その空白

久世 空気

第1話

 私は幼い頃から毎日日記を付けている。寝る前に数行書くのが日課だ。ほとんど読み返すことはない。

 しかし、たまにふと、読み返すことがある。それが今日だった。押し入れからノートが入った段ボールを引っ張り出す。防虫剤や乾燥剤を使っているから状態は良い。パラパラとめくりながら、こんなこともあったなぁ、何て思い出に浸っていた。

 だが最近の日記に違和感を覚えた。何かおかしい。なんだ? それは社会人になってからの日記で、大体が同じ事の繰り返しだ。

 何度か同じ所を繰り返し読み、さらにノートの表紙を見て、やっと違和感の正体に気付いた。表紙には日記の通し番号とノートを書いた期間を黒のマジックで書いている。だが途中が抜けているのだ。さらにノートを整理してみると5年前から2年前までの約3年間が抜けていた。

 奇妙だ。いつも段ボールに放り込んで、読んでもすぐに戻していた。なくなるなんてあり得ない。誰かが持ち出したとしても、じゃあ誰がこんな他人の日記なんて盗むんだという話になる。一応貴重品を確認してみたが、なくなった物はなさそうだ。

 一人で考えても埒が明かないし、この気持ち悪い感じを誰かと共有したくなって、私は親友のコウジに電話した。休日だからか、コウジはすぐに出てくれた。

「やぁ、元気にやってる?」

 いつもの軽い口調に私は少しホッとし、リラックスして話をすることが出来た。

「日記ねぇ。おまえもマメだな」

「まあね、でもこういうことは初めてだ」

 コウジは面白がっているようだったが、一緒に考えてくれた。

「年賀状とか手紙を盗む話は聞くな。個人情報目的で。でも日記はなぁ。実家に置いてる・・・・・・ってことはないか、期間が合わない」

 そう、私が社会人になった後、実家から出た後の日記だ。

「じゃあ、奥さんが勝手に捨てたとか、今読んでるとか。数冊ならばれないと思ってるんじゃないかな?」

 おかしな事をコウジは言った。

「俺は結婚してない」

 そう言うと、コウジは乾いた笑い声を出した。

「お前、そういう冗談言うのな。でも今は良いから」

 なにかかみ合わない。俺は結婚していないし彼女もいない。今は単身者用のアパートで独身貴族を謳歌している。

 初めはあしらうように「はいはい」と相づちを打っていたコウジも、徐々に苛立ってきた。

「さっきから何だ? 5年位前に結婚しただろ? 結婚式も呼んでくれたよな。ミサキちゃんも生まれて、今2歳くらいか?」

 誰かと間違っていないか? と聞いても

「俺を結婚式に呼んでくれるような友達はお前だけだ」

 と頑なに言い張った。

「5年前と言ったな?」

「そうだよ」

「日記がなくなったあたりだ」

 電話口から息をのむのが聞こえた。

「子供は2歳? ノートは2年前からしかない。そこにはそんなことは書いてない」

「え、やめろよ。あ、分かった。お前俺をだまして面白がってるだろ? そうなんだろ? 今から行くから待ってろ」

 そこで電話が一方的に切れた行くってどこにだろう。私は考えを整理するためにコーヒーを入れた。

 私が結婚? 父親? ありえない。5年前と言ったら・・・・・・。なんだろう? 思い出せない。いつもと変わらない、繰り返しの日々をおくっていた気がするのだが。

 30分ほどして、コウジの方から電話があった。

「お前の家、更地になってるんだけど」

 どこに行ってるのか聞いたが、実家の近くだった。そんな所に住んだことはない。

「マンション借りて、奥さんとミサキちゃんと、住んでた。俺は出産祝いを持って行った」

 コウジは走ってそこまで行ったのか息を切らし、大きく呼吸をしていた。

「今お前はどこに居るんだ?」

「転勤で他県にいるよ。でも・・・・・・」

 その場所は知らないと言おうとしたら、コウジの「はぁ?」という返事に止められた。

「転勤なんてないだろ」

「え? あるけど」

「お前県庁職員なんだから他県に転勤なんてあり得ないだろ」

 いや、あり得ないこともない。たまにある。が、私は今、県庁職員ではない。

「・・・・・・俺、いつ転職したんだ?」

 コウジが黙った。気まずい時間が流れる。電話をつないだまま、私はコーヒーを飲んで、スマホの履歴や、写真を確認したが2年以上前の物が見当たらない。機種変して買い換えた記憶はあった。その前のデータはどうしたか覚えていない。

「・・・・・・今、お前の結婚式に行った奴らにメールしたんだけどさ」

 コウジが話し出す。

「半分が覚えてるって。でも半分が『そんなの知らん』って。どうなってるんだ?」

 忘れているだけなら、あるかもしれない。記憶障害、記憶喪失で片が付く。でも複数人が、さらに人が消えているなら話は別だ。

 私はお礼を言って電話を切った。

 もし私に妻子がいたのが事実なら、その事実が何故か消えようとしている。もう少し時間が経てば、覚えていると行った半分の友人も忘れてしまい、二人がいたことを覚えている人は誰もいなくなるような気がする。

 それは元々存在していなかったのと同じだ。

 ただ日記の空白だけが残る。

 こうやって私が気付いてコウジに電話したから分かったことだが、これもまた忘れてしまうかもしれない。またコウジに助けを求めても、その時彼もまた忘れてしまっていたら。

 日記が「無い」ことだけが不可思議な事象として残ることになる。

 何かとてつもなく恐ろしい物に包まれているような気がし、私はカップに残ったコーヒーをあおった。

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その空白 久世 空気 @kuze-kuuki

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