第17話 敵地へ

 出立日がやってきた。


 家中総出で何日もかけて準備をしていたから、万事予定通り――と、いうわけにはいかなかった。出立直前に予想外のことが次々起こり、なんとか皆に見送られて城を出たものの、すでに半刻(一時間)、予定から遅れている。

 ごとごと揺れる馬車のなか、香草を詰めたクッションを抱きしめて、リュミエーヌはむくれていた。

「まったく、もう! 叔父様ったら、お話が長すぎるわ。おかけで、皆にろくに挨拶できなかった!」

「姫のことを、それだけ案じておいでなのでしょう。大目に見て差し上げてください」

 変に湿っぽい雰囲気になるよりは良かったという気持ちと、きちんと挨拶をしておきたかったという気持ちがリュミエーヌのなかで混ざり合っている。

 この王都行きは、最悪の場合、二度とアーガイルに帰ってこれない可能性だってあるのだ。今生のわかれとなるかもしれないなら、今までずっと暮らしてきた城の人間、世話になったひとたちに挨拶をしたいというのは当然のはず。

 それを、ダレイオス叔父ときたら! 理解はできても納得できない気持ちがいつまでもわだかまっている。


「叔父様はわたくしが頼りないと言いたいのでしょう? そうよね、世間しらずの子供が、監督する大人もなしに、都に行こうとしているのだもの。

 でも、わたくしだって結婚できる年齢になったのよ!」

「姫。ダレイオス様が案じているのは、あなたが疑うことを知らないほど純粋で、アーガイル公爵家のひとり娘で、そしてなによりうつくしい姫君だからですよ。親心のようなものです。ダレイオス様も、ご自分が一緒についていけないことを悔しがっておいでだったでしょう」

「うん……」

 正直、妙な気分だ。ダレイオス叔父はいつも口うるさいし、公爵家のため公爵家のためと言ってリュミエーヌにさまざまなことを強制しようとしてくる。昔からそうだった。

 けれどあのひとも、真剣にアーガイル公爵家の先を考えていることを、リュミエーヌは知っている。それに、実の父が病がちになってから、不器用ながらもリュミエーヌのことを気遣ってくれていたのはダレイオス叔父だ。父親代わりのようなひとだと、言ってもいいのかもしれない。


 リュミエーヌはちらとシオンを見た。向かいの席に座る彼女は、揺れる馬車のなかでもぴんと背筋を伸ばし、端正な姿勢を崩さない。

 今回の王都行きが急に決まって、シオンは一度も不安そうなところをリュミエーヌに見せなかった。ひとつ年上なだけとは思えない落ち着き払った態度を何度うらやましいと思ったことか。

「本当のことを言うと、わたくしも、叔父様が一緒だったらなって、すこしだけ思っているわ。もちろん、難しいというのはわかっているけれど。

 公爵家のことを率いる人間が残らないといけないし……わたくしと叔父様が都に行ってしまって、道中で起こりでもしたら、アーガイル公爵家はおしまいだもの」

「ええ。だからこそ、警戒していただかなくては。王宮の貴族たちは基本的にすべてアーガイルの敵だと考えてください」

 敵、とリュミエーヌは繰り返す。もう何度も、シオンとダレイオス叔父からは言い含められている。

 王都では誰にもこころを赦さないように。宮廷は敵ばかり。アーガイル公爵令嬢と知って近づいて来る者たちは、害意を隠した敵か利用してやろうと目論む敵だけだと。

「大げさだと思うでしょうが、都に姫の、アーガイル公爵家の味方はほとんどいないものと覚悟してください。まして、姫はアーガイル公爵令嬢です。あなたを邪魔に思う者は、大勢いるでしょう」

「邪魔? わたくしが? どうして。いままでずっとアーガイルの土地から出たこともなかったのよ?」

 恨みを買ったことなんてないわ、とリュミエーヌが小首を傾げて言うと、シオンはほとんど哀れみに近い、慈しみの表情でリュミエーヌを見た。

「たとえば、王太子妃に自分の娘を据えたいと思っていた貴族。たとえば、長年アーガイルと敵対してきた近隣の貴族たち。裕福なアーガイルをねたむ者……どうですか、これでも心当たりがないと?」

「そんな……そんなこと、わたくしには、どうしようもないことばかりじゃない。うらまれても、困ってしまうわ」

「宮廷人というのは、信じられないほど欲深い生き物です。自分以外の恵まれた人間がすべて許せない。――もちろん、姫には姫の言い分があおりでしょうが」

「恵まれていると思うの? このわたくしが?」

 その言葉には、純粋で悪意にさらされたことのない少女がめいっぱいに込めた、怒りと驚きが乗せられている。


「お母さまはある日突然連れ去られてしまって、お父さまは傷ついて、悲しみのあまり寝ついてしまわれたわ。こんな目に遭っても、恵まれているというの」

「アーガイル公爵家の財産がすべて手に入るのなら、それしきのこと、と宮廷人たちならば言うでしょう」

「――――」

 リュミエーヌは口を開きかけて、やめた。

 視線をシオンの顔と膝とに交互にやって、言葉を探しているかのようにさまよわせる。

「ねえ、シオン。こんなことを言ったら傲慢に聞こえるかもしれないけれど――アーガイル公爵家のすべてなんて、わたくし、背負いたくはなかったわ。大変なことばかりだもの。領地の管理も、税の話も、教会とのお付き合いも、出入りする商人の監視も、もちろん臣下の見張りも……わたくし、ひとりでは何もできない」

「おひとりですべてなさる必要はありません。亡き公爵様も、ダレイオス様や、その他一族の方の力を借りながら、公爵家を切り盛りされていたではありませんか」

「叔父様はお父さまのことを尊敬されていたけれど、わたくしのことはそれほど好いてはくださらないわ。それに……、一族の者も、あまりわたくしに、好意的ではないもの。お母さまのせいで、アーガイルが孤立することになったというひとさえいるわ。わたくしの味方をしてくれるひとなんて、本当に、数えるほどしかいないのよ」

「私は死ぬまで、いいえ、死んだ後までも姫の味方ですよ」

 もちろんよ、とリュミエーヌは即答して、それからハッとした。

 シオンは従者として、あまりに当然のように命を捧げると言ってくれる。その忠義が、本来ならば当然のものではないことを、あまりの心地よさにリュミエーヌは忘れてしまう。


 暗くなりかけた空気を払拭したくて、リュミエーヌはわざと冗談めかして、言った。

「――ああ、ほんとうに、シオンと結婚できたら良いのに。王宮にどれだけ貴族の公子がいるとしても、シオン以上に素敵で信頼できるひとなんているはずがないんだから」

「そんなことをしたら、ダレイオス様が卒倒されてしまいますよ」

「おおげさなのよ、叔父様は。若い頃はトーナメント騎士をして、国中を旅していたとおっしゃっているけれど、本当は旅芸人の一座で演者でもなさっていたんじゃないからしら」

 するとシオンは口許にこぶしを当て、肩を震わせたが、結局笑いをこらえきれずに吹き出した。

「さすがにそれは……ふふ、姫様、無理にきまっています、都風の軟派な装束を着たダレイオス様なんて……あはは」

「やだ、シオン、笑い過ぎよ。それに叔父様だって、若い頃はアーガイルでも知られた美男子だったって」

「まあ、ご当主様の弟君ですからね。アーガイルの血筋は美形揃いで有名ですから」

「そうだといいけれど。わたくし、こんな子供っぽい顔立ちで……美形というなら、シオンのほうが」

「私は従者ですから。造作の善し悪しなど、何の役にも立ちませんよ」

「――そんなこと、ないと思うわ。この先の人生がどうなるか、誰にもわからないもの。もしかしたら、王都であなたが恋に落ちるかもしれないし」

「守るべき姫様を放って、恋などにうつつを抜かせる性分でもありません。もちろん、必要とあらば偽装結婚のひとつやふたつ、いたしますが」

「結婚なんて一度で十分だから!」

「どちらにせよ、私より姫様の結婚のほうが先です」

「そうね。……そのためにも、早く王都に行って、こんなふざけた縁組みを破棄してもらいましょう」


 自分自身に言い聞かせるように、いつになく険しい口調で、けれどつぶやくようにリュミエーヌは言った。

「早くアーガイルに戻って、わたくしもシオンも素敵なひとを見つけて、お母さまみたいに幸せになるんだから」



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