第59話


 ビリーは、眼前の光景を見ていた。

【名無し】の剣士と相対する、強敵。

 自分たちは、その強敵の仲間に押さえられている。

 キリはただ、震えている。

 しばし間を置いて、【名無し】の剣士は刀を地面に下ろした。

 だが、炯々と光る目から戦意は消えていない。

 それを嘲笑うかのよう、相対するジャックマンは懐から金属の手錠を取り出す。


「あーあ、我が同胞たる【魔神】ディスコルディアの【騎士ドラウグル】……これは完全に、詰んだのよ」

「そぉかぁ?」


 嘆息するイシスを尻目に、ビリーはパンを――先程、会話の合間にゲンゾーから分けてもらったものを噛んだ。


「ところで、我が契約者たる【騎士ドラウグル】よ」

「なんだよ?」

「アンタ……本っ当に性格最っ悪なのよ。肌白いくせに、腹の中は暗黒なのよ」

「だろーな、けっけけけけ……」

「おい、貴様、なに笑っていやがる?」


 唇に冷たい味を感じていると、敵の仲間の片割れに小突かれる。

 リザードマンの亜人の男だ。名前は確か、ドルトンといったか。

 冒険者風のラフな旅装をしているが、その正体は軍人である。

 この【異世界】では、「悪しき」種族である亜人が軍服を纏うなどありえないことだ。

 だが、例外がないわけではない。

 一つは、若き女皇帝ベラドンナが統べる【黒竜帝国】。

 もう一つは――


「なぁ、ゲンゾーじいさんよ」

「なんじゃ?」

「もういっぺん聞くぜ。さっきのことなんだけどさ、マジなんだよな?」

「……ああ、本当のことじゃ」

「いやぁ、驚いたぜ。まさか、アイツがさぁ……」

「オイ、貴様、いい加減にしろ!」

「あだっ!?」


 後頭部に衝撃がきた。

 振り向けば、引っ叩いてくれやがったであろうドルトンと目が合う。


「貴様、自分の立場が分かっていないようだな!」

「分かってますよー、栄えある【黒竜帝国】軍人の旦那様」

「なら、そのふざけた口を閉じないか!」

「閉じようにも閉じられませんよ。見ての通り、俺、パン食ってるんですから。ってか、軍人の旦那様は、口を閉じたままパンを食えるってんですか?」

「屁理屈を!」

「ドルトン、やめろ」

「止めんなよ、トランボ! こういうふざけた野郎は、いっぺん痛い目遭わせてやらねぇと」

「止めろとは言わん、あとにしろ!」


 ビリーの煽りの軽口に今一度拳を振り下ろしかけたドルトンを、トランボ――仲間の鬼人キジンの亜人が止める。

 だが、決して庇ってくれたわけではない。


「おい、貴様」


 向けられた声に、ビリーは内心ほくそ笑む。

 うまく引っかかってくれた。


 ――それに、あと少しだ。


「なんすか? 軍人の旦那様」

「さっき、なにか口走ったよな?」

「はて、なんのことで?」

「すっとぼけるな、そこのゴブリンの亜人のジジィに言ったことだ」

「ああ、あれっすか」


 パンを噛む。唇には、固く冷たい味。


 ――あと少し。


「…………ってことですけど?」

「はぁ?」


 ――あと、もう少し。


「だから…………ってことなんですけど?」

「聞こえないぞ、ちゃんとはっきり言え!」


 ――よし、来てる来てる来てる。


「だから……」


 ――そろそろ頃合いだ。


 ビリーは、問いに答えなかった。


「プフーッッ!」


 その代わり、パンに思い切り、息を吹き込んだ。


「は!?」













「ワォオオオオオオン!!」

「ワォオオオオオオン!!」


 直後、背後から、咆哮。

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