第4話 赤子が産まれる
あれから毎日、紅おばさんのお乳を飲ませてもらった。
呂青がお腹空いたアピールすると、紅おばさんが来てくれる日もあるし、紅おばさんの家へ連れていかれる日もあった。
紅おばさんの乳房はいつだって絶好調だった。
今日こそ飲み干してやる! と挑戦してみるわけであるが、胃袋の方が先にギブアップしてしまう。
恐るべしミルク製造工場。
これも人体の不思議というやつか。
「あわぁ! 赤ちゃんだ! 小さい!」
呂青はどこへ行っても人気者だった。
乳幼児だから可愛いという単純な理由もあるだろうが、呂布夫妻に対する村人たちの
時おり高順が遊びにきてくれた。
「この子、少しは目が見えているのですよ。話しかけると笑う時があります」
母がいう。
「どれどれ……」
呂青を笑わせようと、高順は動物の鳴き真似を披露してきた。
キェッ! キェッ! が猿
ブガァ! ブガゥ! が豚。
クエッ! ケッケ! が鶏。
中々に上手なのだけれども、ちょっとした反骨心が芽生えてしまい、わざとしかめっ面を浮かべてみる。
「まったく笑いませぬ」
「あら、高順のことが怖いのかしら」
母は笑っていたが、高順は困っている様子だった。
ごめんね、大人を
とうとう母の名前が分かった。
呂布は妻に呼びかける際に『
あと村の子供が母のことを『
だから陰英姫らしい。
呂布の妻といえば、我がままな性格で旦那の足を引っ張った
蛇足で付け加えておくと、中華の人が結婚しても姓が変わることはなく、子供は父の姓をもらうのが一般的だ。
視界は相変わらずボヤボヤしている。
けれども英姫が美人らしいことは分かった。
村の少女が遊びにきた時、冗談めかして『陰姐さんは近隣じゃ一番の美女だったのでしょう』と発言したのである。
この時代、一番の美女にどれほど信憑性があるか不明だが、人々の噂になるくらいには容姿が整っているのだろう。
「赤ちゃん、今日こそ産まれるかな?」
「どうかしら。今月中には産まれると紅おばさんは話していたけれども」
「男の子だと思う? 女の子だと思う?」
「う〜ん、どっちだろうね」
他愛のない話をしている最中、英姫の口から
声は段々と大きくなり、短い悲鳴が混ざるようになる。
「どうしたの⁉︎」
「急にお腹が……。紅おばさんを呼んできておくれ」
「うん! 分かった!」
とうとう陣痛が始まったらしい。
いったん痛みが去ったのか、英姫の声は聞こえなくなる。
数分すると呻きが再開した。
「奥様! 奥様! 紅が来ましたよ! 安心なさいませ!」
「紅おばさん、とっても痛いの。大丈夫かしら?」
「もちろん。とりあえず楽な姿勢になりなさい」
ドタバタと出産の準備が整えられていく。
紅おばさんいわく、痛みが始まってもすぐに赤ちゃんは出てこず、長いと半日を超える戦いになるそうだ。
転がるように家に入ってきたのは呂布だ。
「大丈夫か⁉︎ 英気!」
「大丈夫じゃないけれども大丈夫……」
これで役者はそろった。
新しい命が誕生するのを、皆が固唾を飲んで見守っている。
呂青も籠の中から、頑張れ、頑張れ、とエールを送った。
いつもなら熟睡している時間帯なのだが、眠気は少しも湧いてこなかった。
呂布が何回も水を飲ませてあげる。
英姫の意識ははっきりしており「ありがとう」と返すのが聞こえた。
それから何時間経っただろうか。
呂青の
いや、お漏らしできる雰囲気じゃないのだ。
その結果、赤ちゃんが産まれるまで我慢するぞ! と誓いを立てるに至った。
いわば自分との戦い。
母が苦しんでいる手前、自分にも苦しみを課しておきたかった。
我慢の限界はとっくに越えている。
一瞬でも気を抜けば、かつてない量の尿をこぼすだろう。
もうすぐ兄になる。
だから敗北したくない。
お願い……。
早く産まれてくれ……。
このままじゃ気絶しちゃうかも……。
絶望の水位が上昇してきて、目の前が真っ暗になりかけた時、とうとう待ち望んだ瞬間がやってきた。
おぎゃ〜! おぎゃ〜! の泣き声が家中に響き渡ったのである。
「良くやったぞ、英姫!」
呂布が興奮を隠しきれない声で言う。
「元気な赤ちゃんですよ! 奥様!」
紅おばさんが大はしゃぎする。
緊張から一気に解放された反動なのか、全身から力が抜けていった。
皆の目から涙がこぼれる中、呂青の股からは水鉄砲がこぼれた。
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