第62話 王佐の才

 眩暈めまいがするほど忙しい毎日だった。


 まず老臣の皇甫嵩、朱儁、盧植を長安へ呼んだ。

 この三人は経験豊富だから劉協の師として相応しかった。


「十年くらい寿命が伸びた気がする」


 朱儁は皇帝の成長が楽しみで仕方ない様子だった。


 それから韓遂と馬騰の名誉を回復させた。

 この二人は賊将という立場だったが、今日からは歴とした漢王朝の臣下となる。


 謁見の場には馬超も呼ばれた。


 馬超はきょう族とのハーフである。

 八尺(約百八十八センチ)という巨躯で長安の廷臣らを驚かせた。


「ぜひ西方の治安維持に努めてほしい」


 長安には韓遂と馬騰が交代で留まる。

 守備兵として一万を置く。

 この二点が約束された。


 呂青は漢王室最大の問題に手をつけることにした。

 つまり財政の立て直しである。


 この二年間、董卓は粗悪な貨幣を発行しまくっていた。

 国が滅亡する兆しの一つ、ハイパーインフレが進行中なのである。


 残念ながら王允は経済の専門家じゃない。

 そこで牢獄から出たばかりの人物を頼ることにした。


「荀攸殿、あの折は酷いことをしました。水に流してくれとは言いませんが、私以外の人間を恨まないでください」

「いえ、呂青殿の取り成しがなければ、生きたまま両目をえぐられていたでしょう」


 荀攸はアハハと笑った。


 袁家ほどじゃないが荀家も名門である。

 しかし荀攸には気取ったところが微塵もない。


「荀攸殿にお見せしたい物があります。この中に入ってください」

「さて……何もない部屋ですが……」

「漢王室の国庫なのです」

「なんと⁉︎」


 背後で足音がした。

 劉協だった。


「陛下⁉︎」


 跪拝きはいする荀攸の肩にそっと手が置かれる。


「どうか知恵を貸してほしい。これは国家百年の計なのだ。国を再び豊かにしたい。頼めるのは荀攸、そなた一人しかいない」


 皇帝からの『君にしか頼めない』はこの時代最大の殺し文句だった。


 荀攸は感激した。

 額を床にぶつけた。


「はっ! この荀攸、必ずや文景ぶんけいの治の頃の豊かさを取り戻しましょう!」


 黄金期に匹敵する国力の充実を誓った。

 この日から荀攸の戦いが始まった。


「私一人では到底力が足りない」


 そういって各地の親族に手紙を送り、人材を長安へ集めた。

 しかし一番欲しい助っ人が来なかった。


 曹操に仕官したばかりの荀彧じゅんいくである。

 才能がありすぎるから曹操が手放さなかったのだ。


「むむむ……何か手はないだろうか?」


 荀攸は友人の鍾繇しょうように相談した。


「私に良い案があるぞ」


 鍾繇はまず曹操に使者を送った。

『官位を授けるから兗州えんしゅう殿(曹操のこと)も使者を送ってこい』という内容だった。

 メンバーの一人に荀彧を指名した。


 荀彧と荀攸と鍾繇は久しぶりに再会した。

 大きな宴会を開いて昔話に花を咲かせた。


「新しい職場はどうなのだ、荀彧?」

「袁紹と違って曹操は決断するのが早い。英雄の気質があると思う」

「そうか、そうか。しかし董卓がいなくなった都も悪くないぞ。長安の酒と料理だって中々美味しい」

「想像していたより街に活気があるな」

「だろう」


 荀彧はすっかり酔い潰れた。

 翌朝に目を覚ますと首から印綬いんじゅがぶら下がっていた。


「これで荀彧も漢王朝の臣下だ」

「あっ! ハメたな、鍾繇!」


 二人はさっそく劉協と荀彧を引き合わせた。


「荀彧には王佐の才があります。管仲や張良に匹敵するでしょう」


 そういって太鼓判を押した。


「朕は戦争のない世の中を作りたい。この大業を任せられるのは、袁紹や曹操のことをよく知る荀彧、そなた一人しかいない」


 荀彧は勤王の士だから『君にしか頼めない』の一言にすこぶる弱かった。

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