第65話


 視線が噛み合う。見えない火花が散る。

 一触即発。


 先に動いたのは、ジャックマンだった。


『来るか!?』


 膨れ上がる、殺意。


 ガチンっ!


 目の前で、大狼の顎が閉じた。

 結果を先に言えば、ジャックマンの必殺の一撃、噛みつきの技は、【名無し】の剣士を捉えずに終わっている。

【名無し】の剣士は、反応というより予測して避けた。


 ガチンっ!


 間髪入れず、二撃目がくる。これも、避けた。

 避けることができたのは、あくまで噛みつきの技だけだ。


 AWOOOOOOOOOOO!!!!


 咆哮が、轟く。


『……ぐっ!?』


 放たれたのは、音の暴力だけではない。

 まるで、巨人の一撃をくらったかのようだった。

【名無し】の剣士の身体は、そのまま文字通り、大きく弾き飛ばされる。

 それでも宙で一回転し、着地。後方へ大きく跳んで、距離を稼ぐ。

 冷や汗が、背をべっとりと濡らしていた。

 おそらく、先程駆使していた技、炎や金属を放つ攻撃手段と同じものだろう。

 それを、妙な言葉の羅列ではなく咆哮で発動させ、衝撃を放ってきたに違いない。


『厄介だ、な』


 正直、【名無し】の剣士は相手を見くびっていた。

 相手は、復讐心に動かされるだけの獣ではなかったのだから。

 まともに殺りあったところで、勝機は無いだろう。仮に、刀が使えたとしてもだ。

 そういうわけだから、【名無し】の剣士は、身を翻した。


「……!? おいっ!」


 木々の間に飛び込み、その場から離脱する。


「待ちやがれ、この野郎!」


 不意の行動だったからか、先程のようなものは襲ってこなかった。

 飛んできた怒号を背中に受けながら、逃げる先――の遥か先を目指す。

 聴覚が、水の音をとらえる。

 間違いない。これから行こうとする先には、川がある。














「敵に背中を晒すか、【騎士ドラウグル】! それでも戦士か!」

 

 藪を、ぶち破る。

 倒木や岩を、跳び越える。

 木の枝や落ち葉が、砕ける音。

 踏み潰した草の汁が、噴き上がる。

 プライドを逆なでするような挑発は、しかし、意味を為さなかった。

 常人を遥かに超える俊敏さと速さで、【騎士ドラウグル】――【名無し】の剣士はアシュロンの森をただひたすら駆け抜けていく。ジャックマンは、それをただひたすら追う。

 唐突に、森がひらけた。

 草がまばらに生えた、岩場が広がっている。

 ごぅごぅと、水が唸る音。川がある。

 その中心に、【名無し】の剣士はいた。

 流れは速い。だが、揺らぐことなく立って、ジャックマンを見据えている。

 ジャックマンは、困惑した。【名無し】の剣士の狙いが、全く読めないからだ。

 追われた狐や狼は、時に川に飛び込んで逃げるという。流れ水で体臭を消し、猟犬の鼻から逃れるために。

 だが、【名無し】の剣士は逃げない。ただ、立っているだけ。


「なんの、つもりだ?」


 形はどうあれ答えることはなかった。得物を――鎖によって斬撃が封じられた刀を構える。

 大上段の構え。

 恐らく、投げるつもりなのだろう。

 血迷ったか。挙句、捨て身でくるつもりか。

 無理もない。今の【名無し】の剣士は、さながら追い詰められ切ったネズミ同然なのだから。

 瞬間、目が合う。

 互いの戦意と殺意の眼光が、ぶつかり合う。

 それが、戦いの合図となる。

 ジャックマンは、地を蹴った。

 顎を、開く。

 攻撃魔法は、放たなかった。

 直に殺す。この姿における最大の武器、牙の一撃に、自分の全てを賭ける。

 身内の死は、仇の血で贖わせるべきなのだ。

 だが、その牙が、【名無し】の剣士の命を砕くことはなかった。

 喰らいついた、と思った瞬間――


「んなっ!?」


 ――ジャックマンの身体は、宙を舞っていたのだから。


 轟音!

 川に落下、水面をブチ破る。

 浮遊感を、冷たい水の抱擁を受けた。

 息が、詰まる。

 襲い来る衝撃。ガチで身体が砕けたかと思った。

 視界が、ぶれる。

 まずい、と思う思考すらも。


 ブラックアウト。


 ジャックマンの意識は、闇に呑まれる。

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