第51話


 呼吸が、一瞬停止する。

 相手の渾身の一撃を背中に受け、【名無し】の剣士は文字通りふっ飛ばされた。


『がっ……はっ!』


 ヴァキャヴァキャと――巻き添えを喰らった木々が粉砕される。

 落下の衝撃。地面に叩きつけられる。

 されど、苦痛は声にならず。


「【名無し】の剣士よ」


 立ち上がろうとする【名無し】の剣士の傍らに、ディスコルディアが降り立つ。


「お前は、人間、だよな? 【騎士ドラウグル】である以前に」

『……バカなこと、ほざくんじゃねぇよ』














 ゲリュオンは、全身をたわめた。

 そうして、件の不届きな男を追おうとした、瞬間――


 ぼむんっ!


 脳天に、衝撃が走る。

 完全なる不意打ちに、前脚を折る。


〈いよぅ、【獄炎ごくえん】〉


 屈した姿勢をとらされたゲリュオンの前に、声の――スキル【思念言語】を飛ばした存在が現れる。

 そいつは、ゲリュオンの目前に舞い降りた。


〈お前は、【深紅しんく】!?〉


 一言で言い表すと、そいつは――毛玉である。

 大玉のスイカほどの大きさの毛玉、白く柔らかそうなふわんふわんとした毛玉。

 妖精を思わせる、その大きさに似合わぬ小さな翼をぴょこぴょこ動かし、浮遊している。

 この毛玉の名は、通称【深紅】。

 カーバンクル――ゲリュオンと同じ、最強種の魔物である。


〈お久しぶり、お元気してた? たまには一緒にお散歩でも、と……言いたいとこなんだけど……〉


 しんしんと輝くのは、赤い宝石のような額の突起。


〈まずは、これだけ言わせて?〉

〈……【深紅】?〉

〈この……〉


 その下には、ぴかぴかとした黒いビーズのような双眸。

 今はどういうわけか、びかびかになっている。

 憤怒で。


〈大バカヤロォー!!!〉

〈……!?〉

〈バカバカ大バカ、もういっぺん言わせろ、このっ大バカヤロォー!〉

〈……し、【深紅】!?〉

〈後ろを見ろッ!〉

 

 ゲリュオンは、身を起こす。

 言われるがまま、背後を見る。

 絶句する。

 視線の先にあるのは、一本の木。

 その木にもたれかかるようにして立つのは――


〈なッ!?〉


 ――エルフの男の、死体。

 ゲリュオンはまだ知らないことだが、その死体が纏うのは【黒竜帝国】の軍服と鎧である。


〈本当に気がついていなかったようだね、【獄炎】。キミともあろう者が〉

〈これは……一体、いつから〉

 

 ゲリュオンは、慄いていた。

 思わず、後ずさる。

 その際、何かやわらかいものを踏む。ぶにゃっとした感触のそれは、黒いゼリー状のもの。

 ゲリュオンは、それが何か知っている。これは、肉片だ。


〈魔物の最強種ともあろう【獄炎】が、お気づきでなかったの? そこに潜んでいたんだよ。キミの熱烈な追っかけの、【陰月いんげつ】の陰険ジジイが〉

〈……まさか、そんな!!〉

 

 総毛立つ。


 ――切っ先が地面を差す下段の構えから、大きく右から半月を描くように。

 

 思い出す。あの赤毛の男、奇妙な動作をしていなかったか?

 あれは、下方からゲリュオンに迫っていた【陰月】を、後方にいた敵――おそらく【隠形】のスキルで姿を隠していた者を、斬るためのものだったのではないか?


〈あの男、まさかわたしを?〉

〈だろうねー、でも、おっかないねー。人間、に見えたけど、そうじゃないっぽいし〉


 カーバンクルは、目をしばたかせる。


〈こんなこと言うのアレだけどさ、なんか懐かしいね。500年前を思い出すね。

 あの冴えたおっかない剣技は、まるで……アキツキ様かアヴァルス様、どっちかを見ているみたいだったよ〉

〈…………〉

〈それはそうと、【陰月】のエロジジイ、激おこぷんぷん丸だったよ〉

〈……!〉

〈八つ当たりくらい、するだろうね。アイツ、マジで大人気ないしさ〉

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