第81話 狡兎死して走狗烹らる

 昔のトラウマが蘇ってきた。

 洛陽にいた時、英姫と妹二人を人質に取られた。


 幸運にも三人は取り返せた。

 丁原の首と引き換えによって。


 武人の妻たるもの、いつでも死ぬ覚悟が求められるが、それを若い呂琳に要求するのは酷だろう。


「急げ! 急げ! 長安を落とさせるな!」


 張遼の二千騎が先行する。

 呂青も隊列に加えてもらった。


 とても速い。

 飛電が珍しく本気を出している。


 長安が近づくにつれて続々と情報が入ってきた。

 寝返ったのは樊稠と張済だけで、反乱が波及しそうな気配は今のところない。


 裏切りは乱世の常という。

 呂青たちも陳宮と張邈の離反で勝とうとした。

 それ以前にも(いちおう主君だった)董卓を謀叛によって殺している。


 まさか寝返られる側になろうとは……。


 少し慢心していたのだろうか。

 劉協を擁しているから味方は一致団結している、と。


 休憩中、長安を脱出してきた千里隊と合流できた。


「長安の状況はどうだ?」

「いくつかの門が落ちそうです。韓遂殿が応戦していますが、同時に十二の門を守っているような状況です」

「そうか……」


 韓遂に与えられている兵力はおよそ一万。

 その他に各門の守備隊や羽林うりんと呼ばれる皇帝の親衛隊が長安を守っている。


「母上や琳たちは?」

「屋敷の門を固く閉ざしています。姫様は弓を片手に戦う気です」

「あいつ……」


 夜明けと共に出発した。


 三年で天下を統一する。

 劉協の前でそう誓った。


 あれには条件があって一回のミスも許されない。

 もし長安を落とされたら呂布の計画は三年くらい伸びる。


 一日でも早く天下統一する必要があった。

 じゃないと中華そのものが弱体化してしまう。


 今から五十年くらい前……。

 外戚の専横によって漢王朝は力を失い始めた。

 各地で次々と民衆が蜂起した。


 このまま内乱が続けば五胡ごこと呼ばれる異民族(モンゴル系の匈奴・鮮卑・けつとチベット系のてい・羌)の侵攻を許してしまう。


 ライバルは袁紹や曹操だけじゃない。

 むしろ大英雄に率いられた異民族が一番怖い。


「あと一日で長安だ。夜を徹して進むことはできるか、張遼?」

「できます。そのための訓練を積んでいます。まさか役に立つ日が来るとは思いませんでしたが」


 先頭を駆ける部隊を入れ替えながら進んだ。

 兵士たちは馬に乗ったまま休憩するのだ。


 長安が見えてきた。

 すでに二つの門が破られている。


 その割には静かだ。

 戦闘らしい戦闘は起こっておらず、大きな部隊が動いている様子もない。


「これは一体、どういうことでしょうか」

「分からない。反乱軍に異変があったのかもしれない」


 城壁の上から声が降ってくる。


「お〜い、兄上!」

「琳⁉︎」


 武装した呂琳が四十名ほどの千里隊や順風隊を従えている。


「反乱が起こったと聞いたから戻ってきた。終わったのか?」

「そうみたい。指揮していた樊稠と張済は殺されたって」


 呂青と張遼は顔を見合わせた。


「誰が討ち取ったか、琳は聞いているか?」

「え〜と……あの人だ……甥の……」

張繍ちょうしゅう殿か?」

「それだ!」


 呂青は朝廷へ向かった。

 すると死装束に身を包んだ張繍が王允らの前で申し開きしていた。


「樊稠と張済は『狡兎こうと死して走狗そうくらる』を恐れていました。袁紹や曹操が倒された後は用済みになった自分たちが李傕や郭汜のように滅ぼされると思ったのです」


 かつて四人は董卓四天王と呼ばれ凶刃を振るった。

 良きにつけ悪しきにつけ董卓のために死体の山を築いた。


「私は叔父を諌めました。しかし二人が謀叛を強行したため、やむをえず樊稠と張済を殺しました。私も叔父に連座して死を賜るつもりです。ですが反乱に加担した将兵とその家族は殺さないでください。上官の命令に忠実だったのです」


 張繍の頬を一筋の涙が伝った。

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