第2話
桜の開花が朝の情報番組で発表された。今年も例年通り、“例年より早めの開花”らしい。祖母の誕生日会は花を買ったその日の夜に祖母の家で行われた。
受験が終わってひと段落したとき、姉のスマホに祖父から電話がかかってきた。「落ち着いたらおいで」とのことだった。無事春から通う大学が決まり、家族全員がひと息ついたところで、僕たちは田舎に向かった。僕の通う大学は祖母の家から電車で20分のところにあるため、春から僕は祖母の家に住むことになったのだ。
母の実家に家族で来て5日目の昨晩は、僕が家族と過ごす最後の夜だったので、ご近所総出で宴会を開いた。まだ二十歳ではないが僕もお酒を一杯だけ頂いた。門出を祝ってくれて嬉しくて、飲んでしばらくすると頭がふわふわした。
格子窓に光が差している。昭和ガラスの切り込みが白くはっきりと映し出される。まだ寝ていたい気持ちとやんわり頭の痛みを感じながらもむくりと起き上がり、敷布団を畳む。
「じいちゃん、なんか食うもんない?」
「そこにばあちゃんが作った漬もんがあろ。釜戸に残ってる米を食べなさい。味噌汁は鍋にある」
「母ちゃんたちは?」
「もう帰った。本格的にお前の新生活が始まったってことさね」
祖父はそう言って畑に出かけた。祖母はもう畑にいるらしい。白味噌の匂いが土間の方から流れてくる。僕は寝ている間に姉や母との暮らしにピリオドを打っていたらしく、祖母も祖父も出かけたあとの古民家は、作晩の何倍も広く寒く感じた。
時計を見る。午前八時。ご飯を食べてもお腹が膨れなかったのでコンビニに行こうと思い立った。
カラカラカラと鳴る昭和ガラスの玄関扉を開けると、そこは大自然だった。
鳥の羽ばたく音が山を飛び越えて空に響く。
おどろおどろしい朝靄が町を覆う。
来た時には気がつかなかった遠くの山々の新緑に目がチカチカする。いや、気づかなかったのではない、スマホに目を落としていて見てなかったんだ。
NHKで俳優がやっていたように、目を閉じて大きく息を吸う。両腕をめいいっぱい広げると、ゴキュッと嫌な音が鳴った。
「やめやめ…」
あほらしくなった。鈍い痛みを紛らすように肩を回す。
にしてもコンビニは…どこ?今まで母の車で行っていたから道も遠さも検討がつかない。なんせ田舎だ。歩いてるんじゃ昼になってしまうかもしれない。Google先生に期待を寄せてスマホを手に取る。
「相模町…コンビニ…どこ、っと」
落ち着かせるように声に出しながら文字を打った。
「おっ、あったあった…て、え!?
歩いて30分…!?」
…Google先生は普段から優秀な生徒にしか優しい顔を向けないようだ。
自動車免許は持っていない。となれば祖父の原付を借りることも叶わない。自転車は自宅に置いてあり、この家に届けられるのは通学が始まってからということになっている。つまり今の僕には徒歩で30分かける他に、『噛みごたえ抜群グミ!サイダー味』を食べる術はないのだ。
途方に暮れた。この生活を続けていけば、目標だった8kg減量も叶うかもしれない。近くにあるのはせいぜい八百屋、文具屋、魚屋、肉屋、駅くらいか。クソ田舎の駅にコンビニなどない。
「靴紐外れてるよ」
不意に話しかけられてドキッとしながら前を見ると、近くの高校の制服を着た女の子が僕の靴を見ていた。スマホを眺めながら歩いていたので何も気づかなかったが、それにしても気配が薄過ぎる。
「あー、ありがとう」
少女の奥の草原に目をやりながら礼を述べた。
視界の端に映る少女は特別美人というわけではないが、目鼻立ちの整った綺麗な子だった。
田舎では知らない人から声をかけられることは珍しいことではないが、女子高生に声をかけられることなんて滅多にないどころか僕の人生でこの先ないと思われるような事件だ。なんとなく緊張して顎をさすっていると、指の感触から朝髭を剃らずに来たことを思い出して後悔した。
「どこから来た人?坂田さん家に最近来た人だよね。うちのばあちゃんがお酒買って持っていくとか言ってたから」
どうやら昨晩の宴会に来たご近所さん家の子のようだ。
「えーと、神奈川から」
「都会から来たんだ。不便でしょ、ここ。でもそのうち気にいるよ。」
「コンビニ遠いなって思ってたから、ちょうどね」
相手は全く緊張していないようで、両手をブレザーのポッケにつっこんだまままっすぐ僕の目を見て話す。それが僕の緊張感を高めるので厄介だった。
「何を買う予定だったの?」
グミ、と言うのは幼稚な気がして、酒のあてを買うのだと嘘をついた。
「うちにあるよ。ここから徒歩5分くらいだけど来る?」
「いやいや、他所様のを頂くのは申し訳ないよ。お気持ちだけありがとう」
「いや、うちの家のじゃなくて、うちの店のね。私のお父ちゃん、ガラクタ屋やってんだ。なんでも安く売ってるよ。買取りもやってる」
ガラクタ屋、聞いたことはあったが、行ったこともなければ見たこともない。なんでも屋みたいなことだろうか。こんな田舎に?あぁ、近郊だから。なるほどね。理解がやっと追いついた。
「合法だよ」
そう言って名前も知らない彼女は振り返って向こうの茂みの方へ歩き始めた。置いていかれないようついて行った。
遥古城 宇海巴 @umitomoe
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