第69話


 魔物の最強種、【深紅】カーバンクルは遥か上空にいた。

 アシュロンの森を、【獄炎】ゲリュオンが乱入した戦いを、時に茶々を入れながら、【遠見】のスキルで見物している。


〈ひゅうっ♪ 大胆なんだから、もぅ! にしてもさぁ〉


 彼が知る限り、【獄炎】ゲリュオンはやすやすと他者に胸襟を開く者ではないのだ。


〈キミって奴は、今の今までアヴァルス様に操を立てていたわけじゃん。それを、たった一回出会っただけの人間の男っぽいような? そうでないような? 赤毛のわけわからない存在のためなんかのために、易々と捨てるかなぁ?

 いや、ぶっちゃけボクは、キミの操だの忠義だのには興味ないんだけどさ。パートナーだって勧めたことないしさ。そこまで親身に尽くしてやりたいって思うほどの仲じゃないしさ。……なのに、どうしてなんだい?〉


【深紅】カーバンクルは、ごちる。


〈全部、偶然、なんだよね? あの赤毛が、【白焔びゃくえん】と【黒翼こくよく】のお方たちを……アキツキ様とアヴァルス様、どっちかっていうとアヴァルス様を思い起こさせる、お力と……なにより面影を持っているなんて〉


 遥か下の地上から、轟音! そして、咆哮。


〈本当に全部、偶然、なんだよね? ボクたちが隠れ住むアシュロンの森に、なによりキミの前に現れたのも、キミを助けたのも、ボクがこうしてもやもやしなきゃいけないのも……おっと!〉


 青白い炎の柱が噴き上がるのが見えた。

 あらかじめ決めていた合図だ。


〈引き裂けろそらよ、大地よ激震せふるえよ、流星群りゅうせいぐん













 ウィリアムは、見た。

 真の姿を現した魔物の最強種、【獄炎】ゲリュオンを。

 その背に跨るのは、【名無し】の剣士。


「待」


 轟音が鼓膜を殴り、ウィリアムの必死の叫び声をかき消す。

 噴き上がるのは、青白い炎の柱。

 その中心で棹立ちになったゲリュオンから、悪霊の哄笑じみた不気味な咆哮が上がる。

 覚えているのは、そこまでだ。

 正直言って、生き残れたのは奇跡に近い。

 文字通り、雨あられときた。天を引き裂いて飛来する、流星の群れは。













 轟音が、鼓膜を殴る。

 あちこちから、魔物たちの叫び声が上がっていた。

 足音が、地面を激震させる。空から雨あられと降り注ぐ流れ星たちに、パニックに陥っているようだ。

 アシュロンの森は、今、滅茶苦茶だった。




「流星群の攻撃魔法、だと? 軍事要塞をも一発で壊滅させる大魔法だぞ!?」

「全く、派手にやりおるわい。じゃが安心せい、ブッ放した奴は味方じゃ」

「じいさん……いや、ゲンゾーさん。あんた、本当は一体、何者だ?」

「だから、ただのゴブリンの亜人のクソジジイじゃて」

「嘘つけ! 絶対嘘だろ!」

「それより、そろそろ出口じゃぞ」

「ね、ねぇ……」


 上着の裾を、引っ張られる。

 ピークに達しているであろう不安で。泣きそうなキリと目が合う。


「デッド・スワロゥは?」

「大丈夫だ」


 安心させるため、手を握ってやった。


「心配しなくても、アイツは来るよ」

「絶対に?」

「絶対に、だ。見ろよ、ほら!」


 ビリーの背後から、青白い炎の塊が猛烈なスピードで疾走してくる。

 その背に跨るのは――


「そう簡単に死ぬかっつーの。アイツってば、【騎士ドラウグル】なんだぜ?

 なにより、お嬢ちゃんにとっちゃ、英雄そのものなんだろ?」

「……うんっ!」


 ――と、唐突に、森がひらけた。

 頭上には青空が、黒い葉に遮られず広がっている。

 降り注ぐ陽光が、平原に光のじゅうたんを広げていた。

 キリは、目を細める。

 生まれて初めて見る外の世界は、なんて広いんだろう。

 












 ボレアスは徐々にスピードを緩め、やがて止まった。ソールも同様に。

 止まった二頭のフェンリルたちから大分離れた先で、青白い炎の塊もまた止まった。

 ボレアスの背から降ろしてもらって、キリはひた走る。

 キリが無事を祈っていた存在は、わざわざ降りて待ってくれていた。

 転びそうになりながら、走って――【名無し】の剣士の胸に飛び込む。嬉しさの涙が、あふれ出る。


「デッド・スワロゥ! 無事で……無事でよかった」













 イシスが出現した時、ディスコルディアは上空から地上を睥睨していた。

 その表情には、どこか翳りがある。


「我が同胞たる【魔神】ディスコルディア、どうしたのよ、そんな浮かない顔をして」

「…………」

「まったく、とんでもない傑物なのよ。お前の契約者たる【騎士ドラウグル】は。転生させる以前、ただの戦い上手な人間であったのか、ぶっちゃけ疑わしいのよ」

「…………」

「ディスコルディア?」


 称賛の声に、しかし、ディスコルディアは答えない。

 そもそも、言葉が耳に入っているのかどうか。

 藍色の双眸は憂いを帯び、【名無し】の剣士をじっと見つめている。

【魔神】の中で最も無慈悲なはずのディスコルディアが、いかなる思いを抱いているのか。


「来るべき終焉、決戦の刻まで、くれぐれも【名無し】の剣士を大事に大事にしてやるのよ、ディスコルディア……けれど、肝に命じておくのよ」


 察したイシスは、口調に含みを持たせて告げる。


「人とそうでない者ならば、起こり得る悲劇もあるのよ。熱ければ熱く、深ければ深いほど。













 それ以前に、我ら【魔神】は……人など愛せやしないのよ」

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