第57話


 ざくざく、と――草を踏む音。

【名無し】の剣士は、身体を強張らせたキリを背後に回した。


「先客か?」


 木の影から、男がひょっこり姿を現す。

 その声から、害意は感じられなかった。

 筋骨たくましい、髭面の男だ。

 身に纏うのは、一枚の布から作られる着物ではない服。

 ビリーが纏っていたものとどこか似ているが、比べれば随分簡素なそれの上に、甲冑を――【黒竜帝国】の連中が纏っていた金属のものではなく、なめした革で出来ていると思わしきものを纏っていた。

 腰に帯びた剣は、得物だろう。おそらく、なにか荒事に従事する職業者に違いない。

 だが、それら以上に注目すべきなのは、髭面の男が人間ではないことだ。

 肌の色と目を見る限り、亜人である。


『こいつ、亜人、だよな? 村の住人に、こんな変な肌色の亜人はいなかったぞ!?』

「おーい、お前ら! こっちだこっち!」


 振り返り、叫んだ男の声に導かれるよう、藪の影から二人組が現れる。

 一人は、二足歩行のトカゲを思わせる男だ。

 背丈は成人男性ほどあり、つるつる光る黒い鱗に覆われ、腰からは太く長い尻尾が生えていた。

 もう一人は、戯画や絵巻物に登場する、赤鬼を思わせる男だ。

 姿形は人間に近い。だが、額から生えた長い角が、朱色の肌が、彼が人間以外の種族であることを証明していた。

【名無し】の剣士が今は知らないことだが、二人はリザードマン――二足歩行のトカゲのような姿形をした亜人と、鬼人キジン――頭に角を持つ人型の亜人である。

 服装は、皆同じだ。形状はやや違うが、二人とも腰に剣を帯びている。


「おじさんたち、ゲンゾーじいちゃんになにか用があるの?」

「ああ」


 男たちが亜人であることが分かって、ほっとしたのだろう。キリが力を抜くのを感じた。


「毒消しのポーションが切れちまったんだ。分けてもらおうと思ってな」

「そうなんだ」

「ゲンゾーさん、いるか?」

「いる、けど……お客さん、来てるから」

「そうか……おい!」


 髭面の亜人の男の声に、リザードマンの亜人と鬼人キジンの亜人は頷く。そのまま、ゲンゾーの小屋に向かう。


「……あのぅ」

「うん?」


 どういうわけか、髭面の亜人の男だけ、この場に残っていた。


「おじさんたちは何者、なんですか? ゲンゾーじいちゃんの、知り合い、なんですか?」

「知り合いっつーか、なんていうか……まあ、互いに世話になり合っている仲だな」

「……?」

「俺たち、冒険者なんだ。【ホワイト・クローバー】って名前で、チームを組んでいるんだよ。ギルドの依頼でアシュロンの森を探索する時、立ち寄らせてもらってんだ」

「【ホワイト・クローバー】?」

「いい名前だと思わないか?」

「そう、かな。わたしは、そうは、思えない……んだけど」

『……?』


 そのやりとりに、気のせいか違和感を覚える。

 普通に考えれば、おかしい。おかしいことなど、全くないはずなのだが。

 だが、【名無し】の剣士には、それが分からない。


「分からぬというならば、【名無し】の剣士よ、僭越ながらこのディスコルディアが助言をさせていただこうか」


【名無し】の剣士の傍らで、ディスコルディアは一人、愉快そうに笑っていた。


「ホワイト・クローバーを、お前はそもそも知らぬはずだ」

『ああ』

「お前の国の言葉に訳すと、シロツメクサとなる。心臓の形の葉を三枚、希に四枚付ける。白色の花は丸く、非常に可愛らしい形をしている。余談だが、お前が生きた遥か未来の時代、オランダという国の商船での使用方法が、名の由来とされている」

『ふぅーん、で?』

「……シロツメクサの花言葉を、知っているか?」

『知らんわ。花言葉って言葉自体、初めて聞いたし。そもそも、俺が生きた時代のずっと後の植物の花言葉とやらを、どうして俺が知っている?』

「花言葉、それは、草木に対して考え出された、根拠のない象徴的な意味っ! シロツメクサの花言葉っ、それはっ……













 復讐!」

『……!?』

「故に、戦わねば、お前は確実に死ぬぞ」


 驚愕に驚く間もなかった。


「鉄鎖よ、縛せ!」













✟✟✟✟✟✟


 オランダという国の商船での使用方法

 シロツメクサは江戸末期、乾燥させたものをオランダから長崎・出島に運ぶガラス容器の詰め物、緩衝材として使用されていた。

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