イズミが壊れた日
わら けんたろう
第1話
久しぶりに実家へ帰ってきた。
久しぶりの実家、久しぶりに会うお父さん、お母さん、この前20歳になったばかりの妹、鈴菜。
そして、アンドロイドのイズミ。
イズミがテーブルに並べた夕食をみんなで囲む。
お母さんが、「どうぞ」とビールを注ごうとグラスに瓶の口を近づけた。
イズミは、テーブルから一歩下がったところに控えている。
そんなふたりの姿を微笑ましく眺めながら、あたしは話をきりだした。
「今日はね、みんなに報告したいことがあるの」
「どうした?
グラスを持ったままお父さんは、わたしの方を見た。
「あたし、長らくお付き合いしていた椋木冬弥さんと、結婚することになりました」
ほんの少しの間、部屋は静寂に包まれた。
お父さんもお母さんも、あたしの方を見て二、三回瞬きをすると顔を見合わせた。鈴菜の顔が、みるみる笑顔に変わっていく。
だばーっと、お父さんのグラスからビールが溢れ出す。
「お、おわっ!」
お父さんは、グラスからあふれ出したビールを見て目を見開いた。
「あ、ああ、ごめんなさい」
お母さんは、慌てて瓶の口を上げた。
「失礼いたします」
イズミが、持っていたナプキンで零れたビールを拭いている。その横でお父さんは、あたしの方を見てはくはくと口を動かしていた。
「お姉ちゃん、おめでとう!」
鈴菜があたしの方を見て祝福してくれた。
「ありがとう」
「けけけ、結婚だと!?」
お父さんは、ようやく声が出るようになったらしい。
「凛菜も25歳になったしね。そろそろ来るかなとは思っていたけれど、ついに来たわね。おめでとう、凛菜」
「ありがとう、お母さん」
お父さんは、すはーすーはーと呼吸を整えてから背筋を伸ばしてあたしを見た。
「そうか。椋木君とついに結婚か。凛菜、おめでとう」
一、二年ほど前、冬弥を両親に紹介した。
お父さんは、すこし複雑な表情だったけれど、オトナの対応を見せてくれた。心の中は、ありがちな父親メンタルだったらしい。あとで、こっそりお母さんが教えてくれた。
「凛菜、おめでとうございます」
最後にイズミが右手を左胸に軽くあてながら、あたしの結婚を祝福してくれた。
「ありがとう、イズミ」
あたしは、イズミの方に顔を向けて笑みを浮かべた。
その翌日、イズミは動かなくなってしまった。何が原因なのか素人のあたしには分からない。
「中古だったからな。よく頑張った方だ」
そう言ってイズミの部屋を出ると、お父さんはリース業者に連絡した。
しばらくすると業者が来て、イズミの状態を確認していた。けれども業者の男性の表情が曇っている。
「どうですか? 修理に出せば何とかなる?」
「うーん、原因はよく分かりませんが、なんせ型が古いモノですからね。新しいアンドロイドをお使いになった方がいいですね。あちこち損傷していたりするので、修理しても動かないかもしれません」
取り急ぎ、お父さんは新しいアンドロイドのリースを契約することにした。
イズミはガチムキの男性に担がれて、軽トラックの荷台に積み込まれた。
あたしは鈴菜の肩を抱きながら、乱暴に積み込まれるイズミの姿を見ていた。胸の奥がきゅうっと締め付けられる思いがした。
アンドロイドリース業者がイズミを回収した後、あたしはイズミの部屋へ入った。着替えが数着あるくらいで、目立ったモノは何も無い殺風景な部屋だった。
ふと、机の上に目を移すとB5版くらいの大きさの日記帳らしきモノを見つけた。
「日記?」
あたしは首を傾げて、机の上の日記帳を開いてみる。
日記帳には、イズミがこの家にやって来た日から昨日までのことが記されているようだ。
『2×××年3月30日。美朝家に。マスター以下、家族を登録。わたしの名は『イズミ』となる。主な仕事は、家事全般』
『3月31日。7時に朝食、掃除、洗濯、買い物、……AM2:00凛菜就寝で本日は終了』
『4月1日。凛菜中学校入学式。7時に朝食、掃除、洗濯、買い物、……美朝家外食で夕食は不要。マスターAM1:00就寝で本日終了』
「なに、これ? 業務日誌?」
イズミがウチにやって来たときのことは、今でも鮮明に覚えている。あたしが中学一年生のときだ。
彼女は、棺桶みたいな長い箱に入れられて我が家に運び込まれた。
箱の中で眠っていたのは、女性型家庭用アンドロイド。金髪ロングツインテールの美少女だった。白い長袖ブラウスを着て首元に紺のリボン。コルセットのついた紺色のボックスプリーツスカートに黒のストッキング、こげ茶色のロングブーツを履いていた。
身長は155㎝と説明書にあった。体重は「乙女につき非公開」とも。なかなかシャレの利いた説明書だった。
型はかなり古いらしい。見た目は当時のあたしより少し年上だったけれど、製造されたのは2、30年くらい前なのだそうだ。すでに、いくつかの家庭で使用されたアンドロイドだという。
イズミの仕事は、主に家事だった。イズミが来てからお母さんは家事の負担から解放され、空いた時間を趣味や仕事に回すことができるようになった。
最近の家庭用電気機器には「アンドロイド連携機能」が標準装備されている。イズミと家庭用電気機器を連携させれば、イズミの指示で掃除機や洗濯機、電子レンジや炊飯器を動かすことができた。部屋の照明を点けたり、テレビだって動かしたりすることもできる。お風呂だって沸かすことができた。
視線や指の動きでそうした機器を動かすその姿は、おとぎ話やラノベの世界に出てくる魔法使いのようだった。
料理も上手で、失敗もない。こちらから指示すれば好みの味に仕上げてくれる。
ただ、欠点もあった。
なかなかのドジっ子で、よく躓いたり壁やモノにぶつかったりしていた。
ドジっ子アンドロイドというのも、かなり珍しい。
思えば、ウチに来たときからイズミには異常があったのかもしれない。そんな身体を動かして、十年以上もあたしたち家族を支えてくれた。
それにしても、何の変哲もない記述が続く。
「ええと、こんなカンジでずーっと続くのかしら?」
あたしは、パラパラとページを捲り読み飛ばしていく。業務日誌のような記述が延々綴られている。
よく考えると、不思議な話だ。アンドロイドは別に日記など付けなくても、一日の出来事をすべて記憶しているハズだ。こんなモノなら、日記なんてつける必要はないと思う。
十数年分の日記のわりに、量が少ない理由も明白だ。だって、ほとんどの記述が一行程度なのだから。大体、一カ月で一頁埋まるペースだった。一年で、たったの十二頁!
いったい、彼女はなんだって日記なんかつけ始めたのだろう?
「あれ?」
『2×××年3月30日。美朝家へ来て1年経過。……鈴菜の『中学受験』をめぐってマスターと裕子が対立。わたしに出来ることは?』
はじめて、と言ってもいいと思う。疑問文が出てきた。
そういえば、鈴菜の中学受験をめぐって、お父さんとお母さんはよくケンカしていた。お父さんがあまり中学受験に関心がなかったのと、鈴菜の成績が伸び悩んでいたからだ。
ケンカと言っても痴話喧嘩。放っておけば、そのうちイチャラブ夫婦に戻るんだけどね。
『鈴菜。志望校合格! おめでとうございます。毎日、塾に通ってたくさん勉強したからですね』
『マスターそして裕子、結婚記念日。これからも仲良く』
『今日は、わたしも一緒に家族みんなでお買い物。裕子はマスターから素敵なワンピースを買ってもらっていました』
『凛菜、就職おめでとう! ついにあなたも社会へ羽ばたくのですね。でも、この家を出て一人暮らしをするそうです。寂しくなりますね』
「……だんだんと人間くさい感情表現をするようになったのね」
ほとんど業務日誌のような毎日の記述のなかに、こんなカンジの記述が出てくるようになった。
嬉しそうだったり、哀しそうだったり、楽しそうだったり。
怒っていると思われる記述がないのは、制御されているからだろう。流石はアンドロイド。アンガーマネジメントは不要らしい。
イズミの日記を読んでいるうちに、あたしもこれまでのことを振り返ることができた。
色々なことがあった。この家であたしはお父さんとお母さんに育ててもらい、中学、高校、大学にも行かせてもらって、無事、就職できた。
そして今度は、新しい家庭を築こうとしている。
イズミの日記も、とうとう最後のページになった。
『――夕食時、凛菜が結婚するとご家族に報告。お相手は、かねてよりお付き合いされていた男性だそうです。素敵です。たとえ目の前にそびえる山があったとしても、おふたりで手を携えて行けば、ひとりでは越えられない山を越えることだってできるでしょう。山を越え、川を越えた虹の向こうのその先で、どうかおふたりが幸せを知ることができますように。凛菜、おめでとうございます』
「イズミ……」
イズミが壊れる直前に書いた最後の日記。
ぱたぽたと、紙の上に雫の落ちる音がした。拭っても拭っても、あたしの目から涙が溢れ出す。
イズミ、いつもありがとう。
長い間、あたしたち家族を支えてくれてありがとう。
――半年後。
あたしたちは結婚の日を迎えた。
涙目のお父さんと腕を組んでバージンロードを歩いたあたしは、冬弥と並んで大変恰幅の良い神父の前に立っている。
神父があたしに問いかける。
「新婦凛菜、あなたは冬弥を夫とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、夫を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り愛をもって互いに支え合うことを誓いますか?」
「はい、誓います」
イズミが壊れた日 わら けんたろう @waraken
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