神様がくれた日記帳

金石みずき

神様がくれた日記帳

 ――カラン、カラン。


 軽い無機質な金属音とともに、小銭が賽銭箱に吸い込まれていく。

 二度頭を下げた後、しっかりと前を見据え、手を叩く。


 ――パン、パン。


 二拍目でくっついた両の手を離さないまま、目をぎゅっと閉じた。


 ――どうか、佐々木さんとお近づきになれますように!


 俺が高校入学以来、何度となく続けている習慣がこれだ。


 佐々木さんはとても可愛らしい女の子だ。名前を鏡花きょうかという。

 とりわけ顔が整っているというわけではないが、笑顔がへにゃっとしていて、なんだか心が安らぐ。

 どこかおっとりとした雰囲気を纏っているが、その分結構抜けているところがあって、放っておけない。

 はっきりとモテるタイプではないけれど、実は人気のある子。そういう感じだ。


 そんな佐々木さんに、俺は恋している。

 とはいえ、これまで女の子と碌に会話したこともない俺が、恐れ多くもあの佐々木さんに何か直接的な行動を起こせるわけがない。

 だがただ手をこまねいていて、いつか彼氏が出来るのを指をくわえて待つのも面白くない。


 だからせめてもと始めたのがこの神頼み。

 家の近くの神社が縁結びの神様と知ってからはそれこそ毎日のように続けている。

 こんなことしても意味はないとわかっているのだが、こんなことでもしないと落ち着かないのだ。


 たっぷり五秒拝んだ後は目を開け、さっと一礼してその場を立ち去る。

 境内を歩き、鳥居をくぐって帰路に就く。

 それで終わり。いつもと同じ繰り返し――になるはずだったのだが、この日は少し違った。


 鳥居を抜ける際に、道脇に何か落ちているのを見つけたのだ。


「……本?」


 近づいて拾い上げてみる。

 表紙タイトルには『Diary』と書かれていた。


「――てことは、本じゃなくて日記か。持ち主の名前は――っと。え!?」


 目を疑った。

 そこに記入してあった名前は『神山颯太そうた』つまり。


「…………俺じゃん」


 どうやらこれは俺の日記らしい。



「うーん……」


 俺は唸っていた。

 ここは自分の家の自分の部屋。

 視線の先には小学校入学のときに買ってもらった学習机の上に置かれた、一冊の日記帳。


「俺の名前が書いてあるとはいえ、見ていいものなのか」


 思わず持ち帰ってしまったはいいものの、同性同名の他人のかもしれない。

 というか、その方が可能性が高い。だって俺はこれを見たことがないんだから。


 だが、近所で俺と名前どころか名字が被ってる人がいるなんて聞いたことがないし、ましてやあの神社はそれほど大きくない。

 だからやはり俺のかもしれない。

 つまり、持ってきてしまった時点で、文字通り詰んでしまっていた。


 そんなことを考えに考え――。


「――ああ、もう! もう知らねぇ。見てしまおう……って、あれ?」


 いい加減だんだんと考えるのが面倒になった俺は、ついに日記を開いた。

 すると――。


「なんだこれ?」


 開いた日記にはすでに今よりも先の未来について記載してあった。


「……意味わからん」


 明日の日付を表すページ。

 そこに『今日は少し遅れて登校したところ、朝から佐々木さんに挨拶された』という一文を見て、その日記を閉じて机に置いた。





「おはようっ! 神山くん」

「え、あ、お、おはよう」


 明くる日、バカバカしいと思いながらも、いつもより少しだけ遅い時間に登校した。

 そして玄関で靴を履き替えていたところ、同じように登校してきた佐々木さんに挨拶された。


 佐々木さんは普段話さない俺にも気さくに話しかけてくれ、「英語の宿題やったー?」とか「今日寝坊しちゃって、朝ごはん食べてないんだよね」とかそんなとりとめのないことを話しながら、一緒に教室へと向かった。

 教室へ入った後はさっさと別れてしまったものの、思わぬ幸運に朝からテンションを上げる結果となった。


 まさかあれ、本当にこの出来事を予言していたのか?

 信じがたい話ではあるが、その可能性を疑わずにはいられない。


 日記は家に置いてきたため、この先の出来事を確認することは出来ない。

 昨日いい加減に読んでいたことが悔やまれる。

 そわそわと落ち着かない気持ちを抱えながら一日を過ごした。




 家に帰ってから日記を見て確認したところ、そこには確かに『今日は少し遅れて登校したところ、朝から佐々木さんに挨拶された』との一文があった。と、いうことは――。


「これって本物の予言日記?」


 まだ一日だけのため、正確な判断は出来ない。しかし狂言だと笑い飛ばすことはとても出来なかった。


「ううう……未来を確認したい……けど……」


 見たい気持ちと見たくない気持ちがせめぎ合う。

 単純に未来を確認するのが怖いが、自分がこの先どうなるのかは非常に気になる。

 俺は悩みに悩んだ末、結論を出した。


「――明日のページだけ見よう。まだこれが本物だと決まったわけでもないし。検証は大事だしな」


 そう自分に言い訳しながら恐る恐る開いたところ、明日のところにはこう書いてあった。


『お昼、購買の前で困ってそうな佐々木さんを見かけた。話しかけてみると、教室に財布を忘れてきたらしい。1000円渡したところ、とても感謝された。取りに戻ったら目ぼしいものはほとんど売り切れちゃうしな』





「……本物だ」


 次の日、家に帰った俺は日記を手にして震えていた。

 また、書いてあった通りのことが起こったのだ。


「どうしよう、これ……」


 考えこみ、思考がぐるぐると堂々巡りする。

 見るべきか見ないべきか。


「て、適当に見てみよう。日付さえ見なければいつのことかわからないし、いいよな」


 自分に言い訳しながらパラパラとページを捲っていく。

 そこには主に佐々木さんと自分とのことが中心に書かれていた。

 進むにつれ、仲良くなっていくのがわかる。


 先を見る恐怖よりも、好奇心が勝り、どんどんページを進めてしまう。

 そしてとあるページで手が止まった。


『佐々木さんと付き合うことになった』


 衝撃から現実に立ち返り、すぐに日記を閉じた。


「え、俺、佐々木さんと付き合えるの? マジかよ……」


 この日記に書いてある通りに行動すれば佐々木さんと付き合うことが出来る。


 ――見たい。


 いい加減にではなく、きちんと見たい。

 あの佐々木さんと付き合えるんだぞ? 今まで碌に話すことすら出来なかった俺が。


 思考が支配され、再び日記に手が伸びていく。

 しかし――。


「本当にそれでいいのかな……」


 誰に言うでもなく、ポツリと零して手を止めた。


 もしかしたらこの日記は神様が俺のお願いを訊いて用意してくれたものなのかもしれない。

 まったく接点のなかった佐々木さんとこの二日間で連続して接点を作れたのは明らかに異常だ。

 だからおそらくここに書いてあることは正しい。だけど――。


 もし読んでしまったら、俺はこの先の未来、この日記に縛られた行動しか出来なくなる。

 そこに俺の意思は存在せず、まるでゲームの攻略本を見ながら人生を攻略していくようなこととなるのだろう。

 それで、いいのか?


 自分の中にいる二つの思考がせめぎ合う。


 ――使えるものは何でも使えばいいじゃないか。

 ――それで付き合ったとして、その先もずっと日記に頼り続ける人生を送るのか?


 ゲームだって別にネタバレを見たからといって、まったく楽しめないわけじゃない。

 ネタバレはあくまでもダイジェストだ。実際にプレイしてみるとそれなりに楽しめるものだ。

 しかし全くの初見プレイとそれではまるで質が違う。


 俺は再び悩みに悩んだ末、一つの結論を出した。





「――俺と付き合ってください!」


 放課後、校舎裏に鏡花を呼び出した俺は、そうはっきり告げると頭を下げた。


 結局日記は見なかった。


 やはりダメだと思ったのだ。

 例えあれを読んで付き合えたとしても、俺はずっと負い目を抱えて生きていくことになる。

 何が何でも付き合いたい。

 その思いがあるのは確かだが、それを他に頼りきりでやるのはやはりいけないだろう。


 あの日以来、俺は少しずつ鏡花と距離を縮めることに尽力した。

 毎日普通に話せるようになるまで三か月かかった。

 そこから遊びに行くまでさらに三か月。

 そしてこの告白までさらに一か月だ。


 だけど全然苦痛じゃなかった。

 むしろ楽しかった。

 日記の通りにやっていたら、こうはいかなかったと思う。


 常に日記を意識した行動をとり、佐々木鏡花を攻略するような気持ちで会話を選んでいく。

 そのとき鏡花の目に映る俺は一体だれなのだろうか。


 告白することは怖い。

 成功しないことだって充分にある。

 だけど、日記を頼らなかった結果、少なくとも鏡花との仲を積み上げられたのは、きちんとした自分だという自負はある。

 返事が是でも否でも、これまでの行動に決して後悔はない。


 永遠に引き延ばされた一分一秒が過ぎ、そして鏡花の声が降ってきた。


「――はい。これからよろしくね、颯太くん」


 顔を上げると、笑顔の鏡花と目が合った。


「い、いいの?」

「うんっ」

「鏡花が……俺の彼女?」

「もう。しつこいよ?」

「――――っしゃあああああ!」


 思わずガッツポーズすると、可笑しそうに笑われてしまった。




 神様がくれた日記帳。

 それは俺に挑む勇気をくれた。

 行動次第で未来は変えられる。

 それがあの日記から得た、最も大きなものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神様がくれた日記帳 金石みずき @mizuki_kanaiwa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ