第80話



 周囲からの評価は、「勉強がそこそこできる奴」、「健全と不健全の中間の歴史オタク」、「マジレスやめて」。

 あと、たまに「もう少し肩の力を抜けばいいのに」とか言われたりする。

 商社マンの父と専業主婦の母と幼稚園年長の妹の四人家族。

 都内の某私立高校、通称東高ひがしこうに通う、十六歳。

 顔立ちが整っているから、女子から割と好意を寄せられることが多い。けど、未だ誰ともお付き合いしたことがない。

 それが、伊吹いぶき辰之助たつのすけだ。

 今となっては、全て過去の話である。

 ことのきっかけは、なんとなくだった。学校の帰り、塾をさぼって繁華街のゲームセンターに行ったのだ。

 そこでガラの悪い連中に難癖をつけられて、無我夢中で逃げ出したら途中で意識を失って――気づいたらこの【異世界】に紛れ込んでしまっていたのだから。

 ラノベやアニメでいうところの「剣と魔法とドラゴンのファンタジー」なこの【異世界】を、辰之助たつのすけが恨まない日は一度もなかった。

 亜人と定義される種族たちへの差別や暴力が嬉々として容認される上で平和が保たれる、悪意に満ちたこんな【異世界】を。


 ――コボルトの亜人は、その全てが詐欺師か盗人である。

 ――黄金と貴石を常に求め、欲望のまま鉱山を枯らす。

 ――その存在は、悪辣極まりない。













 辰之助は、それが真っ赤な嘘であることを知っている。


 ――行き倒れていた俺を必死に介抱してくれたコボルトの亜人たちの村を、あいつは焼き払ったんだ!

 ――言葉とか文字を教えてくれたみんなを、【コボルトケンジュツ】を教えてくれたジークンド先生を、あいつは……!


 今でも、悪夢に見る。

 噴き上がる炎。

 崩れる家屋。

 上がる絶叫。

 惨殺されたコボルトの亜人たち。


 ――「キゃハハハハハハハハーッ!!」


 その中心で、哄笑が上がる。

 いつまでも、いつまでも。












 でも、現実の方が悪夢よりずっと悪夢的だ。

 食いぶちを稼ぐため、生きるために辰之助はストリートファイトに身を投じている。

 そして、願わくば、いつか――




「ダラァァァァァァァッ!」


 目一杯声帯を震わせ、怒号を放った。

 同時に、突っ込む。

 ぶんっ! と、得物を振り下ろす。

 振り下ろされるそれを、デッド・スワロゥはわずかに後退して躱わした。

 だが、辰之助はそれを見越している。

 得物が地に激突する寸前、手首を返して下から上へ、踏み出すと同時に斬り上げた。


「……!?」


 手ごたえは、ない。

 斬撃は、虚しく空を切っただけ。

 跳ね上げるようにして放った一撃を、デッド・スワロゥは簡単に躱していた。ただ、小さく顔をのけぞらせるようにするだけで。


「マジ、かよ。そんな……!」













『遅いな、欠伸が出るぜ』


【名無し】の剣士は、放たれた二つの斬撃を難なく躱した。

 正直、幻滅だ。つまらないことこの上ない。

 

『つーか、これで無敵無敗ってよく言えるな。普通にひよこじゃん。とりあえず、羽毛が白く生え変わった』


 はっきり言って、殺り合うに値する器じゃなかった。


『覇気が弱い。闘志が弱い。殺意が弱い。戦意が弱い』


今度は、横薙ぎ。

されど、フェイント。

本命は、突きだった。

だが、【名無し】の剣士には読めていた。


『そろそろ、終わらせるか』


今度は、躱さない。

がぁん! と、派手な音が上がった。

反比例するよう、周囲が静まり返る。

誰もが、言葉を失っていた。

当然といえば当然だ。

タツノスケの得物は、地面に抑えこまれている。

【名無し】の剣士の、片足で。


「は!?」


詰みをかけられたタツノスケの目が、大きく見開かれる。




 冷や汗が、どっと吹き出た。

 足元から、粘つく恐怖が這い上がってくる。

 漠然と思った。こいつは違う。

こいつは、本物だ。

 目が合えば、自ずと理解させられる。

 獰猛な戦意で生き生きと輝く、人喰い虎のようなそれと。

 直感する。これは、人殺しの眼だ。

 人殺しを楽しめる、人でなしの眼だ。

 コボルトの亜人の村を焼き払った、あのエルフの女暗殺者を思い出させる。

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