第37話 あまりにも呆気なく、戦いは終わっていた。


 ディスコルディアは、中空にいた。

 見下ろす形で、【名無し】の剣士とイカズチの戦いを見物している。


「なんと、素晴らしい……!」


 愛くるしい少女のかおは、どす暗い愉悦に歪んでいた。

 ぎらぎらと輝く藍色の目は、欲望で穢れた宝石のよう。赤い舌が、いやらしい軟体動物のように桜貝の唇を舐める。

 ――と、イカズチの技、蜻蜓切りドラゴン・スープレックスなるものが、【名無し】の剣士に炸裂する。

 しかし、その直前、【名無し】の剣士は刀を左手に持ち替えた。

 そのまま抜くことなく、迫って来た【スコルピオン・デス・ロック】を打ち払う。

 もう一方の攻撃――回し蹴りを、右腕で受け止める。

 受け止める、というより、盾にした。

 そうすることで、頭部への直撃を防ぐ。

 腕一本を犠牲にし、腕以上に重要な器官である頭部を守るために。

「ばぎゃっ!」という、嫌な音。右腕が、折れ砕ける。

 しかし、身体全体を襲う衝撃を防ぐことはできなかった。

 イカズチの技はその威力のまま、【名無し】の剣士を吹っ飛ばす。

 そのまま、落下。

 その先にあった家屋に、【名無し】の剣士は突っ込む羽目になる。













「【騎士ドラウグル】の傷はすぐに癒える。その程度の痛みには耐えろ、慣れろ。死に至る一撃に比べれば、マシなはずだ」

『ンなものに、マシもクソもあるか! しかし、厄介だな。相応の厄介な武器を、相応の厄介な使い手が厄介にも使いこなしていやがる』

「案ずるな、お前は【騎士ドラウグル】だ。強靭な肉体、再生能力、戦闘力、そして【チート異能力】。どれにおいても最強無比の力を誇る存在の。だが……」


 ディスコルディアの声が、低まる。


「……だが、決して絶対無敵の存在ではない。大抵の強者相手には勝つが、それ以上の強者相手には苦戦する。更にそれ以上の高みの強者相手には、敗北すまける。敗北まけは文字通り、お前を死者ルーザーに戻す。お前は再び、敗者ルーザーに堕ちる。負け犬ルーザーとして、お前は死に繋がれる」

『要は、二度目はない! ってことかい』


 咳き込みながら、周囲を見渡す。

 流石【異世界】というべきか、家の造りや内装は【名無し】の剣士が知らないもので構成されている。

 こんな状況でなければ、じっくり見たいところだ。

 と、ふと――

 視界の端で、何かがきらりと光った。

 よく見れば、床になにか散らばっている。

 おそらく、先程彼が落下した際の衝撃で落ちたものだろう。

 蓋が外れた金属の入れ物から零れるそれらは――


『…………』


 ふと、思うことがあった。

 故に、試す価値があるかもしれない。

【名無し】の剣士の口端が上がった。


「どうした?」


 それが一体なにを意味するのか分かないディスコルディアは、首を傾げるしかない。













 イカズチは、地面に降り立った。

【名無し】の剣士が落ちた家屋を様子を、獲物を見据えるスズメバチのように注意深くうかがう。


「あっさりしすぎてんな。まさか、この程度で死ぬわけねぇよな!? 仮にも【騎士ドラウグル】だろ、お前!」


 挑発の台詞を叫ぶも、油断はしない。

【スコルピオン・デス・ロック】は、いつでも振るえる。

 唐突に――

 軋んだ音を立てて、家屋の扉が開く。

 身構えるイカズチの視線の先、もうもうと上がる煤埃すすほこりの向こうから、【名無し】の剣士が姿を現す。


「そうこなくてはな!」


 だが、イカズチの期待は裏切られる。

【名無し】の剣士はゆっくりとした動作で歩き、唐突に立ち止まった。

 がしゃり、と――【名無し】の剣士が右手に持っていた刀が、地面に落ちる。

 衝撃で折れたのか、右腕もだらりと垂れ下がったまま。

 そして――若干前かがみになり、荒く息を吐く。


「…………」


 あまりにも呆気なく、戦いは終わっていた。

 みっともない敗者のザマを晒す【名無し】の剣士を前に、イカズチは興醒める。

 同時に、怒りを覚える。

 太陽に弓を引くいい意味でのバカみたく挑んできたくせに、あっさり敗者に成り下がったら戦意喪失――


「買いかぶったぜ。弱ぇよ、お前。百舌鳥もずに捕まった羽虫だって、もう少しは足掻く」


 ――なにより、生き意地汚くない。

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