第25話 白馬の旅人

 十四歳になった。

 気になるニュースが立て続けに舞い込んできた。


 一つは西園八校尉さいえんはつこういの新設である。

 宦官の蹇碩けんせきを筆頭として、袁紹えんしょう曹操そうそう淳于瓊じゅんうけいといった若手の実力者が名を連ねた。


 西園八校尉というのは皇帝が直轄する軍のことだ。

 逆説的にいうと、それまで皇帝が自由に動かせる兵力はほぼ皆無だったことを意味する。


 洛陽ではお披露目のパレードが行われた。

 名門の袁紹は風貌ふうぼうも立派だ、というのが世間の評判だった。


「何で父上が選ばれなかったの⁉︎」


 呂琳が不満を爆発させていた。


「家柄が大切なんだよ。父上は実力で成り上がったからな」

「むか〜!」


 怒れる妹を適当に宥めておいた。

 ファザコンほどじゃないにしても、呂琳の頭には『父上こそ一番の英傑!』という価値観があるらしい。


 もう一つのニュースは『皇帝が病気じゃないか』という噂だった。


 もちろんデマ情報である。

 最高権力者のコンディションが容易に外へ漏れるわけない。


 皇帝の不具合を目にしてしまった廷臣は口封じのために処刑されかねない時代なのだ。

 おそらく天候不順の多さが影響しているだろう。


 この時代、台風、洪水、旱魃かんばつが多発すると、皇帝が昏君バカな証拠とされており、そのことを皇帝本人も知っているわけで、相当なストレスを溜め込んでいると思われる。


 ゆえに皇帝の病気説は世間の鬱憤うっぷんだろう。

 でも案外事実だろうな、と呂青は考えていた。


「ねぇねぇ、兄上、天子様は病気なの?」

「なんだ、琳も噂を聞いたのか」


 呂青はやれやれと首を振った。


「誰が思い付いたか知らないが、下手くそな嘘だろう。ただ相当お疲れなのは間違いない」


 世の荒廃ぶりを見れば、皇帝がノイローゼになるのも無理はない。

 高祖こうそから四百年続いてきた漢王朝が自分の代で終わるかも……という恐怖とプレッシャーは本人にしか分からないだろう。


「兄上は生まれ変わったら皇帝になりたいと思う?」

「いや、思わない。責任が重いからな。貴妃をたくさん置かないといけないし、跡継ぎを一人選ぶのも難しそうだ。俺は父上みたいな生き方がいい」


 呂布は愛妾を一人も置いていない。

 これは非常に珍しいことで、一軍を率いる立場にいるなら、複数の側室を置くのが普通だった。


 ひとえに英姫を愛している。

 呂布の長所はたくさんあるが、夫婦仲が良いところは息子として鼻が高かったりする。


「逆に聞くが、琳は皇室に輿入こしいれしたいと思うのか?」

「思わな〜い。だって後宮には何百人も女性がいるんでしょ〜。派閥争いとか大変そうだし嫌だな〜」

「ほう……」


 呂琳も十四歳になったから、女性社会の面倒臭さが分かってきたらしい。


 母の英姫が結婚したのは十六の時。

 あと二年したら呂琳もそれに並ぶ。


 今のところ婚姻の話は一つも舞い込んでこない。

 呂布が政略結婚にまったく興味ないのだ。


『琳は馬に乗るからな。もらい手となる男がいないだろう』


 父がそう言えば、


『琳より蓮の方が先に嫁ぐでしょうね』


 母も賛同する有様であった。


 三姉妹の中だと呂蓮の肌が一番美しかった。

 まだ十歳だけれども、ハッとするような色気を放つことがある。


「兄上! せっかくの晴天なんだ! 今日も馬に乗ろうよ!」

「はいはい」


 牧場へ向かっている最中。

 向こうから白馬を引いた若武者がやってきた。


 年頃は二十三くらいだろうか。

 全身が土埃つちぼこりにまみれているが、目元からは凛々しいオーラを放っている。


 近所じゃ見ない顔である。

 かといって敗残兵という風でもない。


 馬をいている理由はすぐ分かった。

 白馬の横っ腹に生々しい傷が走っているのだ。

 呂琳が顔をしかめて「痛そう」と小声で言った。


「すまない、君たち。あそこの牧場の持ち主は近くに住んでいるか?」

「はい、あの牧場は父のものです」


 呂青が答えると、若武者はやや驚いた表情をした。


「そうか。実は山道で落石に巻き込まれてしまった。倒木を避けようとしたのだが、私の馬が負傷してしまったのだ。もし馬の手当てを得意とする者がいるなら紹介してほしい。この馬が元気にならないと次の合戦に参加できないのだ」

「分かりました。父に聞いてみます」


 男の声には爽やかな響きがある。

 呂布ほどじゃないが上背だってある。


「我が名は趙雲ちょううん常山じょうざん趙子龍ちょうしりゅうという。冀州へ帰る途中、この近くを通りかかったのだ」

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