第74話
「くしゅっ!」
不意に、むず痒さが鼻をつく。
ビリーは、突然のくしゃみに襲われる。
「誰か、お前の噂でもしてるの?」
「誰かって誰だよ。心当たり多すぎるんですけど?」
「【
「…………」
「呆れたのよ。我が契約者たる【
「……うっせぇ! っつーか、あー……それより、これからどうすっかなー」
ビリーはトランプを投げ出し、ぼやいた。
これからしばらく、厄介なことになる。身の振り方を真剣に考えなければいけない。
成り行きとはいえ【六竜将】の一人を倒してしまった自分たちは、【黒竜帝国】に喧嘩を吹っ掛けたのも当然なのだ。
なんらかの形で報復をしてくるのは、目に見えている。討伐隊が差し向けられるとか、賞金が懸けられるとか。
「いや……」
ビリーは、頭を振る。
最も恐れるべきは【黒竜帝国】ではない。
実を言うと、その他の勢力の方が余程恐かったりする。
「【黒竜帝国】おっ死ね! を掲げる諸国の権力者連中にゃあ、追いかけてとっ捕まえてどうにでもできるっていう、格好の大義名分を手にしたも同然だもんな。おっ死ね! な【黒竜帝国】から。それに【
【
そのことは既に、あの事件で【異世界】には証明されているのだ。
「なあ、師匠……あんた、今、どこでなにしてんだよ」
当時者――同じ【
「つーか、なんで俺を置いてどっか行っちまったんだよ……なぁ、シモ・ヘイヘ」
「ふわあああ……すごい、これが、町……なんですか?」
町はまるで、伝説に謳われる巨人ぐらいはありそうな、大きな大きな門を潜った先にあった。
今日ほどびっくりが連続したことはない。
石造りの建物が、連なって立っている。
行き交うのは、荷を積んだ馬車や、様々な種族の人々。
あと、すごくいい匂いがした。なんか、お腹の虫が大合唱するような。
「そうだよ、お嬢ちゃん。すげーだろ?」
「建物がすごく大きくて、道がすごく広くて、すごくたくさんの人がいて、えーとえーとそれからそれから」
とにかく大きい。とにかく広い。とにかく色々なものがある。
建物が、道が、なにかよくわからないものが。
幌馬車に揺られ、辿り着いたここが町なのだと、ビリーは教えてくれた。町の名前が、ブレンダということも。
「はぐれるなよ。はぐれたら、もう二度と会えないって思っておくように。そんじゃあ、出発するぞ!」
「う、うん!」
周囲がものすごく賑やかだから、返す声は自然と大きいものになった。
頷いて、傍らの手を引く。
「行こう、デッド・スワロゥ!」
『これが、【異世界】の町……なのか?』
「この程度で竦んでどうする、【名無し】の剣士。この世界では、これが当たり前なのだぞ」
幌馬車を降りた【名無し】の剣士は、ただただ立ちつくしていた。
バカ高い壁を通り抜けたら、喧騒のただ中だった。
忙しそうに働く男たち、走り回る子供たち、物売りと思われる声の中に、既に自分はいた。
様々な場所を渡り歩き、経験と様々な知識を蓄えたはず。なのに、目の前に広がるのはなにからなにまで、知らないもの、わけのわからないものだらけ。
まるで、絵巻物か浮世絵に描かれる幻想の世界である。
連なり建つのは、木ではなく、石で作られた建物。
荷を積んだ車を牽いて走るのは、馬をはじめ、牛だったり鳥だったり、なんだかよく分からない家畜たち。
行き交う人々は皆、着物ではない衣装を身に纏っている。
肌の色は、蝋や和紙みたく白く薄いのから、炭みたく黒く濃いのまで様々。
黒だけでなく、青、緑、灰、茶、赤、銀と、目や髪の色も様々。
それよりなにより、目を引くのは――
『あの男は人間、じゃないよな? 耳が、笹の葉の形をしているぞ』
「あれは、エルフだ。この【異世界】に生きる種族の一つだ」
『おおおっ!? どでかいネズミや牛が、後ろ足で歩いているぞ! あっちの女は……なんだ!? 頭に、鹿の角が生えてるぞ!?』
「あれは、獣人だ。あれも、この【異世界】に生きる種族の一つだ」
『すごいな、【異世界】ってのは!』
【異世界】の町は、明るい気持ちになれる場所なのだと、この時はまだ思っていた。行き交う誰もが、明るい顔をしていたから。
【名無し】の剣士はキリに手を引かれるまで、じっと目の前の光景に見入っていた。
ディスコルディアは、じっとそんな【名無し】の剣士に見入っていた。
「存分に楽しめるのは今のうちだ、どうせじきに慣れる」
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