第15話 「生かす責任をとれぬというのなら、無責任に助けるんじゃない」


 風が吹く。鬱蒼と茂る葉が鳴る。

 その下を、兵士を二人騎乗させた馬が駆けていた。

 はっきり言って、自殺行為もいいところだ。

 ほとんど獣道に近く、生い茂った木々が月明かりを遮る。

 既に夜は深い。見通しの利かない闇の中から、時折魔物と思われる不気味な鳴き声が聞こえてくる。

 ハインツは、焦っていた。

 あの場から逃げ出せたのはいい。だが、逃げ切れるかどうか分からない。

 脱出のためのルートから大きく外れている。それ以前の話、ここが今どこなのか分からない。

 森の出口どころか、奥に向かっている可能性がある。ほんの数歩先に、底なし沼が広がっているかもしれない。


「どうすれば、どうすれば……」


 指示を仰ごうにも、同乗している上官は既にぽんこつだ。先程のことで心が壊れかけてしまっているのか、何の意味もなさない言葉をぶつぶつと繰り返している。

 最早、絶望すら見えない。いや、絶望しか見えないのか。


 実際、絶望は思わぬ方向からやって来る。


 しゅっ! という鋭い音を捉えた瞬間、ハインツは地面に叩きつけられていた。

 ――何が、起こった!?

 疑問は、声にならなかった。立ち上がろうとした瞬間、ハインツは強かに殴られる。

 混乱することも許されず、意識が強制的に闇に落とされる。






 地面の上に投げ出されたガーネットは、のろのろと周りを見渡す。

 騎乗していた馬が、倒れている。見れば、首から細い筒が生えていた。

 たいまつの炎を受け、金属の光沢を潤ませるそれは、金属の矢だ。

 放ったのは、ガーネットたちを見下すようにして取り囲む、汚らしい身なりの粗野な男たち。

 風が吹く。鬱蒼と茂る葉が、ガーネットたちを嘲笑うように鳴る。

 共鳴するよう、野盗たちの下卑た笑声が上がる。











 空気と地を震わせ、心に恐怖を流し込む不気味な鳴き声が、アシュロンの森に蟠る闇から夜空へと吸い込まれていく。

 歩きながら、【名無し】の剣士はふと思う。ぬえの鳴き声とは、このようなものではないのだろうか?

 ぬえは架空の生き物でしかない。だが、こちらではどうなのだろう。

 不意に、頭上を覆っていた闇が途切れる。眼前に、光が差す。

 見上げれば、夜空に月が昇っていた。その存在を祝福するよう、星々が控えめに瞬いている。

 かつて自分が生きて死に、そして去った世界とは別の世界の姿の一端を、【名無し】の剣士はしばし目を細め、眺めた。

 その姿を、少し離れた場所から黄金色の目がじっと見ている。






『せめて、ここが一体どこなのか聞いてから殺るんだった』

「気にするな。結果オーライだ」


 どこか遠い目でぼやく【名無し】の剣士の傍らに、ディルコルディアは降り立つ。


「お前の性能はあらかた理解できた。あとは早いところ、食い散らかし甲斐のあるメインディッシュを見つけなければ!」

『なんだそりゃあ?』


 付き合いはまだ僅かだが、【魔神】を名乗るこの少女のことが徐々に分かりつつあった。


「知らないのか? ご馳走のことだ。そしてそれは、例えでもある。この【魔神】ディスコルディアの契約者たるお前への戦いへの欲求を満足させてくれる唯一」


 とんでもねぇロクでなしである。

 どう転んでも善人では決してありえないはずの自分が思うのだから、ほぼ間違いないだろう。

 むしろ、人ならざる存在に対し、人間としての「善」や「悪」を求めてはいけないのかもしれない。


「……で、我が契約者よ。いい加減、あれをどうにかしたらどうだ?」


 振り向けば、ディスコルディアが言う「あれ」がいた。

 先程、図らずも助けてしまった少女だ。ある程度距離をとり、ずっとついて来ている。

 目が合うと、少女は立ち止まった。そのまま、じっと見つめ返してくる。

 死んでいないが、生きているわけでもない。涙も、悲愴も、憎悪も、苦しみもない目。だが、見る者に訴えかけてくる目。


 ――まだ生きているのが恐い。でも死ぬのは怖い。これから先どうすればいいの? 希望なんてない。楽になりたい。殺して。いや、死にたくない。助けて。助けて、助けて、助けて――


 それは、命以外の全てを失ってしまった者の目だ。なのに、理不尽にも生かされている者の目だ。


「生かす責任をとれぬというのなら、無責任に助けるんじゃない。……殺せ」


 そう命じるディスコルディアの声は、猛毒のように恐ろしく冷たかった。

 聞こえずとも、当てられのだろう。少女は、びくっ! と身体を震わせる。 

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