第32話 こいつらは【魔神】。真正の人ならざる者で、得体の知れない恐るべき存在なのだ。


 キリは、ロナーが大好きだった。

 大好き、という言葉なんかじゃ物足りないくらい、想っていた。

 大きくなったら、ロナーのお嫁さんになれたらな、とさえ思っていた。

 そうしたら、ボゥラさんとドゥーラさんみたいに婚礼の衣装を着て、トルシュ村のみんながお祝いしてくれて、その頃にはもうロロたちは結婚しているだろうから、その子供たちがかつての自分たちみたいにバスケットから神吹雪をまいて、一生懸命練習したお祝いの歌を歌ってくれて――

 そんなささやかな幸せは、もう叶わない。だって、ロナーはもういない。

 死んで、お墓の下にいる。













「…………」


 目を開く。手には、きらきら光る青い石のペンダントがある。

 ロナーからのプレゼントで、形見。


「ロナー。ねぇ、ロナー。わたし、これからどうしたらいいのかな……」


 当たり前だけど、答えは返ってこない。

 無慈悲な現実に押しつぶされそうになって、独り、背を丸めた。

 もう、何も見たくないし、聞きたくもない。

 なら、いっそのこと死んじゃった方が――


「……!?」


 びくっ! と――背中になにか冷たいものが走る。

 虫の音、遠くの鳥や魔物の鳴き声、アシュロンの森の葉が擦れ合う音、息を潜めるように凪いだ風――気付けば、周囲から音が途絶えていた。

 でも、それは僅かの間だけ。


「ひっ……!」


 静寂は、唐突にぶち破られる。













『お、女!? え、お前、女だったのかよ!?』

「てめぇ……なにすんだ! ヘイへの師匠にも揉ませたことないんだぞ!! バカ! スケベ! 変態! 野良犬! 淫獣! 地獄に落ちろ!!!」

『いや、悪かったって、マジで! 堪忍堪忍!!』

「お前、謝っても絶ッッッッ対許さねぇからな、この、この……」


 沸騰した感情が制御できなくなったのか、ビリーは喉をぐるぐる震わせ、涙ぐんでいた。

 その様に、【名無し】の剣士は戸惑いを隠せない。

 確かに、事故とはいえ、やらかしたことは男として最悪の無礼だ。

 だがそれ以前に、自分は人間として許されざることをしてしまったらしい。


「やかましいぞ、【騎士ドラウグル】ビリー・ザ・キッド」


 揶揄の声が、背後から気配と共に降りてくる。


「気持ちは分らんでもないが、だからといって我が契約者たる【騎士ドラウグル】に一方的に当たり散らすな」

「そうなのよ。誰だって間違いくらい犯すのよ」


 振り返れば、そこには少女が二人――否、【魔神】たちが立っている。


「それに、お前は女である以前にもう人間じゃないのよ。

 わたしと契約し、供犠くぎとして子宮を捧げたお前はもう、【騎士ドラウグル】なのよ」

「…………」

「そう睨むんじゃないのよ。「望むものを召喚する」っていう【チート異能力】だって授けてやったじゃないのよ」

「…………」


 イシスを見るビリーの目には、屈辱と後悔と――そして、深い憎悪があった。

 だが、当のイシスはどこ吹く風だ。

 邪悪と呼ぶには凄愴で、冷酷なんて生温い。

 人間が決して持ち得てはいけない途方もない暗黒が滲み出ていて、それだけで【名無し】の剣士は恐れを感じずにはいられなかった。

 野にひっそりと咲く小さな花のように可憐で美しいのは、見かけだけ。その本性は、ちんの猛毒を秘めた魔性。

 こいつらは【魔神】。真正の人ならざる者で、得体の知れない恐るべき存在なのだ。


「それより、ディスコルディア」

「ああ、そうだな」


【魔神】たちの唇、その両端が吊り上がる。


「来たな!」

「ええ、来たのよ!」


 瞬間――















 ✟✟✟✟✟✟✟


 ちん

 中国の古代伝承に登場する、猛毒を持った鳥。

 耕地の上を飛べば作物は全て枯死してしまうとされる。

 羽毛を浸して作った毒酒で、相手に気付かれることなく毒殺できたという。

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