第84話 十面埋伏の計

 劉備りゅうびは食客として各地を転々としていた。

 陶謙の求めに応じる形で徐州へやってきた。


 この誘いは渡りに船だった。

 というのも旗揚げから約十年、一個の城を与えられた経験はなく、ようやく一箇所に留まれるからだ。


 劉備にも家族はいる。

 兵士だって妻子を帯同している。

 弱い者を率いたまま中華をウロウロするのは過酷なのだ。


『これで将兵も楽になるだろう。噂に聞いていた通り徐州は豊かな土地だ』


 しかし天は劉備に冷たかった。

 曹操という侵略者を差し向けて、戦うことを余儀なくさせた。


 多勢に無勢。

 劉備軍はボコボコに打ち負かされた。

 しかも居城との連携を断たれてしまい、帰る場所が無くなったから、


『冀州の袁紹のところで落ち合おう! 武器を捨て、農民のフリして、曹操軍をやり過ごすのだ!』


 そう命じるのが精一杯だった。


 城を捨てた。

 妻子も捨てた。

 十年の苦労を共にしてきた関羽も置き去りにした。


 裸一貫からの再スタートで心が折れるところだが、


『すまねぇ、陶謙殿。すまねぇ、雲長うんちょう。兵士をかき集めて必ず助けに来るからよ!』


 絶対に諦めないのが劉備の才能なのである。


 主君の妻子を押し付けられた関羽は仕方なく曹操に降伏した。

 この件について関羽は一切の文句を言わなかった。


 ……。

 …………。


 曹操が布陣している、と報告が入ってきた。


 数はおよそ三万。

 それを一目見た陳宮は、


十面埋伏じゅうめんまいふくの計でしょう」


 と呂布に進言した。


 四百年前の名将、韓信かんしんが発案したとされる。

 あの項羽を死に追い詰めた必殺の奥義である。


 この計略のキモは大将がおとり役になる点だろう。

 主力をすべて伏兵にして左右から挟撃するのだ。


「攻めてこい、と挑発しているのか」

「一歩間違えると曹操が死にます。ゆえに相手の将兵も死に物狂いで反撃してきます」


 ハイリスク・ハイリターン。

 曹操らしい奇策といえた。


「一点だけせない。こちらに陳宮殿がいる以上、十面埋伏の計だとバレるのでは?」

「看破されても関係ない。そう判断したのでしょう」

「ふむ……酔狂すいきょうな……」


 決戦するか否かの軍議がおこなわれた。

 中には『兗州の支配を固めてジワジワと曹操を圧殺すべき』という意見もあった。


「戦うことで失われる命、先延ばしにすることで失われる命、天秤にかけた場合、後者の方が大きいだろう」


 呂布が淡々と説く。


「あと曹操の十面埋伏に興味がある。あの項羽を滅ぼした計略なのだ。つまり歴史上一度も破られていない」


 決戦に決まった。

 将校らはそれぞれの部隊に戻った。

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