レトルトカレー

 仕事終わりに立ち寄った、自宅の最寄りのスーパーマーケットで、惣菜や弁当でも飲み物でも、ましてやカップ麺のコーナーでもない所を目指すのは多分初めてだ。うろうろと少し迷ってたどり着いたのは米売り場。2キロの袋を抱えてレジに向かいながら、この後の予定を考える。米をとぐためのボウルって、100均で買えるのだろうか。

ーーーーー


『○月◎日 (木) 曇り時々晴れ

 先日は失礼のないようにとボールペンを使用しましたが、却ってお手を煩わせてしまったようで申し訳ありません。本日からはシャープペンを使用させていただきます。

 昨日の内容についての返信といたしましては、私にとってこの交換日記の主な目的は朝山さんとの交流ですので、今は中途半端でも構いません。そして、男同士だからといって必要以上に私に気を遣っていただかなくても大丈夫です。

 改めて、交換日記よろしくお願いいたします。

 今朝、このノートが返ってきてから、何を書くべきか考えていたのですが、今日一日で一番の出来事は、このノートが返ってきてくれたことでした。なので、昨日の日記に倣って料理の話をしたいと思ったのですが、残念なことに私は基本的に自炊をしません。

 しかし、朝山さんの趣味・特技が料理ということでしたので、少しでも共通の話題になればと思い、この機会に自炊を始めることといたしました。きっとこの文章が読まれる頃には、私は炊飯器と戦っていることでしょう。

 本日は以上です。お目汚し失礼いたしました。』


 待って炊飯器買ったの?僕の影響で?

 交換日記で料理の話をするのはあまりに軽率な選択だったのかもしれない。当たり障りない話題だと思って書いたのに、まさかこんな流れになるなんて。

 ひょっとしたらフライパンや包丁なども買ったのだろうか。自炊をしない人が何を持っていて何を持っていないのかが全然分からない。どうしよう、なんだか変な汗が出てきた。

 もし本当に料理の話ができるようになったら、それはそれで嬉しいけれども。

 そして、やはりと言うかなんと言うか

「堅い……」

前回の自己紹介ほどではないが、相変わらず仕事の文書のような堅さの日記に、思わず一人言が零れた。字の上手さも、堅い文章を更に堅い印象にしている。もちろんそれが悪いわけではないし、真面目な彼が年上相手に砕けた言葉を使わないのも分かるけれど、交流というならばもう少し柔らかくならないだろうか。

 そこまで考えて、頭の隅に引っ掛かる何かにふと気付く。どうして文章が堅いことが気になるのか、その感覚の源。

 僕は原くんと、もっと緩いやりとりが出来るくらいの仲になりたいのだろうか?

 ……簡単な話をすれば、答えはイエスだ。苦手意識があるわけでもない知り合いなのだから、もっと仲良くなれたならそれは単純に嬉しい。

 けれど。

 ぱたり、とノートを閉じて、深呼吸をするように溜息を吐く。どうしたって気にせざるを得ない一単語があった。

「今は、かあ……」

 このまま当たり障りなく交流を続けていくだけでは駄目なのだ。たとえどこまで仲良くなれても、それは「中途半端」のままだから。


ーーーーー


『○月◇日 (金) 曇りのち雨

 世間話のように、今日の天気の話から、始めようかと思いましたが、この文章が読まれるのは、翌日以降だと気付き、やめました。消し跡だらけになってしまって、お恥ずかしい限りです。

 自炊を始められるとのことでしたが、数日やってみて、生活に変化はありましたか?炊飯器には勝利できましたか?もしよければ、作った料理や、そのレシピを、教えてもらえると、嬉しいです。でも、だからと

いって、無理はせずに、頑張ってください。

 今夜の献立は、カレーでした。それと、きゅうりとにんじんの白和え、わかめとねぎの和風スープです。

 先日は、自分が作ったものばかりの献立でしたが、現在、実家暮らしをしているので、母親に手伝ってもらうことも多いです。今夜の白和えは、母親が作ってくれたものでした。おいしかったです。

 ところで、話は変わりますが、一つお願いがあります。この交換日記を、いつまで続けるのか、その期限を、決めてほしいのです。このままだと、決断力の無い僕は、いつまでも、この関係を、変えられないと思うのです。

 君の考えを、聞かせてください。どうか、よろしくお願いします。』


「………………真面目、だなぁ……」

絞り出した声は、最後には溜息になって部屋の空気に消えた。休日を挟んでそわそわと待っていたノートは、俺の気持ちとは裏腹になんだか重かった。

 俺からすれば、好きな人と交換日記ができるという現状に若干浮かれていたくらいなのだが、そう言われると確かに、今の俺たちの関係はとても曖昧だ。よく考えたら、なんで交換日記してるんだ。

 とはいえ、実は俺はそんなに複雑に考えてない。今はいわゆる「お試し期間」というやつだと思っているし、期限どころか、いっそ向こうが絆されてくれるまでこのまま粘るつもりでいた。

 しかし、どうやら当の朝山さんが気を揉んでいるらしい。やはり告白は時期尚早だっただろうか。とりあえず、どうにか時間を稼ぐ方向で何か考えよう。

 そんなことよりカレーが食べたい。

 就職を機に一人暮らしを始めた時に、親が一通り家電を買い揃えてくれた。先日使い始めた炊飯器はその中のひとつで、2年以上の時を経てようやく日の目を浴びたのだが、生憎と今はご飯が入っていない。初めての炊飯の後、内釜を洗ってそのまま放置してある。

 そう、一度きりしかまだ使っていない。

 元々自炊をしない生活をしていたので、一日の内どのタイミングで炊飯をすればいいのかということからまず分からない。米を炊いたところで、おかずなんて作れないので、結局出来合いのものを買ってくるしかない。米だけで完結する料理といえばおにぎりだが、作ったこともなければそもそもこの家に塩が無い。

 時刻は夜7時過ぎ、机の上には買ってきた弁当、冷蔵庫は空。ろくな買い置きは無し。でもカレーが食べたい。

 …………米、炊くか。それで、その間に近所のコンビニでレトルトカレー買ってこよう。

 なんだかみっともない気もするが、今日の日記にはこれを書こうと決めて、弁当を冷蔵庫に放り込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

交換日記で始める食育 岳谷佐保 @twentyseven

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ