第13話 マリアンヌの娘
エディリアスが黙り込んで、しばらく経った。とりあえずは納得したようだと、アイシスは安堵する。
この世継ぎは、よく言えば真っ直ぐな気性で、率直に言うと融通のきかない生真面目な堅物なので、納得できていなければすぐさま反論しているはずだ。
「――で、結局どうする。婚約するのか。それとも破棄するのか」
うって変わって好奇心を隠しもせずぬ訊ねる従兄弟を、ほんの少しの気安さが見える苛立ちの眼差しで、エディリアスは見返す。
「破棄などできると思うか? 陛下が膳立てた婚約だ。たとえどんな相手であろうと、国王が決めた、王太子の妃選びだぞ」
そう言ってからエディリアスは、ほんのすこし酷薄そうな笑みを浮かべた。その表情が彼の忌み嫌う父親にすこし似ていることを、あえてアイシスは指摘しない。
「婚約は破棄しない――――私からは、な」
「というと?」
「公爵令嬢の側から婚約破棄するように仕向けさせる。それならば、陛下も、私を咎めるわけにはいくまい」
「どうやって」
「やりようはいくらでもある。今の宮廷には、アーガイル公爵家の足を引っ張りたがる貴族には事欠かないだろうな」
「ずいぶんと意地が悪いことで」
「マリアンヌの娘など、私には必要ない。自分の妃は自分で選ぶ。父もそうしたように」
エディリアスは人差し指でテーブルをとんとんとたたく。
「ありとあらゆる貴族にとって、アーガイル公爵家は目障りな存在だ。王家の近くにいきたい者、王太子妃の父となりたい者、国王の王妃を身内から輩出したい者……。世間知らずのひとり娘など、すぐに逃げ出すだろう」
「あのアーガイル公爵の娘が? それは楽観的すぎないか。あの公爵が、領地の奥で大事に育てた令嬢が、ただの世間知らずなはずないだろう」
亡きアーガイル公爵。教養と分別とを持ち合わせた有徳の人物で、マリアンヌの件が起こる前は忠臣としても名高かった。
妻を奪われた後、公爵は国王への恭順も、離叛も、どちらも選ばなかった。アーガイルほどの強大な一族であっても、国内で自ら孤立するなど、容易に選べる道ではない。それだけに、昔からアイシスは公爵へ崇拝にも似た尊敬を抱いている。
エディリアスは片眉を跳ねあげて、からかうような表情を見せた。機嫌の方はだいぶ落ち着いたようだ。
「ならばマリアンヌの娘が、単身王宮へ乗り込んできて、私を手玉にとるような女傑だとでも?」
「それもあり得る。あるいは、純粋無垢で天使みたいに可憐な娘かも。お前が恋に落ちて骨抜きになる可能性だって、ないわけじゃない」
「そんなことになれば世も末だな」
女嫌いも大概にしろよ、と言いたくもなるが、事情が事情であったから、アイシスは黙っている。指摘しても不毛なだけだ。代わりに別のことを言うために、口を開いた。
「確かに、お前の庇護がなければ、貴族どもは勝手に公爵令嬢をいじめ始めるだろうな」
世継ぎに寵愛されているとなれば周囲の見方も変わるだろうが、無視されているとなれば誰もが慮る必要もないというわけだ。それに、十年間王国内で孤立してきたアーガイル公爵家には、味方となる貴族も後ろ盾となるべき世継ぎの庇護も、ない。
かわいそうかもしれないが、世継ぎの妃、未来の王妃になろうというのなら、その程度で潰れるようでは到底つとまらない。どれほど強大な実家が背後に控えていようと、王妃として立ち、宮廷を御してゆくのは妃となる者自身なのだ。アイシスの叔母――エディリアスの母のように、臣下を従えることの意味を理解し、そして実行できなければ、たとえ大貴族アーガイル公爵家の次期当主だろうが、誰も納得させることはできない。
「哀れだと思って助けてやるつもりなら止めないが。アイシス」
「冗談。アーガイル公爵家には、恨みこそあれ、哀れみなんて欠片もないね」
アイシスは笑った。
マリアンヌ、間接的に王妃を死に追いやったあの女の娘がどうなろうと、知ったことではない――それがアイシス・サンヴェルドルの、嘘偽らざる本心だった。
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