第7話 奪われたもの、傷つけられたもの


 気の進まない役目ではあったが、自分以外に適役もいないこともわかっていた。


 自室に閉じこもってしまったリュミエーヌに、叔父君のダレイオスは「放っておけ、気が済んだら出てくるだろう」とのたまった。

 使用人達も、しばらくはそっとして差し上げましょう、ということになったのだが、昼の軽食も夕餉もいらないと拒絶したともなれば話は別だ。リュミエーヌは貴族の娘らしく大人しく純粋な気質だが、その純粋さゆえにかえって思い詰めることが、たまにある。


 シオンはリュミエーヌの部屋の前に立ち、等間隔に四度、扉を叩く。この扉は開くのだろうか、と思いながら。

 先ほどのやり取りの直後では、長い付き合いのシオンとはいえ、リュミエーヌが部屋に入れてくれる自信はなかった。誰とも会いたくない気持ちになったって、まったくおかしくない。シオンとしても、傷心の主人の部屋へ無理やり推しいるような真似はしたくはなかった。


 開けて欲しいのか、開かないで欲しいのか、わからない。そんなことを思っているうちに、気づけば細く扉が開けられていた。

 頰と泣きはらした目とを真っ赤にしたリュミエーヌは、何も言わずにシオンを部屋へ迎え入れた。シオンは何も言わず、テーブルに置かれた水差しを取り上げて、手巾を濡らすと差し出した。

 目を伏せたまま、ありがとうと囁くように呟いて受け取ると、頰を冷やす。母方の一族譲りの雪のように白い肌と腫れた頰の対比が、ますます痛々しく見せる。


「公爵家の姫君の顔に傷をつけるだなんて、一体何をお考えなのですか、あの方は」

 シオンが低い声で言うと、リュミエーヌが顔を上げた。意外に思ったのだろう。シオンが、公爵家一族の誰かを非難するだなんて。

 リュミエーヌは物言いたげな表情を見せたが、シオンを咎め立てはしなかった。それを優しさととるか、甘さととるかはひとによるだろう。

「そう痛くはないのよ、シオン。痕も残らないでしょう」

「当たり前でしょう、手加減しているのですから。叔父君は荒くれ騎士上がりです、あの方に本気で叩かれたら、姫の首がちぎれ飛んでもおかしくない」

「いっそ、そうなってしまえばおもしろかったのに。ねえシオン。さすがの叔父様も、わたくしが化け物みたいに醜くなったら、王家へ差し出すことはためらうでしょう」


 リュミエーヌの軽口に、シオンは眉をひそめてみせる。自分だけでなく、彼女もまた浮き足立っているらしい。

「それはどうでしょう。公爵家の方々の悪口は言いたくありませんが、叔父君ほど厚顔な方はいらっしゃいませんから」

「…………でも、それくらいでなければ、いまのアーガイル公爵家を守っていくことは……できないものね」

「姫」

「わかっているわ、それくらい。公爵家はずっと孤立していて、王宮へのご機嫌伺いにだって十年間、当主であるお父様は顔を出さなかった。今まではそれでもやってこれたけれど……お父様が亡くなった以上、いつまでもそれを続けてはいられない」

「そうですね。今のままでは姫に婿を取ることさえ難しい。他の貴族たちとは交流を絶っている状態ですから」

「わたくしが結婚できなければ、アーガイルのすべてを継承させる後継者がいないということ。わたくしが死ねば、一族中で公爵位を争って分裂するでしょう。そうなれば、この歴史あるアーガイル公爵家もおしまい……そんな大きな隙を、周りの国が見逃してくれるはずがないもの」

 リュミエーヌは無意識に、自分自身の体を抱きしめる。


 どうしてこんなことになってしまったのだろう。まだ恋も知らず、半月前までは結婚という言葉に胸躍らせるような、ただの娘だったのに。あっという間に、何もかもが変わってしまった。大きな流れが押し寄せてきて、リュミエーヌには抵抗などできるはずもなかった。

「……叔父様の考えは、確かに、すべてがうまくいく案よね。わたくしがお世継ぎの妃となれば、未来の王妃様だもの。アーガイル公爵家には王家の後ろ盾ができて……」

 王の妃、世継ぎの妃という地位を拒む貴族は、普通、いない。望んだとしても得られない地位であり、名誉なことでもある以上に――貴族たちの間で、大きな影響力を持つことになるからだ。

「…………でも、お母さまを連れ去って、お父さまの名誉を傷つけた国王陛下のご子息との結婚なんて、絶対に嫌。死んでも嫌よ」

「姫」

 かける言葉を探しながら、無理もない、とシオンは思う。リュミエーヌはまだ六歳だったのだ――ある日突然、大好きだった母親を奪われた時。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る