国こくりゅうていこく】次期皇帝ベラドンナ・オブ・ミッドガルズオルムは、建国者にして初代皇帝 の名とその血脈、そして、我が誇りにかけて……【黒竜帝国こくりゅうていこく】そのものと結婚し、共に歩み、新たなる歴史を作ることを!」












「正直、未だに理解できないね。あれが、大うつけと名高いベラドンナ王女の台詞なのか?」


 ルツが知る限り、ベラドンナは馬鹿そのものであり、嫌悪の対象だった。

 勉学に励む時間を、道楽や夜会に費やす。

 クリームのお菓子とアイスクリームに目がなく、食べすぎたおかげでぶくぶくに太った身体に纏うのは、フリルとドレープがごてごての趣味の悪いピンクのドレス。

 故に、ちょろいと思っていた。

 大うつけのベラドンナ王女のことだ、

 優しいだけの言葉と作った甘い笑顔を与えれば、自分が関与できる全てを差し出してくるだろう。

 そうして【黒竜帝国こくりゅうていこく】に根をはり、ゆくゆくは色々と吸い上げてやるつもりだった。

 だが、あの変わりようはなんだ?

 脳みその代わりにイチゴのムースが詰まっていそうな頭では、決してできぬ立ち振舞いと言葉は。

 おまけに、ベラドンナはもう太っていなかった。趣味の悪いピンクのドレスを纏っていなかった。

 細く引き締まった身体に纏うのは、喪服のようなデザインのドレスと、鎧のパーツ。

 深い思慮と知性に輝く目、不動の立ち姿、凛とした態度。

 まさに、王者そのもの。

 それは、ルツが知る大うつけベラドンナではなかった。

 生まれながらの女皇帝ベラドンナだった。


「憑き物が落ちたどころじゃない。まるで、別人だ」

「はい。されど、あそこまで変わられるということは、ベラドンナ様には相応のことがあったに違いありません。おそらく、剣術指南役となった【騎士ドラウグル井上イノウエ源三郎ゲンザブロウ殿の影響があるのではないかと」

「本当に、そうか?」


 ルツは、熟れた柘榴ざくろを思わせる真紅の目を細める。


「あれは、本当にベラドンナなのか? もし、ベラドンナでなければ、あれは一体……何者なんだ?」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る