第72話


 正直、キリは不安で不安でたまらなかった。

 物心がついてから一度も、キリはトルシュ村どころかアシュロンの森から出たことすらないのだ。

 目の前に広がるのは、ただただ広い、見知らぬ世界。


『ディスコルディア、一つ聞きたい。ファ●クってなんだ?』

「我が同胞たる【魔神】イシスよ、一つだけ言わせてもらうぞ」

「…………」

「契約者たる【騎士ドラウグル】のしつけくらい、ちゃんとやらぬかっ!」

「ホント、すまないって思ってるのよ」


 物資を詰めた木箱と樽。

 その間のスペースに、乗客たちはいた。

 手には、カード。トランプという、「異なった」世界から伝わったカード。

 興じるのは、これも「異なった」世界から伝わった、ポーカーというゲーム。

 最初は、和気あいあいとしていた。

 されど、白熱し、ゲームが勝負に変わってしまってからは――


「いい加減にしろ! 【騎士ドラウグル】ビリー・ザ・キッド! わたしの【名無し】の剣士の前で、ろくでもない言葉を連呼するんじゃない!」

「言いたくもなるわ! 一人で全勝してんだぞ、こいつってば! つーかお前ら、絶っっっっっ対なんか変な入れ知恵してんだろ、そうなんだろ? そうなんですってお言いいやがんなさいよ、コラ!」

「……ビリーさん、もうやめましょうよ。大人気ないですよ」


 アシュロンの森の死闘から、既に三日経っていた。

 キリたちは今、幌馬車の上にいる。













「とりあえず、町を目指そう。今の俺たちに必要なのは物資と情報、それと屋根がある休める場所だ」


 ビリーの提案で、一行は町を目指すことを決めた。

 そうして平原に刻まれた道を歩いていた時、偶然通りかかった幌馬車に乗せてもらえたのだ。

 幌馬車の主である人間の老夫婦は言っていた。エルフが治めるロックヴィル領にある、ブレンダの町へ向かう途中なのだと。


「乗っておいき。料金はいらんよ。旅は道連れ世は情け、と言うじゃろう」


 老夫婦の片割れの老婆は優しく言って、キリにお菓子をくれた。


「その代わり、なにかあったらあの腕っぷしのよさそうな兄さんたちに色々頼ませておくれ」

「なにかって?」

「荷を狙って、盗賊が出るんじゃよ。ゴブリンの亜人だのオークの亜人だのコボルトの亜人だの、「悪しき」者どもの悪意と欲望は文字通り底なしでの。あれは、死んでも治らんじゃろうな」













 キリは混乱していた。あーだこーだ大騒ぎしているビリーの声が、どこか遠く感じてしまうくらい。

 トランプを置く。膝を抱いて、顔を埋めた。

 一応、分かっているつもりだ。ここはもう、トルシュ村じゃないのだ。

 鼻をすすった。目の奥が不意に熱くなって、じわじわ痛くなってきた。


「…………」


 潤みかけた視界に、何かが映る。

 大きい手のひらだ。


「デッド・スワロゥ……」


 そのまま、頭を優しく撫でられる。

 何人もの人を殺した手だ。だけれども、それは全てキリを護るためだ。


「……ありがとう。……うん、わたしも、頑張ってみる、頑張るよ」


 目をこすって、目の奥の熱さと痛みを追い払った。

 そうだ。これから大変なのは、キリだけじゃないんだ。

 デッド・スワロゥがキリを護ってくれたように、キリだって――流石に戦うのは無理かもしれないけど、何か別のことでデッド・スワロゥを助けれたり護ることができたらいいなって思った。

 

 ぐぅぅ。


 ほんの少しだけ前向きになれた、と思ったら元気が出た。そうしたら、盛大にお腹が鳴る。

 そういえば、ほとんどものを食べてなかったんだった。大変なこと続きだったのもあるけれど。


「そうだ!」


 キリは、老婆からもらったお菓子の存在を思い出す。

 小さな巾着袋だ。中には、干した杏が入っている。

 いくつか出して、デッド・スワロゥに差し出した。


「あの、もしよかったら、お菓子、一緒に食べ、ない?」



 ディスコルディアの目が若干怖かったのは何故だろう?

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