第76話
その日の夕方。
ブレンダの町の片隅、【おしどり亭】という看板がぶら下がる宿。
「久しぶりのベッド! 久しぶりに屋根の下! うはははは、寝るぞー! 今夜は気合い入れて寝るぞー!」
ビリーは枕を抱っこして、ベッドの上をごろんごろんしている。
キリは、窓から外の景色を眺めていた。
「デッド・スワロゥ、一人で大丈夫かな……」
文字通り世間知らずの自分が言うのもあれだけど、ついて行った方がよかったかもしれなかった。
「いいんだって、これは所謂社会勉強ってやつだし」
「でも……」
「心配すんなって。よちよち歩きのおしめが取れてないベイビーじゃないんだから、一人でお使いくらいできるだろ」
「…………」
「なにかありゃあ、【魔神】っていう保護者的立場がどうにかするんだしさ」
【名無し】の剣士は、歩きながら手の中にあるもの――紐に通した長円形の小さな白い金属板を見ていた。
「さっきからじーっと見おって、そんなに
『まあ、面白いとは思ってるぞ。こんなんで冒険者ギルドとやらでの身分が明らかにされるんだからな。つーか、ディスコルディア。あのウサギ耳のねーちゃん、最後、完璧に引いてたよな?』
「当たり前だろうが。向こうはお前の事情など知らんのだぞ」
「こちらは、
冒険者ギルドの受付のミウという獣人の女、はそう言っていた。
察するに、これはどうやら冒険者ギルドという組織に属する個人の識別と特定のための道具らしかった。
「これがあれば、冒険者ギルドが有する施設、図書館や修練場の使用といったサービスを無償で受けることができます。スケジュールおよびお知らせは掲示板に毎週更新されますので、お越しの際はこまめにチェックをお願いします。紛失してしまった時は、早めに届け出てください」
聞き返すことができぬ身のため「サービス」「スケジュール」「チェック」なるものが一体なんなのか判らなかった。
それらの意味は、後で大分時間をかけてディスコルディアから説明された。ようやく理解できる頃にはへろへろになっていたので、流石に悪かったと思っている。
「次に、ランクについて説明させていただきます。冒険者ギルドというのは、ランク制になっています。最下級のランクFから始まって、E、D、C、B、A、Sと上がっていきます。わかりやすく言うと、一番下のランクFは初心者であることの証明、EとDは経験者、CとBは腕利き、AとSはベテランみたいな感じですね。ランクを上げる条件は、貢献度や活躍、依頼達成率ですべて決まります」
どうやら冒険者ギルドは、「ランク」なる制度で完全な実力主義を謳っているらしかった。
ということは、成り上がり、下剋上、なんでもありということか。
かつて生きた世界、自分が身をおいていた環境とあまり変わらないようだ。
「以上が、冒険者ギルドについての説明です。
では最後に、こちらの登録用紙に、お名前と必要事項のご記入をお願いします」
ここまでは順調だった。
この後、問題が起こらなければ。
「えーと、では、デッド・スワロゥさん」
『…………』
「デッド・スワロゥさん?」
この【異世界】に来て間もないため、【名無し】の剣士は当然文字が読めず、また、書けなかった。なので、ビリーに代筆を頼んだのだ。
必要事項とやらは「はい」か「いいえ」で答えればよかったので、「はい」なら頷き「いいえ」なら首を横に振ればよかった。
だが、名前の記入で凄まじくもめたのだ。
『「デッド・スワロゥ」って、なんか知らんがお前らが勝手につけたあだ名だよな?』
後々思うに、充分おかしなことだっただろう。
うんともすんとも言わない時点で、【名無し】の剣士は十分異様な存在なのだ。
そんなのが自分の名前を呼ばれた際、鳩に豆鉄砲な顔をしたらどう思われるか。
流石にまずいと察したのだろう、ビリーが色々口添えしてくれなかったらえらいことになっていたはずだ。
意識を、現実に戻す。
『俺だってその辺はしまった! と思ってはいるさ。……けどな』
「なんだ?」
『俺があーだこーだ言うのもアレなんだが、あんな言い訳を素直に信じるの、人としてどうかって思うぞ。
「すんませんすんません! これには深いわけが! こいつ実は……先週、両親と結婚を誓い合った幼馴染と近所の駄菓子屋のおばちゃんを含む故郷の村人を、板チョコとフリントロックピストルで武装したカピバラの愚連隊に攫われて、精神がめちゃんこ不安定で!」
……って』
「一字一句記憶しているお前も、人……じゃなくて【
『つーか、カピバラってなんだよ、食えるのか?』
「ツッコむところそこかっ、【名無し】の剣士!」
『しっかし。改めて見るとすげぇ光景だな、【異世界】』
【名無し】の剣士が歩く通りの両脇には、木材と縄と帆布に似た厚い布地を組み合わせた簡素な屋台が建ち並んでいた。
威勢のいい売り声が飛び交う。売り手と買い手で、混みあっている。
見れば、色々なものが売られていた。獣肉に野菜、乾物に果物、布地に装飾品、なんだかよくわけのわからないものまで。
晩飯になるようなものを買ってくるよう頼まれていなければ、全ての屋台に立ち寄って、じっくり見ていただろう。
『…………』
「どうした?」
『
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