第66話
正直、ディスコルディアは失望していた。
【名無し】の剣士は、得物を封じられている。
おまけに、何を血迷ったのか足場の悪い川に飛び込んだ。
「終わった、な」
挙句、刀を――いくら使い物にならないとはいえ、投げ捨てたのだ。
ともかく、【名無し】の剣士はこれで終わる。大狼と化した魔族の亜人の牙にかかり、
率直に、そう思っていた。
ディスコルディアの期待は外れる、希望はここで潰える。
「……は!?」
――はずだった。
「なん、だとっ……!?」
『追いつめてくれたな、デカブツ』
【名無し】の剣士は、大上段の構えから――刀を投げ捨てる。
そう力を込めたつもりはなかったのだが、手放したそれは川向こうの木にぶっ刺さった。
『来いよ……俺を、殺してみろ!』
大狼――ジャックマンが、迫り来る。
開いた大顎の奥から吹きつけられる、死のにおい。
両腕を、前に、突き出す。
そして、大顎に捉われる、その目前――
がっ!!
――逆に、捉え返す。
上顎と下顎を、がっちり掴んだ。
自分を捉えようとしたそれを、抑え込む。
『ぅぉおおおおおおおおおおんんんんどぉぉぉおおおおおおおおるるるるるううぅぅぅああああああああああああああ!!!!!!』
そのまま持ち上げ、後方へ投げ――
『どぉおおおおおおおおおっっっっせぇぇええええええええぃぃいっ!!!!!!』
――大狼=ジャックマンの背面を、川面に叩きつける。
凄まじい重量の存在が凄まじい力によって落下したことで生じる、轟音ッ! から上がる、さかしまの大瀑布!
「な、【名無し】の剣、士……お前、お、お前……」
相変わらず全てを見ているのだろう、ディスコルディアの声は震えていた。
当たり前といえば当たり前である。やらかしたのは、非常識の極みでしかないのだから。
自分の何倍もの重量を持つ存在、しかも、猛烈な勢いでもって襲い来たそれを受け止めるだけでなく、持ち上げ、投げ、叩き落とすなど。
とてもじゃないが、人間業ではない。
【
はっきり言って、これは大博打である。
気まぐれな運命の女神すらも強制的に振り向かせる、この危険かつ無謀な大技は。
圧倒的不利にしかならない窮地、どうしようもない危険・危機の極致の状態にわざと飛び込み、さながら追い詰められ切ったネズミに自らなる。
そうすることで、通常決して出せない力を解放するのだ。
所謂、火事場の馬鹿力というやつを。
それに更に、【
『やって、やったぜ!』
喘鳴を吐き、汗を拭う。
『勝っ……た!』
「お前という、奴は、なんという……全く……」
【名無し】の剣士の側に、ディスコルディが出現する。
「だが、よく勝った! 逆境からあのような奇策に打って出るとは、褒めてつかわすぞ!」
『…………』
やらかした反動か、全身くまなく痛い。死ぬ程痛い。
故に、反応が遅れたからだ。
風切音!
どすッ!
衝撃は、背後から。
左肩に、矢が、深々と、突き立つ。
『……!? ぐっぉ、がぁ……っ!』
「【名無し】の剣士!?」
「動くなっ!」
アシュロンの森は、彼女――【
だが、今は、行く手を阻む呪縛である。
立ち並ぶ木々の間を、ゲリュオンはただひたすら走っていた。
〈一刻も早く……早く、あの者の元に辿り着かねば!〉
ずきずきと、こめかみの辺りが焦燥と罪悪感で圧迫される。
知らなかったとはいえ、恩を仇で返してしまった。
――〈あの冴えたおっかない剣技は、まるで……アキツキ様かアヴァルス様、どっちかを見ているみたいだったよ〉
それだけじゃない。
今思えば、あの凄まじい剣技は、ゲリュオンのかつての主のもの。
ゲリュオンは走っていた。走って、走って――
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