常識を疑え!? 物語解釈におけるトンデモ思考実験、そのメリットとデメリット

kayako

人の考え方はそれぞれ。他人の干渉など!

 

 皆さんは、ある物語を再読する時、自分の立てた仮説に基づいて読み直してみることはあるだろうか。

 例えば

「このキャラクターが好きなのは、実は××ではなく〇〇の方なんじゃないか」

「あの仲間キャラは実は真の黒幕では」

 など、いくつかの仮定をもとに世界観やキャラクター、ストーリーを再読してみるというケースである。

 桃太郎で分かりやすく言うと


「途中で仲間になるイヌ・サル・キジは、実は鬼だったのではないか」


 とか。


 当然皆、そんな馬鹿なwとなるでしょう。

 しかしいざ、この3者が鬼ではないという証拠をあげろ!と言われると、思いつかない。

 逆に、この仲間たちと桃太郎で何故鬼の軍団に勝てたのか?を考えると、この3匹が実は元々鬼だった?と考えるとしっくりきてしまったりする。何故桃太郎がすんなり鬼ヶ島に渡ることが出来たのかの説明も、仲間の誰かが場所を熟知していたからと考えれば納得出来てしまう。

 このように、「仲間たちは普通の動物ではなく、鬼から離反した鬼かもしれない」という仮定のもとに『桃太郎』を読み直す――

 つまり、読者のほぼ全員が当然と思っていることを引っ繰り返した仮定のもとに、物語を再読してみる。



 このような思考実験、実は滅茶苦茶に面白いです。



 さらに言うと、このような思考実験を始めると。

 意外なことに、作中で描かれた様々な現象が偶然当てはまってしまう(ように見える)ことも多い。その上、作中で確たる反証がないことも手伝って、作中のあらゆる事象があれよあれよとパズルの如く組み合わさって


「桃太郎の仲間=鬼」


 というトンデモな仮説が真実に見えてしまうことさえあったりします。

 その境地に至った時の、

「謎は全て解けた! 自分だけが真実を知った!!」

 的な自分の全能感、たまりません。

 容姿が違う? ツノがない? そんなもん、鬼の能力で変身すればいくらでも誤魔化せるよね?

 という感じで、皆が考える当然の疑問も無理矢理解決。


 そういったトンデモ仮説を元に生み出された二次創作は多く、そして傑作も多い。

 恐らくこの思考実験は、様々な創作の起点にもなると思っています。



 実際、私も昔やりました。

 ヒロインを補佐する脇役にすぎなかったサブキャラ(=当時の推し)が、実はラスボスの分身だった!?

 というトンデモ中のトンデモ仮説をぶちあげ、それを元に二次創作をやっておりました。

 完全黒歴史として未来永劫葬り去りたい描写を山ほどやってしまったのですが、仮説を閃いた時と、公式媒体内ではそれに対する反証がなされていないと分かった時の高揚感は凄まじかったです。

 ラスボスが登場する時、推しの出番が不自然なほど大幅に削られていたのは、実は……? から始まり、その他様々な現象を無理矢理パズルのピースに仕立て上げて噛み砕き、強引にパズルを完成させてました。

 それを、うまくピースがハマった!!とか、一人で恍惚としていたものです。

 最終回近くで両者が同じ場所に出現した? それはループによるタイムパラドックスだよ! とか、無茶苦茶やってたなぁ。

 賛同者? 見事にゼロでした(当然だ)



 この思考実験は素晴らしい傑作も生みだせば、私のようにとんでもない黒歴史を発生させたりもする。それほどこの手の発想は楽しいし、創作の強い原動力ともなります。

 今流行の悪役令嬢ものも、元をただせばこの思考実験が起点となっているのではないかと思います。



 しかしこの読み方は、実はかなり歪なもの。


 最初から色眼鏡で世界を見て

 合わないピースは強引に噛み砕いて形を変えて

 本来のパズルとは違う形にパズル自体を変えてしまっている。


 それで出来上がったものが真実の物語かというと、真実からかけ離れたものになっていることもよくある。

 実際、私の件の二次創作が何故黒歴史になったかというと、正ヒロインとその相方(物語のヒーロー的存在)が、本来とはまるでかけ離れた性格・性質になってしまったからです。

 いや、当時はヒロインたちの真実の姿を書いてる!と思い込んでたんですけどね。今にして思えばヘイト創作の典型と言っても過言ではなかった書き方をしていた……


 本来白かったものを紅い色眼鏡で見たら、紅く見えるのは当たり前。

 その色眼鏡で見なければ見えないものもあるかも知れないけど、同時に、見えていたものが見えなくなることもある。


 そうすると

「しかし、ならば『桃太郎の仲間=ただの動物たち』と当然の如く思い込んでいるお前たちはどうなのだ?

 お前たちこそ『常識』『暗黙の了解』という色眼鏡で物語を見ているだけではないのか?」


 そういう反論が出るのは当たり前。

 でも、それならば色眼鏡で物語を見ているのはいずれも同じ。その色は違っていても。

 もっと言うと、濃淡や種類は違えど、誰しも色眼鏡でしか物語は見えない。

 桃太郎自体が嫌いならば、好戦的な物語が云々と否定的に見てしまうだろうし、

 一方的にいたぶられる鬼たちがいじめを助長云々という見方もあるだろう。

 混じりっけなしの純な眼で真実の物語を読み解ける人間など、作者以外に存在するだろうか? いや、作者ですら出来ないことだってあるだろう!!



 要するに、何が言いたいかというと


「桃太郎の仲間は全員、元々鬼なんだ!

 特にこの犬はいい奴の顔をしているが、実はとんでもないサイコパスだ!!

 お前らは全員こいつに騙されている!!」


 と、他者に自分のトンデモ仮説を押しつけるのはやめた方がいいということです。


 トンデモ仮説の発想は非常に面白い。

 だけど、声高に何度もそのような主張を繰り返し、

「桃太郎」でツイート検索すると「犬はサイコパスで猿は犬にホの字でキジは鬼の元恋人で」

 などというツイートが延々出てきたら、何も知らない他の人はどう思うでしょうか?

 特に子供は当たり前に信じてしまうかも知れません。



 *******



 実は少し前、自分の推しキャラで似たような事件が発生しまして。

 まさにこのように、「〇〇はサイコパスだ」という主張がツイッター上でなされていました。

 視聴者の大多数が(当然私も)「普通の優しい好青年」と捉えているキャラを、です。

 別にアンチというわけではなく、キャラ解釈は真逆なれど、その方もそのキャラのかなり熱烈なファン(だと思う)

 だから最初は私も、こういう考え方もあるのかぁ~なるほどなぁ~と興味深く読ませていただいていました。確かに、作中での描写にはその方の解釈を否定するような要素はなく、目から鱗が落ちるような面白い解釈も数多くありました。

 決して賛同は出来ませんでしたが、私以上にこのキャラを愛し、分析し、推しているのだなぁとよく分かる意見ばかりでした。決して賛同は出来なかったけど!!



 しかしそのうち、キャラ名でツイート検索するとその方の意見ばかりが出てくるようになり、下手をすればこのキャラをあまり知らない人たちが誤解してしまうのではないか? いや、知ってる人たちさえ洗脳されかねないのでは? という危機感がつのるようになりました。

 それほどまでにその方のツイートは激しく、また、そのキャラを「普通の優しい好男子」と解釈している多くの視聴者を否定するような書き方も散見された。


(個人的にかなり問題と思ったのが、その方の意見は第三者から見ると、そのキャラに対するヘイト、罵詈雑言と解釈されても不思議ではなかったこと。

「好きだから」で推しに何言っても許されるならモラハラやり放題ですよ?)


 さらに言うとその推しキャラは(ご多分に漏れず)、ファンもそこまで多くなかった。

 その方の熱烈なツイートだけで検索結果が埋められてしまうレベルに。


 ですが当方、なろうで感想を書くのさえ苦手な超絶ネットコミュ障。

 その方を直接論破しに乗り込もうなどという度胸があるはずもなく、また、乗り込んでいったとしても逆に論破されてしまう可能性も高かった。

 じゃあミュートにする? いや、多くの人の目に触れてしまうのが問題なんだから自分だけミュートしたって意味ないだろう。

 悩んだ末自分のブログに書いたのが、このエッセイの内容(の一部をちょっと変えたもの)でした。該当キャラの名は直接出さず、勿論その方の名も出さずに、「こういう主張のしかたは何とか自重出来ないか」と書き、ブログのリンクだけをツイート。

 色々考えた末の苦肉の策でしたが、しばらくしてその方のツイートは見なくなりました。

 その方にブログが読まれたのかどうか、もしくは全く別のところから苦情があってそうなったのかは分かりませんが。



 いや何度も言いますが、こういう物語解釈やキャラ解釈自体は色々あって良いと思うのです。

 むしろ推奨です。断然推奨します。多くの創作の起点です。

 しかし、「お前の解釈間違ってるぞ! 世間の常識という色眼鏡でモノを見やがって!!」などと、他者の解釈を真っ向から否定してまで声高にトンデモ仮説を主張するのは、やはり違う。

 創作、特に二次創作界隈では起こりがちなトラブルですが、何とか、互いの領域に必要以上に踏み込まず、それぞれの解釈を尊重出来る方向にもっていきたいものです。



 ちなみに、創作関連で個人的に最もモヤつく言葉が


「〇〇はそんなこと言わない」

「××が▲▲にそんなこと言うはずがない」


 の類だったりする。

 いや、気持ちは分かるんですよ? 似たような感情になったことはあるし。

 特に公式に近い場所で色々やられると、この一言言いたくなるのは分かる。

 (最低限、ここだけは守ってほしいというラインをあっさり破られ、こんな気持ちになることもよくある)

 でも、あまりに物語やキャラの解釈を狭めて、自分の解釈こそが絶対と信じて作品やキャラの可能性を潰してしまうのは、やはり勿体ないなぁ……と思います。

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