あの人の影


「……あの人が帰ってくるんじゃないかと思っているの。何かの間違いだったと。それで釈放されてここに来るんじゃないかと……」

「母さん……」


 ルイの母親はまるで暗闇の中で光を探すような表情を浮かべている。その光こそが母親の夫でありルイの父親でもある模擬戦での先生だった。

 だがあの模擬戦の現場に居合わせ、真実が明白となっている状況を知るルイは、母親に気付かれぬようため息を吐く。


「私にとってあの人は輝いて見えた。悪魔を倒しお義父様のようなマスターになると……でも突然現れたあの子供リュウトが、全てを奪ったんだ……私達の全てを!!」


 まるでその場にリュウトが居るかのような幻覚に襲われたルイの母親は、急に立ち上がると机の上にあったティーセットを払い除ける。ティーポットやカップは床にぶつかると軽い音をたてて粉々となる。


「あのリュウトってガキが!!あの人を!私の全てを奪ったんだぁぁ!」

「落ち着いて母さん!」


 ルイの母親は自身が座っていた椅子を持ち上げ、割れたティーセットへと叩き付けようとする。

 流石にまずいと感じたルイは勢いよく母親の背後に回り込み、振り下ろそうとする両手を掴んだ。

 それとほぼ同時に、騒ぎを聞き付けた使用人達が部屋の中へ駆け付ける。


「奥様!」

「はぁ、はぁ、はぁ……ごめんなさい、もう大丈夫よ……」


 ルイの母親は使用人達の顔を見た瞬間、我を取り戻し振り上げていた椅子をゆっくりと床へ戻す。その場の清掃へ入る為、ルイの母親は自身が使うベッドへ移動し腰掛けた。


「そう言えば、お友達を連れて来てくれたんだって?」

「はい。滅殺者スレイヤーには連携も必要だからね。向こうの学び舎では良くしてもらっているんです」

「それなら、一言お礼を言わないとね」


 ルイの母親は笑顔を向けるも、その顔からは先程もよりも生気が残っていないように見える。

 ルイは一瞬だけ、母親の顔を見て表情を歪ませた後、部屋の入り口へと声をかける。


「ありがとうございます。二人共、入ってきてもらえるかい?」


 割れたティーセットを片付け終えた使用人の一人が、足早に扉へ向かいゆっくりと開く。廊下で待っていたリュウトとトウヤは宣告の惨事を知らないかのように、小さく頭を下げてから部屋と足を踏み入れる。


「こんにちは、今日はご招待いただきありがとうございます。僕の名前はトウヤと言います」

「お……ぼ、僕はリトと言います、はじめまして……」


 トウヤの思いもよらなかった雰囲気の対応力にリュウトもぎこちないながらも後に続く。

 だがそんな二人を見て、ルイの母親はにっこりと微笑んで見せた。


「トウヤ君にリト君ですね。いつもルイと仲良くしてくださってこちらこそありがとう。堅苦しいのは大変かもしれないけど、今日は楽しんでいって下さいね」

「素敵なパーティーとルイ君から伺っております。こちらこそよろしく粗相のないように気を付けますね」


 あまりの対応力にリュウトはぽかんと口を開けながらトウヤの方を向く。だがトウヤはそんなリュウトには目もくれず、ルイの母親へと微笑んでいた。


「それでは母さんまた会場で。行こうか二人共、ゲストルームを案内しよう」


 ルイが先頭を歩き部屋を後にする。

 扉の前でトウヤはもう一度ルイの母親へ向き直ると、深々と頭を下げてから退室した。それを見て焦りが隠せないリュウトも会釈程度に一礼してから足早に部屋を出ていった。


「ルイも前を向いて頑張っているのね……なのに私は……」


 部屋に一人残されたルイの母親は、閉まった扉を見つめたまま小さくため息を吐くことしか出来なかった。

 だがそんなに静寂を壊すように背後から強烈な人の気配が浮かび上がる。


「どうしたんだい?しばらく見ない間に随分とやつれてしまったじゃないか」


 聞き覚えのある声。待ち遠しかった声色。ルイの母親は直ぐにその場で振り返ると、部屋の窓際におかしくなる程待ち焦がれた黒い姿が微笑んでいた。


「あなたッ!!」


 ルイの母親は上品な生まれ等気にもせず、ベッドの上を駆け抜け窓際に立つ最愛の者へ手を伸ばす。微笑む男もまたルイの母親を受け止めるように両手でしっかりと引き寄せた。


「あなた……私、もう会えないかと……」

「何を言うんだ、こうして会えたじゃないか」


 お互いに唇を重ね、寂しさを分け合うように強く抱き締め合う。

 ルイの母親が改めて自身と頭一つ分背の高い男の顔を見上げる。

 教鞭を執っていた頃の金縁の丸いメガネはかけておらず、優しくも冷徹な瞳がルイの母親を見下ろしていた。


「でもあなた、滅殺者スレイヤーの監獄から脱獄したと……」

「たしかに私は牢を抜け出した。だがそれは真実を明るみに出す為だったんだ」


 不安な表情を浮かべるルイの母親の頭を、優しく撫でる丸メガネの元先生。


「真実?」

「ああ、僕はあの模擬戦の時、生徒達に騙されていたんだ。その真実を伝える為に父さんの支部に応援を要請したんだ」


 丸メガネの元先生は黒いコートの胸ポケットから一枚の紙を取り出して、ルイの母親に手渡す。そこには当時リュウトとレン、そして丸メガネの元先生が戦った模擬戦に関連する事が記されていた。


「そして今回のパーティーにルイがその内の一人を呼び出している」

「まさか、ルイも共犯なの?」

「それは無いさ、きっと私の真実を暴く為に動いているのだろう」


 一瞬だけ不安そうな表情を浮かべるルイの母親を優しくなだめる丸メガネの元先生。


「君も助けてくれるかい?僕の力になって欲しい」


 肩に乗せていた手を離してルイの母親から少し距離を取ると、ゆっくりと頭を下げる丸メガネの元先生。

 ルイの母親は目を細めると、少し寂しそうな表情を浮かべてから静かに首を縦に振った。

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