第9話 いつか海へ行こう

 読んでいて面白いのは圧倒的に歴史書だった。

 実用面という意味でも、血とお金の歴史について一通り押さえておきたかった。


 逆に敬遠したくなるのが哲学書だった。

 良さを理解しにくいという点では、詩文なんかも苦手なジャンルに含まれていた。


 呂青はひたすら勉強しまくった。

 庭が教室で、地面がノート代わりだった。


 これを快く思わないのは妹の呂琳だった。

「一緒に遊ぼ〜」といって妨害してくる。


「琳も一緒に勉強したらいい」

「ヤダヤダ〜。遊んだ方が楽しいよ〜」

「ふむ……」


 呂青は妹の足元に『呂琳』と書いてあげた。


「これが琳の名前だ」


 それから『呂布』『陰英姫』『呂青』『呂蓮』と家族の名前も書いていく。


「すごい! すごい! お兄ちゃんって何でも書けるの⁉︎」

「何でも書けるわけではない。でも、毎日十とか二十とか覚えている」

「他には何が書けるの⁉︎」

「色々あるぞ」


 身近なところだと『高順』とか『丁原』も書ける。

 すると呂琳も木の枝を拾い、下手くそな筆跡で真似してきた。


「琳はこの世界がどのくらい広いか知っているか?」

「村からほとんど出ないから知らない。都の洛陽らくようは遠いんだよね?」

「かなり遠い」


 ここから五百キロメートルくらい。

 馬を休ませながらだと十日は要するだろう。


「でも南の長沙ちょうさ成都せいとはもっと遠い」

「どのくらい遠いの?」

「洛陽の四倍くらい遠い。洛陽へ行って、帰って、行って、帰ってくらい遠い」

「ひえぇ〜! 歩いて行くのは無理だね!」

「子供の足なら一年でも到着できないな」


 他人に教えるのが一番の学習法という。

 これを機に呂琳の知識を増やすことにした。


「俺たちが住んでいるのは并州へいしゅうだな。洛陽の北にある。前の都だった長安はここ。琳は何個の州があるか知っているか?」

「百くらい!」

「残念ながら、そんなに多くない。洛陽を中心とすると……」


 すべての州を書いてあげる。


「あれ? この向こう側には何があるの?」

「海がある」

「海って?」


 う〜ん。

 海を知らない人間に海を説明するのは難しいな。


「でっかい水溜まりだ。琳も魚を見たことがあるだろう。海にはたくさんの魚が棲んでいる」


 魚のイラストを描き加える。


「一つ疑問なのだけれども、お兄ちゃんは海を見たことないのに、どうして海のことを知っているの?」

「それは……」


 中々に鋭い質問だ。

 呂青の中で妹に対する評価が上がった。


「書物の中に書かれていた。あと、海の近くで生まれ育った人から話を聞いた。海の近くには漁師がいる。魚を獲って暮らしている」

「へぇ〜。海か〜。とっても大きいんだね〜」

「肉に塩をつけると美味しいだろう。塩は海から運ばれてくる」

「うんうん」

「あと琳は鮮やかな貝殻を持っているよな。父上がくれたやつ。あれも元々は海で獲れたやつだ。海へ行けば貝殻なんて一面に落ちている」


 すると呂琳の目が輝いた。


「すごい! 私たちもいつか海へ行けるかな⁉︎」

「う〜ん……そうだな……大人になって馬を駆れるようになったらな」

「いつかお兄ちゃんと一緒に海を見てみたい!」

「ああ、いずれな」


 冗談半分で海へ行く約束をしたけれども、幸せそうな呂琳の横顔を見ていると、本当に行けそうな気がしてきた。

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