第44話


 動きが止まったのは、ほんの一瞬。

 なれど、魔物たちにとっては好機である。

 獲物との間を狭め、牙を立て、爪で引き裂くのには。

 だが、魔物たちはそれを、捨てた。

 捨てざるをえなかったからだ。













 キリは、震えていた。

 後から後から押し寄せてくる、獰猛な鳴き声を発する多くの魔物たち。

 生まれて初めて目にした魔物は、とても恐ろしい生き物だった。

 何年か前、牛飼いのミディー爺ちゃんの牛が一頭いなくなって、お騒ぎになったことがあった。村人総出で探したのだけど、村のどこにもいなかった。

 事件が起きたのは、その翌日。いなくなった牛が、帰ってきたのだ――首だけ、ほとんど骨になった惨い姿になって。

 大人たちはそれを、キリたち子供に見せた。そして、「アシュロンの森に不用意に入ったものは、こうなってしまうんだよ」と、厳しい声で言った。

 あの当時は怖くて怖くて仕方なかった。今思えば、大人たちはあの牛の犠牲を無駄にせず、魔物の脅威を教えてくれたのだろうけど。

 故に、怖くて怖くてたまらなかった。

騎士ドラウグル】ビリー・ザ・キッドは、キリを背後に庇いながらそれらを相手に戦っている。二振りの銃、とか言うらしい歪んだ形の金属の筒型の武器を手に。

 どういう仕組みかわからないけど、それがバン! バァン! ガン! ガァン! ドン! ドォン! みたいなよく分からない大きな音を上げる都度、魔物たちが目の前で死んでいく。

 だけど、それを踏み越えて、更に多くの魔物たちが現れる。

 護ってくれる背中からは、明確な焦りがひしひしと感じられた。

 ペンダントを、握りしめる。もし――と、キリは嫌なことを考えてしまう。もし、ビリーが倒れたら。もし、ビリーが魔物に敗れてしまったら。もし、もし、もし、もし――

 でも、キリは護ってもらうばかりで、なにをすることもできやしない。

 絶望は、すぐ目の前まで迫ってきていた。そして、ビリーとキリをあの牛と同じにしようとしている。

 だが、唐突に――


「……え?」


 ――音が、止む。

 魔物たちが、申し合わせたかのように、鳴き声を止めた。動きすらも。

 動揺が――もし、そんなものがあればだけれど、伝わってくる。

 そのうちの何匹かが、後じさり始めた。

 その反応が、意味するものは――


「グゥルルルルルルルルッ……!」


 ――一言で言い表せば、本能的な恐怖。

 深い深い谷の奥底で渦巻く、暴風のような唸り声。

 次の瞬間、爆発音!


「ガォ……アアアアアアアアッ!」


 咆哮と共に、目の前の木々が文字通り吹っ飛ぶ。


「……ッ!」


 ビリーが息を飲むのがわかった。

 破壊された木々の向こうから、そいつは現れる。

 キリもまた、息を呑んだ。

 実際、そうしたくなる。そいつが持つ美しさと、風格を見てしまえば。


「耀く……狼?」

「マジかよ、あれは……!?」


 そいつは、狼だった。直立すれば3メートルは超える巨躯を誇る狼だ。

 木々の間から差し込む陽光に照り映える体毛は、それ自体が星の瞬きのように柔らかく輝く銀。

 碧玉の目には深い知性の輝きがあり、悠々とした足取りには王の風格があった。

 狼は、魔物たちを見据えた。そして、くわっと牙を剥く。

 ただそれだけで、魔物たちは一斉に逃げ散る。


「正直、助かった……って感じじゃないな」


 しかし、逃げて行く魔物たちを見るビリーの声に、安堵はない。

【六竜将】イカズチを前にしても表すことがなかった、恐怖に震えている。


「フェンリル……! 魔物の最強種の一属じゃねぇか! クソッ……!」

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