まずは憎しみ

第16話 出立前夜

 リュミエーヌが王都を目指し、アーガイルを旅立つ日がいよいよ明日に迫るという、夜のことだった。


 リュミエーヌの叔父、ダレイオス卿が呼んでいる。

 使用人からそう言伝を受け、とても気は進まなかったが、シオンはダレイオスの私室に向かった。用件の見当がつくだけに、とても気は進まなかったが、一介の護衛騎士ごときが当主代理の呼び出しを拒めるはずもない。


「あれはどうしている」

 部屋に入ると開口一番、そう問われた。何のことですか、と素知らぬ顔で訊ね返してもよかったのだが、そうはしない。

 今回の件については、シオンとダレイオス・アーガイルの利害は完全に一致している。むしろ、余計な言葉遊びで時間を無駄にするのは惜しかった――こうしている間にも、あの可憐で情熱的なアーガイル公爵令嬢を放置しておけば、何をし出すかわからない。


「姫は、大変な剣幕です。王都へ行って、結婚するつもりなどないと、王子へ直々に言い渡してやると息巻いています」

 シオンは答えた。誇張がないとは言わないが、事実を伝えたまでだ。

「…………やはりな。あれの性格を思えば、泣いて従うようなことは絶対にないと思ったが」

 対し、ダレイオス卿は頭が痛いとばかりに額を押さえてみせる。身内である彼は、当然、姪であるリュミエーヌの性格を理解している。

 リュミエーヌは大貴族アーガイル公爵家の長子として産まれ、次期公爵として育てられた娘だ。貴族の令嬢らしくおっとりとしてこころ優しい気質だが、芯は強く、従順さとは縁遠い。


「もちろん、お前はそれを阻止するのだ。婚約解消など、リュミエーヌがばかげたことだけはしないように――わかっているな」

 この言葉への返答に、シオンはすこしだけ迷った。

 シオンはリュミエーヌに好かれてそばに置かれてはいるものの、友人でも親族でもない。ただの護衛の騎士だ。

 リュミエーヌの婚約などという、アーガイル公爵家の行く末を左右しかねない重大なことに、自分が関わる資格はない。しかし、長年そばに仕えた者としての情もある。

 リュミエーヌは王太子との婚約にあれほど拒絶を示している。なんとか婚約など白紙に戻してやろうとしているけなげなリュミエーヌに、ばかなことを考えるな、黙って世継ぎに嫁げ、と無理強いすることもできない。


 シオンの心情を正直に言えば、何がなんでもリュミエーヌの味方をしたい。

 そして、そもそもダレイオスの言葉にシオンが従ういわれはない。シオンを騎士にしたのは亡きアーガイル公爵であり、シオンが剣を捧げたのはリュミエーヌ・アーガイルだ。

 そのふたりの言葉なら、無条件でシオンは従う。――逆に言えば、そのふたり以外の言葉になど、シオンは従わない。


「私の役割はアーガイル公爵令嬢をあらゆるものから守ることです。もちろん、彼女が望むのならば、それ以上のこともいたしましょう」

 言外に、リュミエーヌの望まないことはしない、と告げたシオンをダレイオスは睨んだ。

「何のためにお前がリュミエーヌのそばにいるのだ。あれのわがままをすべて叶えるためか」

「誰のせいで私がリュミエーヌのそばにいるとお思いですか。彼女を悲しませないため、後悔させないためです」

「その意気込みが口ばかりでなければいいが」

 シオンはダレイオスを見つめた。そのまましばらく動かずにいたが、ややあって、ええ、本当に、とつぶやくように、言った。

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