第58話


 キリは、眼前の光景を呆然と見ていた。

 キリにとって、亜人は優しい存在でしかなかった。

 故に、敵であるはずなど、自分に刃を向けてくるなど、決してありえないはずだった。

 なにより、父と同じ魔族の亜人が。


「どうして……?」













 魔法が、発動。

 眼前に、鎖が出現する。

 それは【名無し】の剣士に向かって、獲物に飛びかかる毒蛇の勢いで伸び、飛んだ。


「チィッ!」


 魔法を発動させた髭面の亜人の男――冒険者に変装していたジャックマンは、舌打ちする。

 勘づかれた!

 だが、相手を罠にかけることは出来た。

 あとは、どうにでもできる。













 鎖の出現と同時に、【名無し】の剣士は刀を抜いていた。

 自身を縛すはずだったものを、弾こうとする。

 だが――


「戒めろ!」

『……!?』


 ぎゃりりりりんっ!


 事態は、思わぬ方向に転がる。

 得物に、鎖が絡まる。そのまま外れることなく、刀身を戒めた。


「かかったな!」

 

 ずんっ!


 直後、衝撃。

 重たい一撃を、受け止める。

 ジャックマンの両手には、既に得物があった。

 長さはおよそ1,5尺。木材をアルファベットのTの字型に組んだ、シンプルな形状。

 この武器は確か、トンファーだ。琉球王国に伝わる古武術の武器。

 攻防一体の武器。主に、刀使いと戦うために作られたとされているもの。


『【異世界】にトンファーあんのかよっ!?』


 間髪入れず襲い来る、一撃、一撃、一撃。

 その全てが、速く、重い。

 こちらの攻撃が追いつかない。

 否、話はそれ以前だ。

 攻撃に転じようとするも、巻き付いた鎖によって刃を封じている。

 ――ここで、ようやく思い知らされる。


『クソッ、斬れねぇ!』


 謀られた。

 これでは、斬れない。













 鎖が打ち払われることは、想定内だ。

 故に、ジャックマンは更に魔法を発動させる。

 斬撃を封じるため、鎖を相手の得物、刃の部分に巻きつけた。

【名無し】の剣士が知る所ではないが、この魔法は実は一般に流通していないものだったりする。

 ジャックマンは、魔族の亜人。

 強力な魔力を持ち、血に秘めた高い霊性により、生まれながら特殊ユニークスキルを持つ種族。

 特殊ユニークスキル【魔法開発】によって生み出されたこの魔法は、元々は嫌がらせで生み出した魔法だ。

 あの胸糞野郎、【騎士ドラウグル土方ヒジカタ歳三トシゾウをいつかぶちのめすためだけに。













 忘れもしない半年前、あれは【黒竜帝国】で行われた御前試合でのこと。

 その第三試合、ジャックマンが相対することになったのは、ベラドンナ陛下の側近の一人――【騎士ドラウグル】土方歳三。

 結果は、ジャックマンの大敗に終わった。

 正直言って、散々だった。

 一言で言えば、「異なった」世界で言うところの「フルボッコ」状態だったのだから。

 問題が起きたのは、その後だ。

 試合出場者たちの控え室で、ジャックマンは偶然、土方に会った。

 この時まではまだ、ジャックマンは土方の強さに心酔していた。

 だから、圧倒的な強さを持つ土方を、戦士として純粋に称賛したのだ。

 だが――


「馬鹿野郎が、貴様に俺の何が分かる」


 土方から返されたのは、冷ややかな眼差しと、嘲笑交じりの侮蔑。


「そもそも敗北すら知らない俺が、そんなおべんちゃらを聞いたところで喜ぶとでも?」


 その場にいた全員を巻き込んだ、盛大な乱闘騒ぎが起こったのは言うまでもない。













 ジャックマンは、意識を現在に戻す。

 全力の一撃一撃を【名無し】の剣士に、土方と同じ【騎士ドラウグル】に叩きこんでいく。

騎士ドラウグル】は、文字通り異次元の強さを誇る存在である。

 戦士の敗北の無念など、知ったことではないのだ。

 強者と対峙しようと、手にするのはどうせつまらない勝利ばかり。

 自身の強さを上回る者など、敗北を知らせる相手など、最初から存在していない。

 親友イカズチを殺したのは、そんなくそったれだ。

 容赦などしてやるものか。

 攻撃と防御をすることすらままならぬ速さと力で、粉砕してやる。













【名無し】の剣士は、防戦一方に追い込まれていた。

 斬ることを封じられたから、だけではない。

 長年愛用の得物は、今や【名無し】の剣士を苦しめる拷問具である。


『クソ重てぇ、畜生』


 刃に巻き付いた鎖には、かなりの重量があった。

 既に、じり貧だ。一振りごとに、体力がじりじり削られていくのが分かる。

 かといって、手放すわけにはいかない。


「くくくっ……息が上がり始めているな、【名無し】の剣士よ。さて、いつまでもつかな?」


 その様を、ディスコルディアはにやにや笑いながら見物している。

 それでもまだもっていられるのは、自分が【騎士ドラウグル】だからだろう。

 正直、どこまでもつか。

 それでも【名無し】が戦えるのは、背後で震えるキリがいるからだ。


「辛いか? しんどいか? ならば、この【魔神】ディスコルディアが救いの手を差し伸べてやってもいいのだぞ?」

『……ッ!?』

「デッド・スワロゥ……」

「そうまでして、助けたいのだろう? 護りたいのだろう? 背後で震えるその少女を」


 話から察するに、【魔神】は【騎士ドラウグル】以外には見ることも、その存在自体を察知することもできないのだという。

 だが、キリはその例外であるらしい。

【名無し】の剣士が護り通さなければいけない存在は。


 ――どうして、何故、なんのために?


【名無し】の剣士が疑問を抱くことはなかった。


「動くな! 武器を捨てろ!」


 ばぁん! と。

 小屋の扉が、蹴り開けられる。













 ジャックマンは、薄く笑う。丁度いいタイミングだ。

 出てきたのは、先に向かわせた仲間たち。リザードマンの亜人ドルトンと、鬼人の亜人キジンのトランボ。


「ビリーさん! ゲンゾーじいちゃん!」


 既に二人は、相手の仲間たちを捕らえている。


「もう一度だけ言う、武器を捨てろ!」













✟✟✟✟✟✟


 1、5尺

 およそ45、5センチ


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る