ふたりのアナログノート
高野ザンク
まだ見ぬあなたと
高校生の頃、ゲームセンター通いが日課だった。当時ゲーセンに女子が制服で来ることはあったが、プリクラとかせいぜいUFOキャッチャーが目当てで、私のように対戦格闘ゲームをやるために、アップライト筐体がズラリと並ぶコーナーにいるのは珍しかった。
私はイケメンキャラたちが戦うゲームが大好きだった。周りの友達に理解されず、ゲーム話を熱っぽく語ることはできなかった分、黙々とゲームプレイを重ねるうちにかなり上達して、男子達を打ちまかしていたので、対戦相手からナンパされたりということも多くあった。私自身これといって美形ではないが、ゲームが好きというだけである特定の男子からはなかなかモテた。そんな時代だった。
ナンパならいいけれど、あまり治安の良くない都心では、からかいや恫喝まがいのことまでされたこともある。それでも家にゲーム機のない私は、どうしてもゲームがしたくて学校帰りに寄り道しては、居心地の良いゲーセンを探していた。
そんな私が見つけたお気に入りは駅前のゲームセンターだった。大手ゲームメーカー系列のチェーン店で、照明が明るく、通路が広く、女性には場違いなテーブルゲームたちは奥にひっそりとあり、当時主流だった対戦格闘ゲームと家族やカップルが集うメダルゲームコーナーに広いスペースを割いていた。
私立に通っていた私にとっては同級生たちとも会わずに済むし、休みの日にも来れるという理想のゲームセンターだった。
格闘ゲームコーナーの側には休憩スペースがあり、円型テーブルにコミュニケーションノートが置かれていた。遊びに来た人が好きなことを好きなように書いて共有する、そういうコミュニケーションツールが当時はあったのだ。私はこのノートを読むのが好きだった。
あまり積極的な書き込みはなく、1週間に2、3ページぐらいのペースで、それも大抵ゲームキャラのイラストや、他愛もない落書きばかりだったのだけれど、ある日そこにゲームの感想について書かれた長文を見つけた。
格闘ゲームの主人公の炎を操るキャラクターが大好きで、そのキャラへの想いに始まり、今度の作品はゲームバランスがよくないとか、必殺技がどれも似すぎていることとか(「でもやるけど」とも書かれている)、1ページかけてビッシリと丁寧な字で書いてあった。他の書き込みとは異質すぎて浮いていたけれど、内容の真っ当さに思わず身を入れて読んでしまった。
そしてなにより、最後に書かれた署名が“yumi”だったことに驚いた。
ユミ
女性の名前だ。男性のペンネームであることも考えられるが、その内容や文字の感じから、この人は私と同じ希少な女性ゲーマーなのだと確信した。こんな近くに同志がいたことが嬉しくて、私は次のページに感想を書いた。
私は彼女が好きだというキャラのライバルを使っていたので、その想いも書いているうちに、同じように1ページびっしりになっていた。普段ゲームの話を共有する相手がいない分、溢れ出した熱意が抑えられなかったのだ。読み返すとオタクが過ぎる内容で恥ずかしくなったものの、yumiさんに届いてほしいと願いながら、“まなみ”と走り書きで署名して思い切ってノートを閉じた。
3日後。
私はドキドキしながらコミュニケーションノートを開いた。毎日ここには来ていたけれど、なんとなく怖くて開けなかったのだ。ゲームをしながらチラチラと休憩スペースを気にしてみたが、私の来ている時間に女性がそこに座ることはなかった。だから、彼女からの返事が書かれているのを見つけた時、私は心底嬉しかった。
私のキャラについて、性格は悪いけど可愛げあるよねとか、超必殺技がカッコよくてズルいとかの感想が書かれていて、最後に「いつか対戦したいね♡」という言葉があった。
その時から、ノートは私とyumiさんの交換日記のようになった。もともと書き込む人は少なかったが、5往復ぐらいの会話が続くと、ほぼ私たち専用になってしまった。お店の人には申し訳ないと思ったが、ゲームをするのと同じぐらい楽しい日課になってしまったので、黙認してくれるのは嬉しかった。もっとも、中身なんてチェックしてなかったのかもしれないけれど。
ただ、私とyumiさんは対戦することはおろか顔を合わせることもなかった。
彼女はどうやら平日の午後に来ているらしく、また書き込む頻度を考えるとほぼ毎日通う私とは勝手が違うようだった。それに、正直なところ会うのが怖かったのもある。すでに私の中にあるyumiさん像と違ってしまう怖さももちろん、万が一男性だということだってあるのだ。
すれ違いながら交換日記で思いの丈をさらけ出す。それは匿名な存在だからできることだし、だからこそ素敵なことにも思えた。無理して会おうとせずに縁があれば自然と会えるだろう。そのぐらいの気持ちで私は彼女との交流を楽しんでいた。
若かったからかもしれない。
半年後、そのゲーセンは何の前触れもなく閉店した。期末試験で1週間ほど来れない間の出来事だった。迂闊だった。私は激しく動揺した。yumiさんと会う機会を逸したことはもちろん、私たちの交換日記になっていたコミュニケーションノートをもう読み返すこともできない。閉店の案内が貼られた自動ドアを前に私は呆然と立ち尽くした。
いや、このまま諦められない。
私は貼り紙の中にメダル所持者向けの問い合わせ先を見つけて、PHSを取り出す。3コールすると女性の声が閉店したゲームセンターの名前を告げる。その声を聞いて、私はメダルコーナーにいた女性店員さんを思い出した。
「あの!すみません!ノートが!ノートのことなんですけど!」
顔のわかる相手と思ったら興奮した口調になってしまう。
「はい?」
女性が戸惑うのも当然だ。いきなり電話をかけて「ノートの件だ」なんて言われるのだから。私は深呼吸を一つして話を続ける。
置いてあったコミュニケーションノートに書き込んでいたこと。そのノートは顔も知らない「同志」との交換日記になっていたこと。そのノートがなくなってしまうのは何よりも悲しい、できれば引き取らせて欲しいと、想いを込めて嘆願した。
電話口の女性は時々相槌をいれながら私の話を最後まで聞くと、
「じゃあ、あなたが“まなみ”さんなのかな?」
と言った。そうか、あのノートは誰でも読めるのだから店員さんが中身を知っていてもおかしくはない。それをわかって書いていたはずなのに、私とyumiさんのやりとりが第三者、それもこのゲーセンに通っていた誰からも見られていたという事実が急に恥ずかしくなった。
「残念ながら、あなたたち以外にもこのノートに書き込んでいる人はいるし、個人に渡すことはできないの」
女性はとても申し訳無さそうな口調で続けた。
「あなたが本当にまなみさんで、今の話を聞いたら渡してあげたくなるけど……会社としてはNGかな。そういうのが厳しくなる法律もできるみたいだしね。ごめんなさい」
個人経営のゲーセンならば多めに見てくれたかもしれないけれど、大手であることがネックだったかもしれない。これ以上は無理だろうと、私は大きくため息をついた。
「でもね」
電話の女性が続けた。
「二人の気持ちはちゃんとつながっていると思うよ。第三者の私でも、読んでて楽しかったから」
その途端、私の目から涙が溢れ出した。yumiさんともう会えないことも悲しいけれど、こうやってそれを見てくれた人との場所がなくなると思うと、私の人生のいくらかが削り取られてしまう気がして、悲しくて仕方がなかった。
私が泣いているのがわかっても、店員さんは電話をつないでいてくれた。私はその優しさに感謝しながら、落ち着きを取り戻して「ありがとうございました」と言った。
このゲーセンは本当に私の一部だった。その想いを込めて。
「こちらこそ、いつも通ってくれてありがとうございました」
女性はとても澄んだ、綺麗な声をしていた。
それから20年近い歳月が経ち、私は結婚して男の子を産んだ。夫はあまりゲームをする人ではないので、息子のゲーム相手はもっぱら私だ。格闘ゲームでは、小学生といえど容赦をしないので、息子からはオニババと呼ばれたりもする。オニババどんとこいだ。悔しければ悪口を磨くより、腕を磨くがいい。
「あ、このゲーセンなくなるらしいね」
ニュースを見ながら夫が話しかける。それは例のチェーン系列のゲームメーカーがゲーセン事業から撤退するというニュースだった。
店がなくなった時ほどではないとはいえ、私にとってはショックだ。寂しさついでにSNSでゲーセンの名前で検索をすると、多くの人がそれぞれの思い出を語っていた。私も何か書き込もうかなと、タイムラインを遡っていると見覚えのあるノートの写真が目に留まった。
それはあのノートの、yumiさんが書いた日記に間違いなかった。
「昔、ゲーセンで書いてたコミュニケーションノートのスクショ。格闘女子同士の交換日記化してたんよ。まなみちゃん元気にしてるかなー♡会ったことないけど 笑」
という投稿主のコメントがついていた。そのアカウント名は「ゲーマー女子ユミ」だった。
yumiさんは閉店前にノートの写真を取ることができたのだ。そしてそれを今も残していた。
なんということだろう。寂しいニュースのおかげで、yumiさんを見つけることができたのだ。私は嬉しいと同時に、甦った思い出を浮かべて声を出して泣いた。そして、yumiさんにむけて興奮を抑えながらリプライを送る。どんな言葉にしようかといろいろ考えたけれど、最初に思いついたことをそのまま文にすることにした。
「もうお互い女子じゃないじゃん! まなみ」
1分ほどで返信がつく。
「いつまでだってゲーム女子だよ♡ yumi」
(了)
ふたりのアナログノート 高野ザンク @zanqtakano
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます