第35話 ならず者の集団

 馬に乗っている時間が好きだった。

 一定のリズムに身を委ねていると心が空っぽになる。


 飛電は大人に成長した。

 直線を駆ける時のスピードは凄まじく、高順や張遼の愛馬にも負けなかった。


 残雪も同じく名馬だった。

 牝馬ひんばにしては気性が荒いのだが、呂琳と一緒の時だけ馬が変わったように従順になる。


 この二頭は仲が良くて、単騎で駆ける日と二騎で駆ける日で、明らかに飛電のやる気が変わった。


「兄上、山並みから朝日が昇るよ」

「綺麗だな」


 馬を止めてしばらく見入った。


「みんなで洛陽に来て正解だった。河が大きいことを知れた」


 呂琳の言う河とは黄河のことだ。

 海かと錯覚しそうなほど広かった。


「河が流れつく先に海があるんだよね。海の向こうには何があるのかな?」

「ここと同じような大陸がある。そして海が周りを囲んでいる」

「その向こうには?」

「大陸があって、森林とか砂漠とか山岳があって、ここに帰ってくる」

「?」

「この世界は丸いのだ」


 信じられない呂琳は笑い始める。


「俺たちは大きな球の上で暮らしている」

「あり得ないよ。下とか横の人が落ちちゃうでしょ」

「落ちない。これを説明するのは難しい。でも世界が球であることは説明できる」


 呂青は馬から降りた。

 木の枝を拾って地球と棒人間を描く。


「高いところにいる時の方が遠くの物まで見えるだろう。あれは地表が曲がっているせいなのだ」

「むむむ……」

「見渡す限りの草原があるだろう。でも地平がぷっつり切れている。あれも世界が球である証拠だ。地面がまっ平なら遠くの山が見えるべきだ」

「確かに……」


 呂琳が尊敬の眼差しを向けてくる。


「この世が丸いなんて大事件だ! 兄上は何でも知っているね!」

「それは褒めすぎだ」


 つい得意げにしゃべってしまったが、この時代の人にとって地球が丸いことは衝撃だろう。


 呂青は白い月を指差した。


「月までの距離も計算できる」

「本当に⁉︎ どのくらい遠いの⁉︎」

「洛陽と故郷を五百回往復するくらい遠い」

「ほえぇ〜!」


 呂琳は信じやすい性格なんだな。

 妹の美点を見つけた気がした。


「数字や天文に関する学問だ。もし世の中が平和になったら、知識を探求してみるのも楽しいかもな」

「私も手伝いたい!」

「勉強だぞ。琳は嫌いだろう」

「今好きになった!」


 お調子者だなと思った呂青は苦笑いする。


 背中に触れてくる物があった。

『いつまで休む気だ?』と飛電が鼻先で急かしてくる。

 呂青と呂琳は朝駆けを再開させた。


 旅人の姿がちらほら目につくようになった。

 街道と街道が交わるところで、何やら揉めている集団がいた。


 商人の一家と五人組の兵士だった。

 罵声とも怒号ともつかない声が聞こえる。


「通行税だ! 通行税! ここを通りたけりゃ、金か商品の一部を置いていきな!」

「そんな話、聞いていない!」

「誰がこの国の治安を守っていると思っている」


 兵士が抜剣する。

 切っ先を突きつけられた商人はたじろいだ。


「これは規則だ。逆らうのなら賊と見做みなしてこの場で斬る」

「そんなの横暴じゃないか⁉︎ お前たちに何の実権がある! 見たところ単なる傭兵だろう!」

「うるさい。黙れ」


 兵士の拳が一発、商人の脇腹を殴りつけた時だ。

「やめなさい! あなたたち!」と呂琳が叫んだ。


「なんだ、お前は。女のくせに馬に乗りやがって。気持ち悪い」

「はぁ⁉︎ 気持ち悪いですって⁉︎ こいつ……」

「失せろ。仕事の邪魔をするな」


 呂青は二人の間に割って入った。


「この女は関係ない。私は大将軍・何進の旗下の者だ。商人から通行税を取ってもよい、という話を耳にした覚えはない」


 大将軍の旗下はもちろんハッタリだ。

 兵士は飛電を見て、ただならぬ牡馬ぼばと気づき、呂青を良家の子弟と思ったらしい。


「新しい規則が出来たのですよ、将校さん。また南で反乱軍が暴れていますからね。金が必要なのです」

「そうか。なら私の不勉強だな。この近くに駐屯しているということは董卓軍の兵か。名前と所属を聞いてもいいか?」


 兵士はバツが悪そうな顔になり、ぺっと唾を吐き捨てた。


「運が良かったな」


 剣を鞘に戻すと、商人の肩を叩いてから去っていく。

 呂琳が「アホ〜! アホ〜!」と連呼したが、兵士たちは振り返らなかった。


「ありがとうございます。助かりました」

「いや、いい。むしろ官軍の横暴さを申し訳なく思う」

「何進軍の方ですか? 名前とお住まいを教えてください。後で礼にうかがいます」

「あれは嘘だ。実は呂布軍に所属する者だ。礼には及ばんよ」


 馬車の中から小さな子供が顔を出して手を振ってくる。


 呂青と呂琳も手を振り返すと、その場から駆け去った。

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