第67話


 やばい、と思った時には、もう遅かった。

 衝撃に耐えきれず、がくり――と、片膝をつく。

 突き立った場所から、黒いものがじわじわと広がっていくのが分かる。

 おそらく、毒矢。


「仕留めたかっ!?」

「【名無し】の剣士っ!」

『クソッ、伏兵か!』


 肩を抑え、周囲を見渡す。

 周囲、木々の影、潜む者たちがいた。

 舌打ちする。完全に、失念していた。

 敵は必ず一人とは限らないのだ。

 追い詰めてくる相手だって。


「そこまでにしてもらいましょうか」


 冷たい声が、叩きつけられる。

 振り向けば、一人、こちらに向かってくる者がいた。

 黄みを含んだ、深みのある黒い肌の男だ。紫水晶を思わせる色の眼が、こちらを見据えている。

 手に、弓はなかった。おそらく、射ってくれやがった奴ではない。

 故に、気づいたことがあった。


『こいつは、亜人? いや、人間? どっちだ?』

「ウィリアム軍曹、危険です! 今、とどめを」

「必要ありません」

「しかし!」

「必要ないと言っている!」


 そいつは、甲冑と衣服を身に纏っている。

 見覚えがあった。この世界に降り立った際に殺してやった男たちが、なにより打ち破った【六竜将】イカズチが身に纏っていたのと同じもの。

 ざぶざぶ、という音。

 気づけば、相手は――ウィリアムと呼ばれた男は側に立っていた。


「よくも、やってくれたな。仲間を……ジャックマンを。よくも、命を奪ってくれたな、友人を、英雄を……イカズチを」

 

 こちらを見下す眼は、仲間を殺された狼のよう。

 発する声は、隠しきれぬ憤怒に掠れていた。

 全身からあふれ出るどす赤い殺意を、必死に抑え込んでいる。


『やっ……べぇ……な。これ、は……』

「いかんっ!」


 ディスコルディアの、焦燥の声。

 間近で聞いているはずなのに、どこか遠く感じた。もっとも、聞こえたところでどうにかなるわけではないのだが。

 あてられた、わけではない。

 身体が、ぐらりと、揺れた。

 膝が砕け、倒れる。

 両手をついて、倒れ伏すことだけはなんとか防ぐ。

 しかし、それきりだ。身動きがとれない。

 自分でも分かっている。

 激戦に次ぐ激戦にきていたガタに、止めを刺されたからだ。


『動け、動……け、よ!』

「しっかりしろ、【名無し】の剣士! 立て、立たぬかっ! 我が契約者たる【騎士ドラウグル】っ!」

『こんな、ところで……俺は、また』


 死ぬのか。

 敗者に成り下がるのか。




 首筋に、ひやりとした感触。


『畜生ッ……!』


 毒々しい紫色に染まった刃物が当てられ、そのまま――













 相手の命を手中にしながら、ウィリアムは、一つ思う事があった。

 それは、イカズチの死を知った際、明らかになった驚愕の事件である。


「これをっ!」


 トルシュ村の跡で、部下から短剣が差し出された。

 十字を意匠化したものだ。全体に、繊細華美な装飾が施されている。

 おそらく、手に取って戦うための武器ではなく、自決用のもの。

 問題は、その鍔に刻まれた【聖なる竜ズメウ】の紋章。

 それは、この世界で唯一、亜人が人権を持つことが許される国のシンボル。


「【赤竜王国】の者、だと!」

「それだけではありません。こいつは、【クルースニク】です!」

「なん、だと……」


 部下から告げられた名に、ウィリアムは息を呑む。


「何故、【赤竜王国】の者が、それも暗殺部隊が、このアシュロンの森に?」




 その後、ウィリアムは遺体の検分に立ち会うことになる。

 偽装のためだろう、【クルースニク】のエルフの男は、【黒竜帝国】の軍服と鎧を纏っていた。

 察するに、一撃で倒されていた。

 イカズチを殺した相手と、全く同じ武器でもって。

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