八月七日。じいちゃんの大事な日記
祥之るう子
八月七日。じいちゃんの大事な日記
じいちゃんが死んだのは、一年前。
今日は一周忌。
じいちゃんは、享年八十二歳というなかなかの大往生で、意識を失ってぶっ倒れるまで畑仕事をしていたというスーパーじいちゃんだった。
俺はじいちゃん子だった。
と言っても、同居してるわけじゃない。
俺の家は関東で、母さんの実家であるじいちゃんの家は、新幹線で二、三時間かかるくらい遠かった。
だから、会えるのは年に一度。夏休みに二週間ほど滞在するときだけだった。
父さんを家に残して母さんと俺と妹と、じいちゃん家に遊びに来るのがウチの通例だった。
俺たち兄妹は、年一しか会えない二人に、めちゃくちゃなついた。
妹はばあちゃんにべったりで、俺はじいちゃんにべったり。
俺はよくじいちゃんと、川に釣りに行ったり、山に虫探しに行ったり、畑仕事を手伝うって名目で畑で遊んだりしてた。
毎日こんな楽しいことしてんの? って聞いたら、じいちゃんはニカッと笑って「おうよ」って答えた。だから、じいちゃんの田舎暮らしはめっちゃ楽しいんだと思ってたけど、去年の葬式の時に「釣りだの虫探しだの、お
「おめだち、金庫の鍵、開げれねべが」
そうばあちゃんが相談を持ち掛けてきたのは、法事が終わって、じいちゃん家で親戚たちがわいわい酒を飲んでる時だった。
別室で妹とスマホをいじっているところに、腰の曲がったばあちゃんが顔を出してそう言ったのだ。
「金庫って何?」
「じいちゃんのね、金庫がね、小屋にあんの」
俺の質問に、ばあちゃんはのんびりとした声で答えた。
「夕べふっと思い出してしゃ。じいちゃんそう言えば『こごさ、俺の大事なもの入ってらがら、勝手に開げるなよ』って言ってらったなあって」
「え? それ、何が入ってるのかわかんない金庫ってこと?」
「おらも何入れだなが気になって聞いだどもな。したっけ『日記だ』ってだけおへでけだっけ」
翻訳しよう。俺はバイリンガルだ。
ばあちゃんは昨夜ふっと、じいちゃんが昔「ここに俺の大事なものを入れているから、勝手に開けるな」と言っていた金庫の存在を思い出したわけだ。生前金庫の中身をじいちゃんに聞いたら「日記だ」とだけ教えてくれたと。
「鍵は? 見つからないの?」
妹が聞くと、ばあちゃんは困ったように笑った。
「鍵なねっけもの。あれほれ、番号おすヤヅ」
なるほど。暗証番号式の金庫ってことか。
「おめだぢ、暇そうだもの。もしいがったら、小屋さ行って見できてけれ」
ばあちゃんはそう言うと、親戚たちのいる仏間へと行ってしまった。
「どうする? お兄ちゃん」
じいちゃんの日記……。
ピンとこない。字を書いてる姿すら見たことないんじゃないか?
「ねえ、お兄ちゃん、開けてあげようよ」
「ん?」
ふりむくと、眉間にしわを寄せた妹が、いつになく真剣な顔でこちらを見ている。
「おばあちゃん、この広い家に一人ぼっちでかわいそう。きっと寂しいよ。おじいちゃんの日記があったら、ちょっとはまぎれるかもしれないよ」
うーん。近所に叔父さんがいて、毎日様子を見に来てるって聞いたけど、やっぱりじいちゃんが生きてた頃に比べたら、寂しいか。ちなみに叔父さん夫婦に子供はいないので、孫は俺たち二人だけだ。
「わかった。小屋、行ってみよう」
俺たちは親のおさがりの喪服姿のままで、小屋に向かった。
かくして、小屋の二階に、その金庫はあった。
俺が想像していたのはビジホにあるような小さな金庫だったのだが、予想以上に大きくて、俺の腰くらいの高さと、幅は俺と妹が二人並んだ分くらいあった。
「けっこうでかいな」
「番号おすとこ、バイト先の玄関みたい」
妹がぼそりと呟いた。大学一年生になって数か月。人生初のバイトや一人暮らしをそれなりに満喫しているらしい。
「うーん……じいちゃんの誕生日からおしてみるか。とりあえず…一月九日だったよな。ゼロ、一、ゼロ、九……エンターはどれだ、これかな?」
手始めにじいちゃんの誕生日を入力。何も起こらない。
取っ手を掴んでひねろうとしてみても、動かない。
「うーん……」
「おばあちゃんの誕生日は? 十一月十日だよね」
「えーっと……だめだ、反応ないな」
「案外あれかもよ。ゼロゼロゼロゼロとか初期のままとか」
「おいおい……まあとりあえず全部ぞろ目から試してみるか」
「あッ待って。私失敗した番号メモるわ」
妹はそう言うと、スマホを取り出して、今まで失敗した番号を、なぜか俺のLINEに送信し始める。
ぞろ目はことごとく失敗した。よかった、じいちゃんがそこまで安直じゃなくて。ちょっと安心した。
ぴこんぴこんと空しい通知音が響く小屋の中で、俺たちはひたすら失敗を繰り返していた。
母さんの誕生日、叔父さんの誕生日、じいちゃんばあちゃんの結婚記念日、妹がスマホで会場にいる母さんに電話して、みんなに思いつく限りの番号を上げて貰ったりしてみたが、どれもこれも当たらない。
「……じいちゃん、日記つけてたの、知らなかったな」
「そうだよね~。字ぃ書いてるのすら見たことないよね」
「俺もそれ思った」
疲れた俺たちは、座り込んで一休みだ。
「どんなこと、書いてあるのかな」
「そりゃ日記だから、毎日なにがあった~とかだろ?」
「私、日記とかつけないタイプだからわかんないけど、そんなに毎日書くことあるのかな?」
「さあな~。俺も日記書かないしなあ……あれじゃね? 畑の状態とか……」
「それ、観察日記じゃん。夏休みの宿題かよ」
「夏休みの一行日記すら、俺苦痛だったわ」
「わかる! 天気とか書く意味わかんないよね~」
「あ、でもさ、ここにいる間は書くことあったわ」
「あ~! お兄ちゃんさ、ここにいる二週間以外全部『今日は宿題をやった』だけ書いて、お母さんに呆れられたことあったよね。六年生だっけ?」
「うるせ~。だって母さん、ここに来る前にドリル終わらせないと連れてこないぞ! とか言うじゃんか~。毎日ドリルドリルで俺は大変だったんだぜ」
「私だって同じだったじゃん。私はちゃんと書いたよ」
「うるせえな~」
そんな話をしていて、俺はハッと閃いた。
ガバッと立ち上がって、四桁を入力する。
「え? お兄ちゃん?」
取っ手を掴んで、下にひねる。
――がちゃん。
「えっ? うそ……!」
「開いた……」
俺の閃きは正解だったらしい。
「え? え? 何番だったの? 何で解ったの?」
「ゼロ八、ゼロ七……」
「え? 何それ、何の番号?」
ぎぃっと音を立てて、いったい何年ぶりに開かれたのか知れない、金属の重い扉が開いた。
その金庫の中は、三段になっていたが、下の段には何もなかった。
上の段と、真ん中の段は、A四サイズくらいの古ぼけた画用紙が入っていた。
水をつけすぎた絵具で描いたせいで、べこべこのおかしな形になったその画用紙は、俺と妹が小学校の六年間で描いた、六枚の絵日記だった。
「なにこれ……」
妹が取り出して、目を見張った。
俺の絵日記は六枚とも「八月七日」の日付で、じいちゃんと川に釣りに行ったことが描かれていた。
いつも同じような構図で、同じような笑顔のじいちゃんの横で、ちょっとずつデカくなっていく俺が描かれた六枚。
きっと夏休みの宿題が戻ってきた後、母さんが送っていたんだろう。
――じいちゃんはよ、お盆に水辺さ行げば、おめだばまんつめんこいがらよ、ご先祖さまだぢもうっかり連れで行ってしまうがもさねどってよ。おめど川さ行って釣りするごったら、お盆より前でねばねどってよ。毎年八月七日って決めでらったのよ。何で七日なんだって聞いだらよ。ラッキーセブンだど。じいちゃんもよ、信心深い人だったのな。
これは、お葬式の日にばあちゃんがしてくれた思い出話だ。
翻訳しよう。
じいちゃんは、俺があまりに可愛かったばかりに、こんな可愛い子をお盆に水辺に連れて行ったら、ご先祖様方も俺を気にいってあの世に連れて行ってしまうかもしれないと言って、俺を釣りに連れていくならばお盆前の八月七日と決めていたらしい。ちなみに、七日なのはラッキーセブンだから。
捕捉すると、この地域ではお盆に川辺で行われる結構激しいお祭りがあって、そこで死人が出たりすると「連れていかれた」と言われることがあったらしい。だから、お盆に水辺に行くと「連れていかれる」とじいちゃんは思っていたんだとか。
妹のスマホが鳴った。母さんからだ。
金庫は開いたのかと、会場で話題になっているに違いない。
「おぃ、でろょ」
「むり」
俺たち二人は、涙と鼻水でべちゃべちゃで、とても通話なんぞできなかった。
じいちゃん。
中学に入って、部活が始まり、滞在期間がお盆だけになった。
大学生になり俺は一人暮らしを始めて、バイトを始めて、お盆も休めなくなって、じいちゃんの家に行くことはほぼなくなった。
じいちゃん。
じいちゃん。
俺との思い出、大切にしてくれて、ありがとう。
俺と妹は、それぞれの絵日記を、自分たちの涙で汚さないように、大切に腹に抱えて、精いっぱい泣いた。
泣き止んで、絵日記を持って仏間に戻った俺たちをみて、父さんと母さんも、ばあちゃんも号泣した。
大泣きする俺たち一家を見守るじいちゃんの遺影は、俺と釣りに行って帰ってきたあの日の写真を加工したもので、俺の絵日記の百倍くらい優しい笑顔だった。
その日の晩、俺は、スマホに日記アプリを入れた。
今日のこと、じいちゃんのことを、忘れたくないから。
八月七日。じいちゃんの大事な日記 祥之るう子 @sho-no-roo
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