第8話 目的・決意・手段

「ねえシオン、覚えている? わたくしのお母様のこと。国王陛下の行幸の時のこと」

「少しだけならば。細かくは、覚えていません」

「そうよね。シオンも、あの時まだ7歳だったものね」

 あの頃、幼さゆえ、何が起こったのか正確に理解できていたわけではない。だがそれでも、家中の異様な、浮き足立ってひりつく雰囲気と、大人たちが王家との戦になるのではないかと皆が噂していたことと、幼かった姫がいつまでも泣き止まなかったことは、よく覚えている。


 十年前、アーガイル公爵領に国王が滞在した。国王をもてなすことは臣下として最高の名誉でもあり、王族たちと繋がりをつくり国王に顔を売るまたとない機会でもある。当然、公爵は金に糸目をつけず、珍しい贈り物や晩餐に用いる食材を国内外から取り寄せ、持てるものすべてを利用し、国王一行を出迎えた。

 すべてはつつがなく進み、終わるはずだった。だが、最後の最後で大問題が起こった――よりによって国王が、アーガイル公爵夫人マリアンヌを見初め、強引に王宮へ連れ帰ってしまったのだ。


「国王陛下が、あんな分別のないことをなさらなければ……お母様を連れていってしまわなければ、こんなことにはならなかったのに」

 以前から漁色家であった国王だが、それでも最低限の分別はあった。手を出す相手は選んでいたし、強引な手段に出ることなど、それまで一度もなかったという。だというのに、いきなり見初めた相手を攫い、なおも悪いことに人妻、さらに悪いことに、国内きっての大貴族アーガイル公爵の夫人そのひとであるというのだから、事件については瞬く間に知らぬものがないまでになった。


 誰一人として国王の行いを擁護する者はなかった。

 マリアンヌの夫であるアーガイル公爵一族と、王妃の実家であるサンヴェルドル公爵一族を筆頭に、有力貴族たち、王家の重臣たち、教会――とにかくすべての者が、国王エルバルドの行為を非難し、公爵夫人マリアンヌを返すようにと主張した。

 国王はすべての忠告を無視した。以来、マリアンヌは王城の奥深くに閉じ込められたまま、公の場には一度とて姿を見せたことがないという。

 そしてマリアンヌが戻らないとわかると、アーガイル公爵は王家との交流を一切断った。それを機に国内の貴族たちとも次第に疎遠になり、十年経った今では完全なる没交渉である。商人や城民の移動まで禁じたわけではないから、物品や噂話は入ってくる。だが華やかな式典や催しの招待状は、一通も届かない。


 リュミエーヌは、もう十年も母に会っていない。顔も、声も、話し方も、今では記憶の中から薄れ、思い出すこともできない。

 母に会いたい、とずっと思っていた。だが、物心つくうちに、それがどれほど難しいことなのかを理解し、願いを口に出せば周囲を困らせるだけだとわかり、次第に何も口にしないようになった。その振る舞いがかえって周囲の者には痛々しく映ることに、当人だけが気づいていない。


「王都へ行けば、お母様にお会いできるかしら」

 ぽつりとつぶやいたリュミエーヌに、シオンは物言いたげな目をしたが、それも一瞬のこと、すぐにいつもの落ち着いた眼差しに戻って言った。

 それが主であるリュミエーヌの望みならば、どのような手段を取ってでも、叶えてみせる。それだけだ。

「おそらく。――いえ、きっと」

「そう、よね。……そのためになら、わたくし、王都へ行くわ」

 その口調の想定外の強さに、姫、と思わずシオンは呼び止めたくなった。無理をしているのではないかと思ったのだ。意に染まぬ婚約を、母に会うという目的のために、受け入れようとしているのでは――と。

 だが、そうではなかった。


「もう決めたの。わたくしは世継ぎの殿下となんて結婚はしないわ。王都へ行って、お母さまにお会いして、殿下にもきちんと婚約はお断りするつもり。どう? シオン」

 どう、と訊ねながら、その青い目はすでに揺るがぬ決意に燃えていた。

 その表情に、シオンはどこか既視感を覚えた――その目を、知っていた。リュミエーヌの父、亡きアーガイル公爵にそっくりだ。声を荒げたことのない、常に温厚なひとでありながら、鋼のような芯を内に秘めていたひと。

 あのひとの娘なのだ、今シオンの目の前にいるのは。シオンが一生を捧げて守り通すと誓ったのは。

 わずかに熱を帯びた吐息が、シオンのくちびるから漏れた。今再びに口にする誓いは、ほんのわずかに震えた声で、告げられた。

「全身全霊をもって、お手伝いいたします、リュミエーヌ」

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