第64話


 風で鳴る、木々の葉の音。

 潜む魔物たちの、息づかい。

 迫りくる、大狼の呼吸音と足音。

 それらに混じって聞こえてくるのは――


「して、我が【騎士ドラウグル】、【名無し】の剣士よ。この苦境を、どう脱するつもりなのだ?」


 先の言動から、なにかやらかすことを察知したのだろう。

 周囲をふわりふわりと飛び交いながら、ディスコルディアは興味津々の面持ちで【名無し】の剣士の顔をのぞきこんでくる。


『ディスコルディア、一つ聞きたい』

「うむ、何だ?」

『この近くに、川があるんだよな?』

「……!? 何故、そう、言えるのだ?」

『質問に質問で返すんじゃねぇよ。川が、あるんだよな?』

「あることには、あるが?」

『よし、それなら……!』


 分かれば、あとは行動を起こすのみ。

 期待に目を爛々とさせているディスコルディアは一旦無視した。

【名無し】の剣士はゲンゾ―の肩を叩く。


「うん、なんじゃ?」

『悪いけど、じいさん……あとは頼む!』

「デッド・スワロゥ!?」

「ちょっと! ちょっとちょっと!? お前、一体何を!?」

『先に行ってろ!』


【名無し】の剣士は、ためらわなかった。

 爆走するソールの背から、飛び降りる。


「デッド・スワロゥ!? きゃあああああいやぁああああ!? デッド・スワロゥが!」


 キリから、悲鳴が上がった。

 しかし、一気に遠ざかっていく。

 落下。

 地面に叩きつけれる寸前、しかし、受け身をとる。














「よぉ。ようやく、一対一サシで戦う覚悟を決めたようだな」


 地面に降り立った【名無し】の剣士の前で、大狼=ジャックマンは止まった。


「一応、戦士の礼儀で名乗るぜ。

 俺は、ジャックマン。ジャックマン・ローガン。

【黒竜帝国】軍【六竜将】イカズチが率いる【鳴神隊なるかみたい】の副長補佐を担っている」


【名無し】の剣士は、どういう形であれ答えることはなかった。

 と、いうのも――


『名乗りから察するに、こいつはどこかでけぇ国に仕官する兵隊か?』

「そのようだな」

『それにしても、面妖な野郎だぜ。妙な風体の野郎がばかでかい狼に、ばかでかい狼になったかと思えば妙な力を使い、おまけにばかでかい狼の口で人の言葉を喋りやがる』 

「この程度、この世界では普通だぞ?」

『さっきの奴と同じようなモンか?』

「あれは蟲人むしびとだったが、こいつは魔族だな。確か、あの戦いでほぼ死滅したはずだったが……」


 ――傍らのディスコルディアに、物問うていたからだ。


「おいおい、折角俺が名乗ってやったってのに、だんまりかよ?」


 大狼=ジャックマンの、口端が歪む。

【名無し】の剣士には、名乗りを上げぬ者への嘲笑に見えた。


『いや、ンなこと言われてもな……』

「それはそうと、俺の名乗りを聞いて、なにか思うことはないか?」

『あ?』

「【六竜将】イカズチ」

『そういうことか』

「俺の英雄で、戦友で、親友。なにより、希望の光だった男だ」

『要は、上官の仇討ちってわけか』

「おいおい、だんまりか? 殺ってくれやがったのはてめぇなのによ、【騎士ドラウグル】!」

『そういうことかい』














 ジャックマンは、力をたわめていた。牙を噛み鳴らし、鼻面にしわを寄せる。

 得物を封じ、追い詰めた。だが、油断はならない。

 相手を見据える。僅かな所作ですら、見逃さないために。

 だからこそ、気づけることがある。


 ――この【騎士ドラウグル】の側に、なにか、いる?


 姿は見えず、声は聞こえず、気配は無く。

 しかし、なにかの存在を感じる。

 ジャックマンがそう思い至ったのには、理由があった。

 目の動きだ。

 目は口ほどに物を言う。実際その通りだ。

 闘技奴隷グラディエーターとして、兵士として、こういう死線を幾度もくぐり抜けたジャックマンは、知っている。

 目が伝えるのは、相手の感情だけではない。

 相手が内に秘めている情報も、また然り。

 実際そうだ。目の前の相手は、ジャックマン以外のものを確かに見ている。

 おそらく、土方歳三ヒジカタトシゾウやジャンヌ・ダルク、今は亡き井上源三郎イノウエゲンザブロウが見ているものと同じものを。

 だが、構うものか。


「俺と戦え、【騎士ドラウグル】! 親友イカズチの無念は、俺が晴らす!」


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