第61話
炎を目にしているというのに、悪寒が襲い来るのは何故だろう。
唐突に――ぼひゅっ!
縦、真っ二つ。
炎が、断ち割られる。
「馬、鹿……な!」
ソールとボレアスは、今は亡きゲンゾ―の相棒、かつて戦場を共に駆け抜けた魔物の最強種、【銀帝】フェンリルの遺児たち。
まだ子供でも、相応の力をつけてきている――はずだ。
だがそいつは、その相応の力を打ち破った。
緩慢な動きで、ゆっくりと、立ち上がる。
炎に包まれたはずなのに、火傷どころか焼け焦げ一つ身体にない。
おそらく、何らかの魔法を使ったのだと、ゲンゾ―は推察する。
相手は、魔族の亜人。全ての者が生まれながら、
魔族の亜人は、500年前の戦いの末期、【転生者】に従うことを拒んだためにそのほぼ全てが滅ぼされた。
この男は、まだ若い。年齢は、30歳くらいだろう。
青い肌には、縦横無尽に走る無数の傷跡があった。数々の修羅場と戦場を駆け抜けてきた証だろう。
猫のような縦長の瞳孔を内包した眼は、
灯る眼光は、
魔族の亜人の男は、ゲンゾ―の方を、ただ真っ直ぐ見ている。
ゲンゾ―を、ではない。
「あんた……あんた、一体、何者じゃ? 一体、どれほどのことをしでかしたんじゃ?」
そんな眼光の先に在る【名無し】の男は、答えることをしなかった。
声を失っていることを知るのは、少し後のことなのだが。
「この、クソ外道ォ……!」
だが、理由はどうあれ戦いの引き金となる。
ジャックマンは、目を閉じる。意識を集中させるためだ。
血流の奥で脈動するものを感じる。
それは、ジャックマンが受け継いだ力だ。
ジャックマンの母は、それを【マニ】と呼んでいた。いにしえの時代より、魔族の亜人に引き継がれる血の霊性に宿るものなのだと。
「【マニ】とは、わたしたち魔族の亜人が持つもの」
母は、言った。
「心と身体を行き交う力を解き放ち、纏い、振るう。それが、魔族の亜人に受け継がれてきた、戦う術」
凶悪な攻撃性が、ざわつく。
湧き起こるのは、戦いに挑む嗜虐的な昂揚感。
「てめぇは、俺の、全力で殺してやる!」
瞬間、ジャックマンの身体が、紫電を纏った。
「げっ!?」
狼狽の声が聞こえてくる。
だが、もう、遅い。
かっ! と、目を見開く。
力を、解き放つ。
AWOOOOOOOOOOO!!!!
奈落の底から響いてくるような、怨嗟の咆哮。
それは徐々に、解き放たれることへの喜びに満ちた雄叫びに変わっていく。
放たれているのは、ジャックマンの喉からだ。
「なんだ、あいつ……どうなっちまったんだよ」
ビリーの呟きは、畏怖に震えていた。
目の前で始まったのは、変貌だ。
耳元まで、口が裂ける。歯は牙と化し、獣のものと化す。
内側から生まれた肉と筋肉は、ジャックマンの身体を三倍近くも巨大化させた。
変貌に伴い、纏っていた衣服が引き千切れ飛ぶ。
むき出しになった身体の表面には、体毛がびっしりと生まれ出る。
嵐がやって来る前の静けさの曇天を思わせる灰色のそれは、装甲のように全身を覆っていく。膨張した腰から吐き出された、尻尾も同様に。
ジャックマンの身体は、異質な存在へと変わりつつあった。
頭蓋骨の変形と共に、鼻と耳が前方に突き出す。耳は、頭頂へとせり上がる。
両腕は、前脚になる。地面につかれたものの先に備わるのは、先端が尖った爪。
「おお、おおかみ……」
ゲンゾ―が、かすれたうめき声を漏らす。
「
AWOOOOOOOOOOO!!!!
唯一変わっていないのは、猫のものを思わせる茜色の目だけ。
それ以外全てを変貌させ終えたジャックマンは、天を仰ぎ、咆哮した。
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