虚構から飛ぶ

判家悠久

So FLY.

 2022年3月29日火曜日。ほぼ早朝。昨年も見た光景だった。


 私の通勤先は、青森市内から郊外の小山へと伸びる先にある。通勤手段は徒歩。田舎ならマイカーも、近所に勤務だったら、夏は暑く、冬は必死でも、確実に会社に到着出来るからだ。


 その間にiPodを聴きながら、やや長いプレイリストに満喫する。耳は塞がるも、視線は常に八甲田山に注がれる。八甲田山の峰がくっきり見える事は、1年を通してどうしても少ない。標高は1,584 mでも裾広く山々が連なる為、難解過ぎる天候に深く包まれる。


 そして普段から見上げているせいか、首都圏に住んでいた頃より感性は上がっている、いや戻っていると思う。今朝に見た光景とは、鶴翼に広がった白鳥群の渡海だ。


 去年も同じアングルで見かけており、そろそろ見えるかなの張りは存分にあった。天気予報は雲一つない快晴そのままも、朝方は気温0度に届こうかの肌寒さは尚も。そんな中で白鳥の一群は、遠くオホーツク海やシベリアへ向かって飛び立って行った。恐らく白鳥の頭脳は、その予報の要因全てを察知して旅立ちの日を決めている事だろう。実に素晴らしい。そのまま気象庁に入庁したらどうだろう。


 青森の白鳥ならば、平内町の浅所海岸が一大コロニーではないかも。まあ青森市内の郊外ならば耕地はあるので、嗜好としてそちらが好みの白鳥群もいてもおかしくは無い。そして真冬でもまま見かけるので、耕地は雪に埋もれるのも、辛うじて見える木々の芽を啄ばんでるかとは思う。



 ここでのタイトル回収に入る。虚構から飛ぶ。


 白鳥は思った以上に大きく、翼を広げれば軽く人間を包み込むサイズが大凡だ。えっつそんなに大きいかは、北海道東北若しくは動物園で見ていない方々かもしれない。昔はテレビ、今ではネットと、サイズ感の無い世界で私達は往来している。虚構から飛ぶとは、その印象そのままだ。


 まあ現実の白鳥は、あの体でも飛ぶのがかなり早い。カラスより明らかに早いなと、改めて調べると、平均時速50kmも気流に乗れば100kmに到達するので、抜群の航行センスをどうしても持っている。

 そして本日旅立った高さは100m位かも、やや平地の風に乗るとしたらそこが妥当かもしれない。とは言え、そこは渡り鳥の習性で軽く山々を超えて行くので、尋常では無い大鳥類だ。


 そう、普段映像で見かける白鳥は、白く輝き水辺で佇んでいる美しさそのものだが、実際はとてつもないタフさを持っている。その姿をただ見送るだけで、自然に尊さが湧いてくる。映像ならば、時間の尺に畳まれて、クローズアップと俯瞰で終わるが。私の場合、本当の点になる迄見送ってるので、こういう感覚は本当得難いものと思う。


 今ではフリックの検索で辿り着けるものの、実際に見てスケール感を確かめるのは大切な事と思う。見えるもの全てが点になる迄見届ける事は、確実に虚構から飛ぶ想像力を養って行く。


 いや、それでも認識の早さが現代でしょうも。例えば、そのままバレエ音楽「白鳥の湖」を聞いて、そして見たら、どんな感想になるかと。あのキーレンジと舞踏の内的な充実は、麗しの白鳥の実寸そのままだ。

 古典と近代に限らず、モチーフ作品の実寸幅とは、作り手がどう挑み昇華させたが垣間見える。現代の何が悪いとは言えないが、それはそれ、こっちも大切位が表現の幅が広がると思う。



 そう。そのきっかけとして、北海道東北に白鳥を見に来ては如何でしょうか、も提案もさせて貰います。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

虚構から飛ぶ 判家悠久 @hanke-yuukyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説