サカサマ・告白日記

葎屋敷

時効二十五年


 人々は古書店という場所を、様々な目的で使う。

 絶版になった本を探したり、読みたい本を安く買ったり。せどりと呼ばれるような転売でお金を稼いだり、自分の要らない本を売ったり。

 こういう事態は、特に「本を捨てるくらいなら、一円ででも売った方がマシ」と思っている人間にありがちである。


「日記だ」


 埃まみれの段ボールの中には、あるのは焼けて茶色くなった本、背表紙が取れかかっている本、カバーがなくなった本。様々な買い取れない本たちとともに、それは紛れて入っていた。

 僕が勤めている古書店には、多くの本が持ち込まれる。四月が近いこの時期には、引っ越しの整理で出てきた本を持ち込む人が多数。今査定しているお客さんもそういうタイプだった。

 合計三十個以上の大きい段ボールに、これでもかと、明らかに長期間読んでいない本の山。量が量なので、清算は明日に行う予定だ。おかげで、閉店後の今も査定が終わらない。

 その客が持ち込んだ段ボールを開けてみれば、ほとんどは状態が悪く、売れない本ばかりだった。長期間、中身を確認することすらなかったのだろう。だから、日記なんてものが混ざるのだ。

 このように、買取物の中に個人情報が紛れ込むことは珍しくない。以前には卒業アルバムを混ぜてきたお客もいたし、へそくり二十万が本の間から出て来たこともある。もちろん返したけど、総じてそういう人たちは不用心だと思う。このお客も例外ではない。

 僕が段ボールから取り出した日記は、鍵付きの日記だった。といっても、その鍵は壊れているらしく、小さな錠前は簡単に外れて床へと落ちた。


「あ、やべ」


 それを拾いつつ、日記についているペンを見る。そこには名前が筆記体で彫られていた。この本の山を持ってきた男性客の名前だった。売れないものは処分してくれと言いながら、人当たりの良さそうな笑みを浮かべていた紳士であった。そんな人でも、古本の扱いは適当だ。


 ほとんど好奇心のようなもので、僕はペラペラとその日記帳をめくる。

 半分以上は空欄ばかりで使っていないと思ったが、なぜかかなり最後のページから使われていた。悪いと思いつつ、僕はその内容に目を滑らせ始めた。



 *



 1985年1月25日

 葛藤もあったが、京子と再婚することにした。前妻のことは、年数をぼかして話した。彼女は私の話を深く追求することはなかった。ただ、子と前妻が行方不明であることにすら、同情を示してくれた。なんて優しい人だろう。これからは、京子が私の妻だ。誰よりも強く愛そう。


 2月29日

 身辺整理がようやく終わった。やはり、邪魔になるようなものは棄てなければならない。もっと早くにするべきだった。そうすれば、京子のことをもっと深く愛せていたのに。


 2月8日

 京子に愛を囁かれて、私も決心した。決断のときだ。彼女のためなら、悪魔にだってなってみせよう。私は京子のために生きる。

 そのためにも、まずは道具の用意からだ。大きなゴミ袋はホームセンターで売っているだろうか。他にも、買いたいものがある。DIYもろくに出来ない私が、うまくやれるだろうか。とりあえず、メモしておこう。


 レターセット

 ロープ(丈夫!)

 消臭剤

 木材(私と同じくらいの大きさ)

 とんかち

 のこぎり

 ゴミ袋(中身が見えないやつ)

 シャベル


 4月14日

 妻が子を孕んだという。素直に喜べない。

 複雑だ。私は京子だけを愛すると決めたのに。


 9月27日

 ああ、愛している。これ以上、人を好きになることなど一生ないだろう。京子のために、私は何ができるだろうか。


 4月30日

 あれほど愛した妻のことが、最近、どうにも邪魔に感じてしまう。愛が分散したからだろうか。ああ、邪魔だ邪魔だ。いつか、邪魔になる。


 3月5日

 京子京子京子京子京子京子京子京子京子京子京子京子京子




 *


 バタンと両手を合わせるようにして、僕は日記を閉じた。


「えっ、こわ」


 京子好きすぎないか、この人。

 深く考えずに開いた日記は、魔の日記だった。こんなもの、ダンボール入れっぱなしにしないでほしい。勝手に見ている僕が悪いという自覚はある。

 日記の内容は、再婚した京子さんとの日々の葛藤、といったところだろうか。子どもができたけど、奥さんを独り占めしたくてその子どもが生まれてくる前から嫉妬。奥さんにも負の感情を抱くように……。なんて、昼ドラで流れてそうな展開。いや、ろくに見たことはないのだけれど。愛憎渦巻く、とはまさにこのことか。

 そんなことを考えながら、僕はそっと日記の続きを読むことにした。残りはあと一ページだけだ。



 *


 2月16日

 京子、京子。君はどうして美しいんだ?


 12月6日

 有給を使って、京子とホテルに行った。私はこんな軽薄な男だったか。


 12月1日

 京子。舌でその名前を転がす度に、愉悦すら感じる。やはり、私は彼女を愛しているのだ。家族のこと、不妊治療のこと。妻ともう少し真剣に話し合おう。



 *


 日記はそこで終わりだった。そのページは、日記帳の一番最後として綴られたものであり、これ以上捲っても、皮の裏表紙を摘むだけだ。



「……前向きに終わった?」


 京子さん、つまりは奥さんと話し合うと決めて、日記は終わりを告げている。子どもに嫉妬していた人と同一人物とは思えない。なんだかんだ改心したらしい。肉体的に愛し合って、子孫を残す父性にでも目覚めたかな。……なんて、我ながらゲスい考えだこと。

 俺はペラペラと日記を捲る。改めて見ると、日付が随分飛んで書かれている。妻の京子さんを愛したり邪魔に思ったりと、情緒も不安定。毎日書くことを目的としたものではなく、感情が昂った時に書きなぐるようの代物なのだろう。なんなら、メモ書きとして使用しているときもある。

 それにしても、何をDIYしたんだろう、この人。いや、「DIYすら」って言葉から察するに、DIY以上のことをしようと――、


「おい」

「うぎゃぁ!?」


 思考を日記へと深く傾けていた俺の肩を、唐突に誰かが掴む。わすかに驚きつつも後ろを振り返れば、そこには眉間に皺を寄せた店長の姿があった。


「お前、査定はどうした?」

「す、すみません、店長。」


 頭を下げて見せれば、店長はまだ開けていないダンボールの山を指さす。ぶてぶてと太った指はソーセージのようだ。


「ほら、私も手伝うから。さっさと終わらせるぞ」

「は、はい!」


 なんだかんだ優しい店長は、自ら進んで手伝いを申し出てくれた。その好意を喜んで受け取りつつ、僕たちはダンボールを開けていく。


「そういえば、さっきはなにを読んでたんだ?」

「あ、実は日記帳が出てきまして。これです」


 僕は店長に先程まで読んでいた日記帳を手渡す。店長も、読んでるだけで眉間の皺を足したくなるような内容に驚いてくれる。そう思ったのだが、店長は最初の数ページを雑に捲っただけで、


「なんだ、なにも書かれていないじゃないか。とりあえず、日記のような個人情報物は買取不可だ。他の買取不可と一緒に捨てとけ。値段つかないものは、処分希望なんだろ、この客」

「あっ……」


 店長はマニュアルを読むように、当店の買取運用法を口にしながら、僕に日記を返して来た。店長はこちらが受け取ったことを目で確認することなく、空いた手で段ボールから本を取り出している。

 驚いた。店長は日記の後ろの方を見ないものだから、日記が未使用品だと思ったらしい。確かに、僕はとりあえず全部のページをパラパラと捲ったから、京子ラブの記述に気がついた。しかし、店長のような最初の数ページしか見ない人にとっては、この日記の中身に気がつくことはないのだろう。


(もしかして、わざと後ろのページしか使ってない……?)


 気持ちを吐き出したい。でも、人にはなるべく見られたくない。内容からしても、そんな心情を抱くであろうことは想像に難くない。こんなずっと使われていないような本が入った段ボールに隠して、それでもこの日記が見つかった時。少しでも第三者に中身を読まれる可能性を低くするため、簡単にできる工夫として、後ろから使っていたとしたら。


(なんて、考え過ぎかな……。きっと、存在すら忘れてんだろうし)


 僕は店長と同じように本を段ボールから取り出しながら、先程までの日記の内容を頭の中で反芻する。もし、本当に後ろから使ってたんだとすると、あの日記、読む順番とか違ってたのかもしれないなぁ。後ろから読むと――。

 僕はそこまで考えて、カウンターに置いた日記帳をもう一度開く。店長はすぐにそのことに気がついて、隣でなんか怒っている。うるさい。


「おい、またお前――」

「………………同一人物じゃないのか、もしかして」

「は? なんだって?」

「店長。1985年って、うるう年ですか」

「は?」


 店長は僕の質問の意図を理解できない。それは仕方ないことだ。僕自身、唐突だということはわかっている。それでも、なぜそんなことを訊くのか、理由は言いたくなかった。

 店長は無精髭を触りながら、


「いや、うるう年ってのは、確か四と百の倍数の年にくるって話だったろ」

「……あ、時効過ぎてる」

「なにが言いたいんだ、お前は。おい、職務中に携帯弄るんじゃない!」


 「たく。もう知らん」と店長はついに僕に愛想を尽かし、作業に戻っていく。僕はそんな店長にではなく、日記と携帯のネット検索画面を交互に見ていた。


 この日記を、悪意的な推察を含めて読み取るのであれば、


 ここに記されているのは、そう。


 罪の告白だ。


「店長。このお客さん、売れないものはいらないって言ってましたよね」

「うん? ああ、そうだな」

「捨てましょう。全部。あっても、仕方のないものです」

「あ、ああ……?」


 困惑する店長を無視して、僕も査定へ戻る。その前に、日記帳をかびた本の下敷きにして、段ボールの中に詰めた。紙資源の処理場へと送るのだ。

 僕はパンドラの箱を開けたら、不幸が世界にばらまかれていることなど見ないふりして、その場からそっと逃走するタイプである。

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