遥古城
宇海巴
第1話
大学一年になる直前の3月、チューリップが好きになった。なにかきっかけがあったわけではない。母と姉と3人で祖母の誕生日に贈る花束を作りに花屋に来たとき、まっかなチューリップが目に止まった。鉢に下げられたプレートには「花言葉:おもいやり」と書いてあった。花言葉が嫌いだ。花が花らしく生きて枯れていく姿に、たった一言の意味を人間ごときがつけていいものではない。なんだか窮屈に感じる。そう思い始めたのは高3の夏だった。おそらく、受験勉強にあけくれる日々に拠り所を無くした窮屈な自分に花を重ねたのだろう。花と自分を重ねるなどなんと烏滸がましいのだろうと、当時の自分に呆れる。
カランコロンと鳴る重いドアを開けて花屋を出る。閑静な住宅街の角地に佇むその花屋は、母が東京に来る以前の行きつけの店だ。主人は腰の曲がったおばあちゃんで、この道20年のベテランである。母曰く、「他所より安くて大きい」花束を作ってくれるらしい。
花屋を出ると目の前にある小さな公園でこどもたちがサッカーをしていた。甲高い声を軽やかに上げながら、まだ発達しきっていない見るからに柔らかそうな肉付きの脚でサッカーボールを力強く蹴り上げる。自分にもあんな時期があったのかと思うとなんとも言えない恥ずかしさがよぎる。
「柊二、乗って!」
母が車の窓を開けて呼びかけてくる。運転席の隣には大きくてお手頃値段で買えた綺麗な初春の花束が乗っている。助手席に座り、花束を膝に乗せて両腕で、崩れないように、潰さないように支える。車が出発するとき、花屋の窓からちらっとチューリップの赤が見えて、僕は後ろ髪引かれる思いに気づかないふりを試みた。やっぱり買えばよかった、と思った。花束からはピンクと黄色を煮詰めて空気を含めたような春の匂いがした。
「ばあちゃん、何歳になるんだっけ」
「あー、ばあちゃんね、いくつになんだっけ」
しばらく車内に沈黙が流れる。姉の莉子はしばらく考えたあと、諦めたようにスマホを手に取った。母はそれより目の前の交差点をどう通過するかに気を取られているようだった。
人の年齢はその数を重ねるほどに気にならなくなっていく。テレビのひな壇に座る40代のタレントが「この年になると祝われるのが逆に嫌なんですよね〜」と言っていたのを思い出す。ヘラヘラと皺を寄せて笑うおばさんタレントのコメントに対して、TikTokで話題だからと呼ばれた10代の厚化粧が「そういうものなんですか〜」と薄っぺらく返す。こんなに無駄な会話が撮れ高と判定されてテレビに映されているのだ。そりゃあ若者はテレビやバラエティーから離れていくに決まっている。
夜ベッドに入ると目を閉じる前にスマホを開いてしまう。高校の頃から寝る前に必要なことを確認しないと気が済まない性格だ。朝になってバタバタするのは嫌い。明日の天気、明日の用事、気温、推奨される服装。いつしか必要なことのチェックが終わって、意味のない時間が始まる。ツイッターを開くと検索画面に変わる。「つ」と打つと検索履歴に「ツダのツタ」と引っかかる。機械に自分の脳みそが見られたみたいで恥ずかしくなりながらも、なれた手つきで画面をスクロールする。
意味のない言葉の羅列。140字から溢れ出る偏った思想。馬鹿にしていいものがネットには溢れている。ツイッターの画面を大きく上にスクロール、強制終了させて電源を切った。今日も自分が正しかった。
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