第73話


 帝宮ラグナロクは、壮麗な尖塔と雄大なドームによって構成される宮殿だ。

 帝都ディープ・シーの中枢であり、【黒竜帝国】の象徴。建国者である初代皇帝ミッドガルズオルムから続く皇帝の血と誇りを受け継ぐ者、それに忠義を誓う臣下たちが集う場所である。

 その一角に、竜卵りゅうらんきゅうはあった。













 広間である。

 かつてそこでは、夜な夜な宴が繰り広げられていた。

 楽団が陽気な音楽を奏で、肌もあらわな衣装を纏った女たちが舞い、贅を凝らした山海の珍味と美酒が並ぶ。

 立ち入ることができる男は、代々の皇帝のみ。

 迎えるのは、皇帝と交わり、世継ぎを成す目的で迎え入れられた女たち。

 要は、竜卵りゅうらんきゅうとは、後宮である。

 多いときはおおよそ千人の女たちが集められ、皇帝の寵愛をめぐって日夜女の熾烈な戦いが繰り広げられたという。

 だが、それは過去の話だ。

 ベラドンナの即位と同時に、竜卵りゅうらんきゅうはその機能を強制的に停止させられた。

 新たなる皇帝が女であれば後宮など必要なくなる、自明の理である。

 だが――













 先の皇帝ドミティウスの時であれば、タペストリーが壁を、決して消えぬともしびの魔法が込められた水晶細工が天井を飾っていただろう。床には、精緻な刺繍がほどこされた豪華なじゅうたんが敷かれていたに違いない。

 だが、そのどれもなかった。かといって、廃墟のごとく虚ろな空間が広がっているわけでもない。

 むき出しになった壁と天井と床。

 びっしりと、何かの文字が描かれている。それこそ、隙間がないほど。

 技法と手法、共に秘伝とされる、魔術文字ルーンだ。


 絶大な魔法防御が施された広間に、六人が集っていた。


 臨時に設けられた王座に座すのは、現【黒竜帝国】を統治する女皇帝ベラドンナ。

 その傍らに控えるようにたたずむのは、純白の法衣をまとった青年。

 壁に背を預け、腕を組むのはボディスーツの美女。

 床に座すのは、インバネスコートをまとった巨漢。

 窓際で身を丸めているのは、ぶかぶかのローブをまとった少女。

 外界と通じる扉の前を陣取るのは、仮面の異形。

 性別も年齢も種族も異なる面々。だが、ベラドンナを除く五人にはある共通点があった。

 

「……と、いうわけだ、【六竜将】諸君」


 それぞれの首許、佩用する勲章は、円環を象る蛇に鉄の埃及十字アンク

 そう、この五人こそ【六竜将】、【黒竜帝国】が誇る、最強無敵の戦士にして英雄たちなのである。

 ベラドンナがたった今語り終えたのは、その【六竜将】の一人、イカズチが死んだという事実だった。


「にわかには、信じられる話ではございませぬな」

「しかし、事実なのだよ、メギド」


 傍らの存在――メギドに、ベラドンナは返す。

 女と見紛う白皙の美貌の青年である。

 短剣を思わせる形状の耳は、彼がエルフであることを示していた。


「イカズチ殿、我ガ友……陛下ノ声、発セラレレバ、イノ一番駆ケツケル。見エヌ、珍シイ、思ッテイタ」


 たどたどしい声で呟いたのは、床に座す、インバネスコートの巨漢。


「……ナレド、我ガ陛下、不吉ナ戯レダケハセヌ、決シテ」

「そうだろうな、D。なれど、事実だ」


 目深に被った帽子の奥から視線を向けてくるDに、ベラドンナは返す。


「無理を押して諸君ら【六竜将】を呼び出したのは、勿論、戯れや酔狂ではない。【六竜将】イカズチの死と共に、【黒竜帝国】の存亡に関わる重大な事件が生じたからだ」


 ベラドンナの言葉から、ただならぬ事態を感じ取ったらしい。

 集まった者たちは、一様に身を強張らせた。


「……詳しくお話を、お聞かせいただけませんか、ベラドンナ皇帝陛下」

「もとよりそのつもりだ。メギド。わたしも、現【六竜将】筆頭であり我が片腕である宰相の貴殿の判断を仰ぎたいと思っていたところなのだ」

「ほぅ」

「では、これを見るがいい……グリード!」

「は、はいっ!」


 ベラドンナから指示を下されるのと同時に、グリード――先程まで窓際で身を丸めていた少女は、飴色の髪を揺らして立ち上がった。

 ぶかぶかのローブの中から、これから必要になるものを引っ張り出す。

 その手に握られているのは、自身の首許に佩用するのと同じものだ。

 グリードは、目を閉じた。主君の要求を確実に満たすため、意識を集中させるためだ。

 変化は、ほどなく訪れた。

 生み出されたのは、光。砂粒ほどの大きさのそれは、濃いグリーン。

 一つが二つ、二つが四つ。光の粒は、みるみる増殖していく。

 そうして、ふわり、ふわり――と、天井へ向けて舞い上がっていった。

 収束し、やがて――


 ざぁぁぁぁぁぁぁあ……ん


 ――不意に、さざ波を思わせる音が、皆の耳朶を打つ。




 怒号、沸騰する感情に呼応するよう、いかずちと化す翅音。

 上がる土埃は、声の主の視界をも遮る。


 ――「貴様ァ! 謀りやがったなァ!!」


「相変わらず凄まじい超魔法ねぇ、グリードちゃん。大魔導士の異名は伊達ではないのだな」


 感嘆の声を上げたのは、壁に背を預けていたボディスーツの美女。

 無理もない。呪文の詠唱も行わず、マジックアイテムすら使わず、手にしたイカズチの形見にこびりついた残留思念を、グリードは完璧に再生させたのだ。

 魔法で生み出した膨大な数の光の粒を全てコントロール下に置き、完璧な立体映像として。

 最初に理解したのは果たして誰だっただろう。

 それを見た面々の反応は、様々だ。

 悲痛なうめき声を発する者、沈痛な面持ちで瞑目する者。


「こ、これは、一体どういうわけか!? まさか、イカズチ殿は……!!」


 破られる、土埃。

 凶刃が、振り下ろされる。

 噴き上がる、血飛沫。


 皆、衝撃のあまり言葉を失っていた。


「いかにも、そのとおりだ。イカズチがすでにこの世にはいないのは、先に語った通り事実。

 我が忠臣、【六竜将】イカズチは……【黒竜帝国】が誇る英雄は……」

 

 凶刃は、日本刀――「異なった」世界から伝えられたとされる武器。

 握るのは、一人の男。

 額に巻いた布の下、爛々と輝くのは殺意と闘志に輝く双眸。

 左目をまたいで走る傷は、十字架の形をしていた。


「……この者に、殺されたのだ!」

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