第61話 この国に足りないものは

 武官による争いは三日で幕を下ろした。

 同じ頃、文官による争いも勃発していた。


 発端は王允である。


 董卓に協力的だったとして学者の蔡邕さいようを投獄していた。

 また弑逆しぎゃくの罪があるといって李儒を裁判にかけようとしていた。


 すぐに賛否両論が巻き起こった。

 反対派の意見としては『人材難なのだから仲間割れしている場合じゃないだろう』という声が強かった。


 呂布からも、


『董卓に協力したのが罪なら、ここにいる全員が罪人になるぞ』


 と牽制しておいた。

 しかし王允は、


『李傕と郭汜を滅ぼしたように、文官からも数名を処罰する必要がある。特に李儒の罪は無視できない』


 と言い張った。

 王允は正義の人なので損とか得とか度外視なのだ。


「頭でっかちの王允殿を説得する手段はあると思うか?」

「そうですね……」


 父から相談された呂青は劉協へ拝謁を申し込んだ。


「本日は陛下にお願いがあって参りました。どうか李儒の罪を許してくれないでしょうか」


 すると劉協の顔色が曇った。


「いくら呂青の上奏でも、それは無理な話だ。李儒は兄上を殺している。あの男を処断しないと天下に示しがつかない。朕は王允に裁判を任せようと思う」

「陛下が死ねと命じれば李儒はいつでも死にます。李儒とはそういう男です。歴史上、こういう家来を殺して良い結果を招いた例は少ないです」


 いったん言葉を切った。


「今この国に必要なのは許す心……寛容の精神となります。まずは李儒より始めてください」

「呂青の主張は理解した。だったら一つ教えてくれ。どうして李儒の肩を持とうとする。深い理由があるのだろう」

「これは現在の朝廷を見た感想ですが……」


 次は自分が弾劾されるのでは?

 その手の恐怖を抱えている廷臣は少なくない。


「だからこそ李儒を許すのです。李儒ですら許されたのだから自分も大丈夫だろう、という安心感が生まれます。李儒一人を許すことで何千何万という人々が許されるのです。陛下の一存でそれが可能となります」

「分かった。李儒の罪は不問とする。裁判は中止させる」


 呂青は深々と頭を下げた。


「感謝する、呂青。危うく私情に流されるところだった」


 この日の内に蔡邕と李儒は牢獄から解き放たれた。


 ……。

 …………。


 許す心が必要。

 あのセリフは呂青にも跳ね返ってきた。


 郿城びじょうが落ちたのである。

 董卓がありったけの食料や金品を蓄えて、一族の女子供を住ませている要塞である。


「死者は多いのか?」

「いえ、内応者が門を開けたため無血です」


 呂青も飛電にまたがって急行した。

 目指したのは董白が暮らしている屋敷である。


「寛容の精神、か」


 驚いたことに董白はのんびり読書していた。

 祖父の董卓が死んだことを知らないのだ。


「どうしたのですか、呂青⁉︎ その格好は⁉︎ 長安で反乱が起こったのですか⁉︎」


 これだからお嬢様は!

 怒りと呆れがごちゃ混ぜになり、近くにあった文台つくえを剣で真っ二つに斬った。


「詔が出ました。董卓の一族を誅殺せよと。あなたを含めた女子供しか生き残っていません」

「お祖父様が⁉︎」


 書物の山が雪崩なだれを打つ。


 董白を殺すべきである。

 じゃないと勅命に背いてしまう。


 でも呂白が悲しむだろうな。

 そのシーンを想像して剣を戻した。


「あなたは以前に言った。我が父や私がこの世に平穏をもたらすと。だったら生き延びて見届けられよ。ニセの死体を見つけてくる。董白の名は捨ててもらう。一介の庶民としてなら生きる道を用意できる」

「どうして私に情けを?」

「あなたは心が清らかすぎる。そういう人間でも天寿を全うできる世の中が私の理想なのだ」


 屋敷の使用人が一名増えた。

 彼女の名をこくといった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る