第83話 警戒すべきは夏侯惇より……

 悲しみに浸っているヒマはなかった。


 呂布は再び二十万の軍を出発させた。

 当初の予定通り二方面から曹操の領地に攻め込む。


「略奪は一切働くな! 斬首に処すぞ!」


 無人の野を行くような快進撃だった。

 守備についているのは弱兵ばかりで、大軍で取り囲むと城は呆気なく落ちた。


「どう思う、青?」

「曹操は肉を切らせて骨を断つ作戦でしょう。兗州の奥まで誘い込んだ方が勝機はあると見ているはずです」

「ふむ、背水の陣みたいなものか」


 落とした城には守兵を残す。

 奥に進むほど呂布軍の数は減っていく。


 斥候を四方に放ちまくった。

 曹操は麦を集めており、短期決戦に備えている様子だった。


 城壁に登った時だった。


 西の空がふいに暗くなる。

 瘴気しょうきのような黒波が一気に押し寄せてきた。


蝗害こうがいだ!」


 兵士の一人が叫んだ。

 馬を連れて建物の中に避難した。


 横殴りの雨のような音がドアを叩く。

 わずかな隙間からイナゴが次々と侵入してきてエサを探す。


 ようやく収まったので外に出てみると、緑色だった平野が無惨な姿に変わり果てていた。


「これは酷い……」


 農民たちは収穫を控えていた。

 数ヶ月積み上げてきたものが数時間で水の泡になってしまった。


「荊州と揚州に食料を借りましょう。このままだと兗州の民は餓死します」


 すぐに使者を送った。


「ここで曹操を破らないと十万を超える民が冬を越えられないな」

「勝ちましょう、父上。蝗害は残念ですが、むしろ曹操軍にとって打撃でしょう」


 とうとう泰山たいざんの近くまで進軍した。

 曹操は兗州の大半を捨てたことになる。


田単でんたんに似てますな」


 高順がポツリと言った。


 田単は斉の武将だった。

 牛火の計で知られる救国の英雄である。


「どうかな。当時の相手は田単を舐めていた。俺は曹操を舐めていない」


 呂布の両眼がギラリと光る。


「ですな。もし戦場で夏侯惇を見かけたら、この高順をぶつけてください。どちらが多くの修羅場を抜けてきたか、互いの武力で白黒つけようと思います」


 高順が鼻息を荒くする。


 軍議を開いた。


 参謀の陳宮が地図を広げる。

 一帯の地形や相手のクセについて説明する。


「夏侯惇は警戒すべき武将ですが、独力で戦局をひっくり返すほどの爆発力はありません。もっと警戒すべき男がいます」


 それを聞いた高順がムッとする。


「わざわざ念を押すということは、よっぽど優れた将だろうな」

「降将の関羽かんうです。これほど実力と実績が釣り合わない将を私も曹操も知りませんでした」


 この時の関羽はほぼ無名だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る