手紙の返事は彼の日記
葵月詞菜
手紙の返事は彼の日記
「
始まりは
***
稲荷すずめは高校に入学してからまたつけ始めた日記に今日の分を記入すると、一旦机の端に置いた。
次に目の前にB5サイズのルーズリーフを用意して、ボールペンをくるくると回す。
(さて、今日は何を書こうか)
これから書くのは同じ部活の同級生に向けた手紙だ。手紙と言っても、そんな堅苦しいものではない。紙はちゃんとした便箋でなくメモ帳でもノートの切れ端でも良いし、内容は質問でもその日あった出来事でも何でも良い。
そもそもこの文通は、文通相手――高観雲雀の字を書く練習という目的で始まったのだ。
この春、すずめは流されるままに文芸部に入部した。活動は週一回、それ以外は各部員に委ねられている緩い部活だった。すずめは比較的読書はする方だったが、特に小説を書くでもなく、書きたいわけでもなく、何となく暇を持て余した時などに部室を訪れていた。
すずめを文芸部に誘った
すずめは小説は書かないが、字を書くのは好きだった。中学までは書道をしていて、今もたまに気が向いたら書いている。そんなすずめの字を見た高観雲雀が、ひどく感動してしまったらしく、「俺も稲荷さんみたいな綺麗な字を書きたい」などと言い出したのだ。
ちなみに、彼の字はお世辞にも読みやすいとは言い難く、以前部室に置き忘れた筆ペンの練習文字は呪いの書と勘違いされたことがあった。
そして、彼は名案とばかりにすずめに提案したのだった。
「稲荷さん、俺と文通してよ」
曰く、手紙だったら誰かに読んでもらいたくて頑張って返事を書くから、字の練習にもなるだろう、と。
確かにすずめも幼い頃から祖母と手紙のやり取りをしていた経験から字を書くのが好きになった。雲雀も同じことを思ったのだろう。
特にすずめにメリットはないような気もしたが、逆に断る理由も思いつかず、結局彼の提案を受け入れたのである。
それからぼちぼちと手紙のやりとりを始めて一か月になる。
「思った以上に書いてくれたなあ」
すずめは棚に差し込んだファイルを取り出した。そこにはこの一か月で雲雀からもらった手紙が挟んであった。一週間に一度、もしくは二回程やり取りしたら飽きるか面倒になってやめるかと思っていたのだが、予想に反して彼は三日以内に返事を書いて渡して来た。
パラパラと捲って見返してみると、だんだん文字の量が増えていることに気付く。
初めは質問などから始まって、最近は日々の出来事が多い。クラスが違うため、すずめのクラスとは全然違う景色が見られる。また、男女の差から生まれる視点も興味深い。
「ふふ。これ、高観君の日記じゃん」
よく考えたら彼の日記といえるものかもしれなかった。何せ、すずめが書いた物はすずめの手元には戻らない。逆に言うと、雲雀もまたすずめの書いた返事という日記を持っていることになるのだが。
ファイルの一番後ろ、直近は一昨日もらった手紙だ。すずめはその内容を見返した。
(字もだいぶ読みやすくなってきたような気がする)
すずめが読むことを前提に書いているからだろうか。癖のある字ではあったが、一字一字、丁寧に綴られているのが分かる。
(ていうか、これ書くのにだいぶ時間使っているのでは……)
すずめでさえ、内容を考えたり実際の文章を組み立てたりしているとゆっくり時間を取らないと書けない。
(高観君、暇なのかな……)
文通をしようと言って来たのは向こうだが、すずめはいまだに不思議に思うのだった。
「はい」
翌日の放課後、文芸部の部室ですずめは二つ折りのルーズリーフを渡した。
「まだ続いてたんだ」
今日もスケッチブックを開いて絵を描いていた
「雲雀のことだからすぐに飽きるだろうと思ってたのに」
雲雀とは中学からの友人だという鶫の正直な言葉に、すずめも思わず苦笑してしまった。
「わたしもそう思ってたんだけど、意外だよね」
「うわあ、稲荷さんまでひどい」
雲雀は少しだけ拗ねたように唇を尖らせた。
「俺から言い出したことだし、そんな簡単にやめられるかよ。それに最近、ちょっと書くのが楽しくなって来たんだ」
「へえ。それは稲荷さんだから?」
「それはある」
「え?」
鶫の面白半分の言葉に雲雀が真面目な顔で頷いたので、すずめも変な声を出してしまった。
(どういう意味?)
鶫もまじまじと雲雀を見つめる。だが、雲雀はあっけらかんと言った。
「だって俺、稲荷さんの字のファンだし。手紙の字、めっちゃ綺麗だぞ。こんな字で返事書かれたら、また返さなきゃって思うしもっと読みたいって思うだろ」
「……へえ」
図らずも、鶫とすずめの声が重なった。
(そうか。高観君は本当にわたしの字のファンなんだ)
前からそんなことを言っていたが半分冗談と受け流していた。しかしここまで真面目な顔で言われては、本気なのだと思わざるを得ない。
(――いやあ、わたしの字普通だと思うけどね……)
すずめには全く以てその理由が分からなかったが。
早速渡した手紙をこっそり読み始める雲雀を、首を傾げながら見ていると、鶫が小さな声で話しかけて来た。
「稲荷さん」
「ん?」
鶫は長い前髪の間からすずめを見上げて、微かに目を細めた。
「雲雀、ああは言ってるけど、多分稲荷さん自身も気に入ってるんだと思う」
「え?」
「今までのあいつなら絶対手紙書くなんて言い出さなかっただろうし、まして女の子と文通なんて……スマホでメッセージのやり取りとかはあると思うけど」
「……正直、わたしもまさか文通相手になってくれと言われるとは思わなかった」
「だよね」
鶫は深く頷いて同意する。やはり普通はそう思うものだよな、とすずめは少し安堵した。
「でもまあ……稲荷さんが嫌じゃなければ、続けてあげてくれないかな」
「いや、別に嫌じゃないよ。高観君の手紙、結構面白いし」
「そうなの?」
「うん。何か、他人様の日記を読んでるみたいな気持ちになるけど」
すずめが苦笑すると、鶫もつられたように笑った。
「そのうちその手紙を作品にして部誌に載せられるんじゃない?」
「公開日記になっちゃうね。一応全部取ってあるから、いつか高観君に打診してみるよ」
「絶対断られそうだけど」
それはそうだろうな、と思う。すずめだってさすがに部誌に載せるのは勘弁してほしい。
雲雀はまだすずめの返事の紙に見入っていたが、やがて二つに折り畳むとそれを鞄にしまった。
「ねえ、高観君は手紙を書くのにどれくらい時間使ってるの?」
昨日ふと考えたことを訊いてみる。雲雀は一瞬きょとんとして、小首を傾げた。
「さあ……どれくらいかな。あんま意識したことないな。でも予習した後に書くとだいたい夜更かしコースかな」
「夜更かし……」
「あ、でもあっという間に時間が過ぎてるって感じで、夜更かしの意識はないよ」
「夜更かしってだいたい気付いたらしてるものだよ……。あの、ちゃんと寝てね?」
すずめは多少申し訳ない気持ちになって付け加えた。雲雀は軽く手を振って、
「いやいや。これは俺が勝手にやってるだけだから気にしないで」
それはそうなのだが。すずめはますます不思議な気持ちになってしまった。
雲雀はそこまでしていつも返事を書いてくれているのか。
これはすずめも心して彼の手紙を読み、返事を書かなければいけない。
「それより稲荷さんこそ、俺の手紙読みにくくない? つまらないとかない?」
「ううん、それは大丈夫。内容は結構新鮮で面白いし、字もだいぶ読みやすくなってきたと思うよ」
「マジで!?」
すずめが正直に伝えると、雲雀は表情を明るくした。
「聞いたか、鶫」
「聞いたよ。良かったね、呪いの書とか言われなくて」
さりげなく以前の出来事を持ち出す鶫に、雲雀が「う」と言葉を詰まらせる。
「大丈夫だよ。少なくとも、シャーペンとボールペンの字はそうは見えない」
「稲荷さん、謎のフォローをサンキュ……」
次は筆ペンでリベンジするか、とぶつぶつ言い始めた雲雀に、すずめと鶫は小さく笑ってしまった。近々、筆ペンの手紙が届くかもしれない。
すずめの部屋の棚に仕舞われたファイルはまだまだ厚みを増していきそうだ。
自分の日記とは別に、高観雲雀という男子の日記もまた蓄積されていくのだった。
手紙の返事は彼の日記 葵月詞菜 @kotosa3
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