第14話 嵐の前触れ

 さっそく本作りの日々が始まった。


「あら、青。今日もお勉強?」

「勉強ではありません、母上。これを売って金儲けするのです」

「まあ⁉︎」


 英姫が目を丸くした。


「そうです、母上。子供だってお金を稼げるのです」


 呂琳が自信たっぷりに言う。


「あと、琳の勉強にもなります。そろそろ文字の読み書きを覚えるべきです」

「そうです、母上。私も今日から勉強するのです」


 英姫は明らかに困惑していた。

 三歳の呂蓮は何のことか理解していないから、呂琳の作業を邪魔して遊んでいる。


「こら! 蓮! せっかく結んだのに外さないでよ!」

「あはは!」


 ずっと筆を動かしていると肩の筋肉が凝りやすい。

 そんな時は呂琳が優しく揉んでくれた。


「いいな〜。私も兄上みたいに綺麗な字が書けたらな〜」

「琳はガサツだからな。文字には人となりが出てしまう」


 背中を殴られて筆先が乱れてしまった。

 消したい時は小刀で竹の表面を削るのだ。


 いよいよ困った英姫は呂布にアドバイスを求めた。


「あんなに幼いのに金儲けのことばかり考えていいのでしょうか?」

「かまわない。好きにやらせろ。泡銭あぶくぜには身につかないと言うではないか」


 呂布は淡々とした口調で言う。


「ですが……ねぇ……」

「苦労してお金を手に入れる経験は、若い頃に積んでおいた方がいい。それに村の子供だって、青くらいの年齢になれば親の仕事を手伝ったりするだろう」


 呂布としては子供たちの挑戦が成功するのか失敗するのか見届けたいのだろう。


 訪問者があった。

 行李を背負った高順である。

 今日もたくさんの竹簡ちくかんと紐を届けにきてくれた。


「琳、高順に銀子を渡してくれ」

「はい、兄上!」


 そんなやり取りを見守っていた呂布がニヤニヤと笑っている。


「青の奴め。若いくせに金で人を雇うことを覚えたか。商人の素質があるな」


 そんなセリフが聞こえた。

 適正な対価であれば高順にお金を渡してもとがめられなかった。


 呂布は抱っこしていた呂蓮を床に下ろすと、高順を庭へいざなった。


「体を動かしたい。俺の稽古に付き合え」

「承知です、殿」


 高順の殿には三種類あって、大殿なら丁原、殿なら呂布、若殿なら呂青を指していた。


 カツカツと木の棒のぶつかる音がする。

 ふん! と呂布が気合いを入れると、高順の持っていた棒が真っ二つに折れた。


「ますます強くなられましたな」

「どうかな。最盛期の項羽こううはもっと強い気がする」

「項羽は覇王ですから。別格でしょう」

「でも同じ人間だ」


 呂布が項羽を引き合いに出したのは興味深いことだった。

 項羽の挙兵は二十四歳なので、現在の呂布とほぼ同年なのである。


 残されている記録を信じるならば、項羽は単身で百人をぶっ殺すという鮮烈デビューを飾っている。


 最強だった。

 なのに滅んだ。

 項羽の魅力はそこらへんに隠されていると思う。


「続けるぞ、高順」

「はい!」


 二人の鍛錬を英姫たちが見守っている。

 時おり「頑張れ〜!」という呂琳の声が混ざった。


 墨が減ってきたので、水を汲むため呂青は席を外した。


 もうすぐ嵐が来る。

 そんな予感があった。

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