虚実日記

葛瀬 秋奈

見ちゃうんですか?

 僕と1歳違いの妹が、台所で菓子を作っている。ハロウィンでもバレンタインでもないのにどうしたのかと尋ねると、クラスの友人と交換するのだとか。孤立しがちだった中学の頃と違い、高校では楽しく過ごせているようでなによりだ。


「だからって手作りする必要あるのか?」

「できたら兄さんにも味見させてあげるので、しばらく黙っててくださいね」


 こちらの質問はまるっと無視してにこやかに微笑む妹。その笑顔には妙な迫力があった。ちょっと友達が増えたからって最近調子に乗ってる気がする。妹のくせに。

 でも優しい僕はその態度を咎めず、黙って肩をすくめてやった。そして自室へ戻って宿題をやることにした……のだが。


「まずい、英和辞典忘れた。お前の貸して」

「いいですけど、今は手が離せないので自分でとってきてください。入口から見て一番手前の本棚にありますから」

「学校に持っていかないの?」

「普段は電子辞書を使ってるんです」


 その後に続いた「兄さんと違って」という若干トゲのある発言は聞き流しておく。


「他のものには触らないでくださいね」

「はいはい、別に興味ありませんよ〜だ」


 ひらひらと手を振って台所を後にする。なんであんなに慇懃無礼に育ってしまったのだろう。昔は素直で可愛かったのに。


 妹の部屋に入って辞典を探そうとしたとき、机の上に一冊のノートが置かれているのが目に入った。何も書かれていないシンプルな無地の表紙だ。勉強用のノートなら科目なり名前なり書いているだろうと思うが。

 僕はそれがどうしても気にかかり、悪いとは思いつつ中を開いて見てしまった。中身も普通のキャンパスノート。最初の一文はこうだ。


『○月☆日 今日から日記をつけることにした。兄さんには気づかれないようにしよう』


 どうやら日記のようだ。僕が盗み見ることが前提なのは腹が立つが、実際にこうして読んでしまっているので何も言えない。

 その後も日々の記録を数行で簡素に綴った文章がしばらく続いていたが、突然こんな文が出てきた。


『○月✕日 今日の天気は晴れ時々ネコ』


 ちなみにその日はエイプリルフールではない。全く意味がわからないが、なにかの暗号だろうか。児童文学でこんな話があったような気がするが。

 それ以外にも、普通の日常風景の合間にいくつか意味のわからない記述があった。


『○月●日 影が見つからない。どこへ行ったのだろう。早く見つけないと』


 だとか、


『○月△日 頭の中から声が聞こえる。騙されてはいけない』


 だとか。


 いわゆる夢日記なのかもしれない。あまり気にしないでおこう。

 そのうちに、僕のことが書かれている箇所を見つけたのでついついそこばかり目で追ってしまう。


『○月◇日 ソバが食べたいと兄さんが言うのでわざわざ天ぷらも作ったのに、半分も食べてくれなかった。どうかしてると思う』


 そんなことあっただろうか。全然覚えがない。妹が美味しくない天ぷらを作ってたことはあったと思うが、それがこの日だったか思い出せない。


『○月★日 転んでうずくまっていたら兄さんに邪魔だからどいてと言われた。何を考えて生きてるんだろう』


 そんなことを言った覚えはない。確かに身内だから多少ぞんざいに扱うことはあったかもしれないがさすがにそれはない。と、思う。


 更に月が変わって、


『●月☆日 カニ鍋が食べたいと言ったのは兄さんなのに、遅くまで帰ってこなかった。しかも夕飯は外で食べてきていた。どうかしてる』


 その日にバイトがあって遅くなったのは覚えている。でも、カニ鍋のことは知らない。


『■月●日 ランチに先輩を誘おうとしたら兄さんに見つかって邪魔された。あんまりだと思う』


 先輩って誰だよ。


『■月○日 兄さんはあの女に誑かされている。いつまでこんな茶番を続けるつもりなのか。どうかしてると思う』


 あの女って誰だよ。


『■月✕日 玄関からずっと誰かが呼んでいるのに、兄さんは気づかなかったと言う。どうかしてると思う』


 そんな話は知らない。


『■月★日 手紙をもらったのに、兄さんが勝手に封を開けてしまった。許せない』


 覚えがない。


 どういうことなんだろう。これも夢日記なのだろうか。仮に妹が事実としてこれを書いているなら、どうかしてるのは妹のほうだ。すぐ病院に連れていったほうがいいのかもしれない。しかし、そうなると妹の日記を勝手に見たことがバレてしまう。


 迷いながらもページをめくる手は止まらない。やがて最新の、つまり今日の日付に至った。


『□月☆日 駄目だ。やはり兄さんは約束を破った。少し痛い目を見てもらおう』


 どうして。


「何をしてるんですか、兄さん」


 妹の声が、耳元で聞こえた。いつの間に部屋へ入ったのだろう。背後にピッタリ張り付いているようだ。


「何をしてるんですか、兄さん?」


 少しだけ語気が強まる。それに伴い僕の心拍数が上がるのがわかった。とにかく話し合わなければ。そう思った僕はゆっくり後ろを振り返る──



「な〜んちゃって!」

「へ?」


 振り返った先には、ニコニコ笑う妹が段ボールで作ったらしい看板を持って立っていた。看板には手書きの文字で「ドッキリ大成功」と書かれていた。


「びっくりしたでしょう?」

「え、いや、ドッキリって何?」

「ドッキリはドッキリですよ。兄さんのサプライズ誕生パーティです」

「まさか、覚えてたのか?」


 今日は僕の誕生日だ。でも、妹は最近疎遠になっていたから忘れていると思い込んでいた。


「家族なんだから覚えてて当たり前じゃないですか。こんな古典的な手口にひっかかるなんて、兄さんも単純なんだから」


 そうだったのか。なんて兄想いの妹だ。それに比べて……。僕は自らの行いを恥じた。


「じゃあ、まさかさっき作ってたお菓子も?」

「兄さんのためにケーキを焼いていたんです」

「誕生日ケーキなんて久しぶりだよ。ありがとう」


 嬉しい。素直に喜んでいい、はずだ。


 だけどケーキを食べながら、僕には引っかかることがあった。英和辞典を忘れたのは偶然のはずなのに、どうしてこの部屋に入ってノートを読むことが予期できたのか。どうして僕が約束を破ること前提だったのか。


「ホント、兄さんて単純ですよね」


 目の前で微笑む少女は本当に僕の妹か?



 頭の中から、声が聞こえる。

 『そこからにげて』

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